夢は日本に店舗を構えてロンジーの素晴らしさをアピールすること
詳細顔・人
Myanmar Women Entrepreneur`s Association ( MWEA) President ミャンマー女性起業家協会 会長 New Step Services Co. Ltd. 会長 Depa Waddy Construction Co. Ltd. 会長 Square Power Group Co. Ltd. 社長 アウンサン・スーチーさんは国民から「お母さん」と呼ばれているが、この会長もビジネスを志す女性、恵まれない環境にある女性たちに積極的で緻密な支援の手をさし延べ、今や「ミャンマーのゴッドマザー」ともいえる存在感を持つ。その活動ぶりを聞いて、この国の未来への期待感が湧いてきた。
詳細会長である父と5つ違いの姉の背中を見て歩いてきたが、ようやく企業マネジメントに自信が付き始めた。今や母体の建設はもちろん通信、テレコム事業まで手を広げたA1グループは、米国留学経験持つ2人の姉妹が力を合わせ、グローバル企業へ変貌を遂げようとしている。
詳細老若男女に愛されている人気歌手だった。この国では少数派のクリスチャンだが、宗教、人種の枠を超えて弱者支援に励む心優しき女性でもあった。彼女の情感溢れる歌声にそれがにじみ出ていた。
詳細「古風で奥ゆかしいビルマ女性」のイメージが定着した人気女優 「人身売買撲滅」大使として弱者救済に立ち向かう正義感溢れる女性
詳細苦難と屈辱を乗り越えて開花した大部屋女優の壮絶な人生 苦節8年、モン州から上京して築いたサクセスストーリー
詳細ファミリーが一丸となって続ける弱者支援の社会貢献活動 乳幼児製品シェア60%を誇る女性リーダーの健康へのこだわり
詳細国を憂う議員が語るミャンマーの経済改革とビジョン 官民の一体化とメディアからの提言、協力も不可欠に
詳細「テイシュペーパーアート」という新境地を切り開く女性画家 繊細な美意識で伝統衣装のデザイナーとしても頭角を表す
詳細3月からネット通販を開始するミャンマー最大手の流通グループ 1代で100億企業に育て上げたカリスマ経営者の哲学と素顔
詳細数千万円の寄付を1日で集めた女性実業家たちの社会貢献財団 伝統文化を守り、社会的弱者支援を行う女性経営者たちの「良心」
詳細たった18年でこの国最大規模のコングロマリットを築いた女性経営者 苦境を何度も克服し卓越した顧客サービスで躍進するグローバル企業
詳細スーチーさんに似た聡明で美しい方だった。19歳で自力で美容サロンを立ち上げ、今や著名人やセレブご用達の有名店にした。今年はミスコンの代表にも選ばれ、モデルとサロン経営に忙殺されるが、写真家としても腕を磨き、美意識を高めていくという。
詳細ロンドンに居を構え音楽活動を続ける国際的な人気シンガー 11月の「ミャンマー祭り」であの名曲「風」を日本語で熱唱
詳細新世代から生まれた17歳のミス・ワールド・ミャンマー代表 11月の米国首都での世界大会へ向け日夜猛特訓に励む
詳細寛容と慈悲の精神にあふれるミャンマー女性の尊厳を守り 人身売買根絶や様々な女性の難題に全力で立ち向かう組織
詳細泰緬鉄道記念博物館に「世界平和の塔」を建立 「負の遺産」に向き合い正しい歴史認識を世界へ
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再び日本語ブーム到来で問われる日本の姿勢と支援 語学教育一筋の外大学長が語る国際化と今後の課題
詳細親善大使が確信するミャンマープロレスの可能性 地元の選手育成に日本のプロレス界が全面協力
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Khin Myat Myat Aung キン・ミャ・ミャ・アウンさん Teak Travel & Tours Co. Ltd. Director ミャンマー有数のチーク材輸出会社を経営していた父が突然世を去り、20代の若さで稼業を継いだ。そして見事に立て直したが、将来を見据えて旅行業に転じた。営業力抜群の妹の協力を得て、このフィールドでも会社を軌道に乗せた。その奮闘ぶりをうかがった。
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生まれはミャンマー西部のエャワディー管区パンタノ。我々日本人にはなじみのない地名だが、1960年代に米ソのキューバ危機回避に奔走した当時のビルマ出身の国連事務総長ウ・タント氏の生まれ故郷としてミャンマー人にはよく知られている。 今回紹介するボボテさんにとっても、彼は故郷の英雄で誇りでもあった。そしてボボテさんは、世界を相手に堂々とわたり合うウ・タント氏のように、子供のころから自分も海外へ出て活躍したいという夢をもっていた。
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FB フォロー数約20万人という幅広いファン層を持つ人気女優 悪女、汚れ役にも挑戦、不動の地位を築いた名バイプレイヤー
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「戦うアイドル」としてスターになったラウェイ女子チャンピオン 生来の負けん気と才能で世界の強豪に立ち向かい頂点を目指す。 ラウェイの世界に飛び込んでわずか9か月でミャンマーでは敵なしの最強チャンプになった。日本へも2度遠征し善戦した。まだ21歳でアイドルとしても人気急上昇中だが、夢はやはり世界の頂点だ。ミャンマー女子格闘技界の逸材であることは疑う余地はない。
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天は「美貌」と「才能」の二物を与えた。セレブご用達本格エステを開業した女医 難関のヤンゴン第一医科大学を優秀な成績で卒業した女医の夢は美容エステだった。バンコクの有名病院で研修を積んだのち、今年ご自分の高級エステを開業。セレブご用達として著名人が引きを切らない。医師ならではの的確なカウンセリングが信頼を得た。
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医科大を卒業した研究熱心な女性が、ライフワークとする食品ビジネスで成功を掴んだ。誰もが気付かなかったミャンマーの自然食材を加工して、海外で評判を得た。アインシュタインを尊敬する学者肌の資質が、この国の食品ビジネスに新風を吹き込むか。
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一代で成功した女性実業家が起こした社会貢献事業が大反響 不幸な女性たちの自立支援のための女性専用ホステルを創設 今年、既婚者を対象にした「ミセス・コンテスト」で優勝した。40歳になっても衰えぬその美貌に比例するように、従業員100人を束ねるこの女性実業家の心も純粋で美しかった。不幸な女性支援に私財を投じて立ち上がった彼女の行動に世界のメディアが注目した。
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16歳でチン州から上京した少女が12年かかってついにミャンマーのトップ女優に上り詰めた。数々の挫折と屈辱を味わいながら、家族のために歯を食いしばった。アカデミー賞2度受賞は伊達ではなかった。
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日本の大学や「トラジャル」で学んだ経験を観光業に生かす 国際感覚あふれる親日女性実業家が描くこの国の将来像 ミャンマー政府ホテル観光省に身を置きながら、日本の大学への留学に加え、あの「トラジャル」でも学んだ旅行業の専門家がこの国の観光業の改革に奔走する。女性支援にも力を注ぐ女性実業家の良心に感銘を受けた。
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2年連続出場のプエドーで彼女がウィンと歌った「共に作る未来」と題された曲は、昨年のプエドーのプロジェクト曲で、作曲は森崎ウィン、作詞がAh Moonだった。
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13歳で女優デビューを果した。まだ21歳の若さなのに芸歴は8年になる。早熟といってしまえばそれまでだが、祖父がアメリカ人で、白人の優性遺伝子をを受け継いでいるせいか、どことなく大人びていて、時々覗かせるキリッとした笑顔は、一流女優張りの貫禄が漂う。
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先月12日.タニンダリー管区のDr LAI LAI MAW首相が、贈収賄の疑いで逮捕・起訴され失職した。2016年にNLDが政権を握って以来、汚職で起訴された最初の地方自治体のトップとなる。
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今月号で創刊6周年を迎え、弊紙のこのコーナーにお招きしたゲストもすでに60人を超した。誠実で芯が強く、頑張り屋の多いミャンマー女性は、どの方にお話しを聞いても、非常に正直に、そして本音で胸の内を吐露してくれるので、聞き手としてはとてもありがたい。
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ヤンゴン市街の渋滞緩和策の一環として、昨年、ダウンタウンのボータタウン埠頭と市街北西部のインセイン埠頭を結ぶ定期船「ウォーターバス」が就航したニュースは話題を呼んだ。わずか300Ks(約25円)の運賃で、急行なら約40分、普通なら130分間もヤンゴン川クルーズを楽しめるとあって、通勤客だけでなく観光客にも好評を博しているという。
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ヤンゴンには、というよりミャンマーでは2つの有名なミャンマーレストラン(ビルマ料理)がある。ひとつはヤンゴン管区政府庁舎から南へ1キロばかりいった邸宅街にある「Padonmar Restaurant」で、長らくミャンマーレストラン協会の要職にあったSonnyさんがオーナーを務めるここは、どちらかというと西洋人観光客で賑わいを見せている。
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対人恐怖症気味だった少女が、女優に挑んで人生を変えた。伝統舞踊にもジャンルを広げ、大学で専攻した建築学への修練も怠らない。
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1988年の民主化運動の騒乱の前後に日本に渡ったミャンマー人は多いが、2007年9月23日には僧侶を中心とする大規模デモが再びヤンゴンで発生したときも同様の現象が起こったという。
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