◎導|A Leader's  「Culumtioクルムティオ株式会社」代表取締役/谷 恭子Kyoko Tani( ジュエリーデザイナー)

素敵な素材を求めてミャンマーへきて2年半 息子と2人3脚で待望の路面店もオープン

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    2013年からミャンマーで始めた「クルムティオ」も、おかげさまで今年はBargayarRd,に待望の路面店をオープンすることができました。これまでご協力を頂いた皆様方には本当に感謝の気持ちで一杯です。
     私が初めてこの国に来たのは2012年3月のことでした。当時、すでに日本ではネット販売を中心に「クルムティオ」ブランドは立ち上げていました。私は、子供のころが“色”に対して興味が旺盛で、芸術や美術にも関心がありました。だから美しいものやアクセサリーなどが大好きでした。将来、綺麗な素材で世界に2つとないオリジナルのアクセサリーを作れたら、といつも夢見ていました。
     日本ではそれが現実化し、仕事への意欲が湧き出したころ、いつかはミャンマーへ行って、美しい石やカラフルな素材を探してみたいと考えるようになりました。この国はご存知のようにヒスイなどの素晴らしい宝石やアクセサリーの素材が沢山ありますからね。もちろん、実際にミャンマーに来てみたらその通りでした。じつにいろいろな個性的な石やアクセサリーの素材に出会いました。
     そんなことで最初にヤンゴンに来て、すっかりミャンマーにとりつかれてしまいました。それから3か月後に再び来緬し、翌年の4月にヤンゴンで「クルムティオ」を開業するまで、何度も足を運びました。その間ミャンマー人の友人が何人もでき、その1人の方の協力で、ミャンマーの宝石をデザインしたオリジナルのアクセサリーを販売する拠点を作ることができたのです。

    でも、実を言うと、最初はエステサロンも開いていたんですよ。日本では某大手化粧品会社の美容部員を18年もやっていましたから、女性のメイクや美容については専門だったんです。でも欲ばり過ぎたのか、Ⅰ人でエステとアクセサリーを同時にやるのには限界を感じました。なにしろ、エステとなると、お客様の時間に合わせて仕事をしていかなければならず、結構時間が拘束されてしまい、アクセサリーの製作時間が無くなります。
     それで、すぐに思いきってエステを辞め、アクセサリー1本にしたんです。結果的にはこれが正解でした。「クルムティオ」は、ネットで見た日本の方からもかなりオーダーが来るようになり、何とか軌道に乗り始めました。
     でも今振り返って見れば、最初のころは大変な毎日でした。エステをやっていたときはお湯が出ないばかりか水も止まって、挙句には停電。一時はどうしようか、この先ずっとずっととやって行けるかしらと思い悩みました。1人になったときに涙したことは数え切れません。今となっては良き思い出になっていますが、その私に勇気と生きがいを与えてくれたのは、やはり一緒に来て頑張ってくれている小学生の一人息子です。私が忙しい時、仕事で外出しなければならないときは、不平も言わずにメイドさんと留守番をしてくれています。また、日本へ1人で帰るときもありますが、そんなときもちゃんと言いつけを守って待っていてくれます。本当は一緒に連れていきたいのですが、そうもいかない場合もあるので、そのときは心を鬼にして我慢してもらいます。
     そんな息子に驚かされることもあります。先般、理由がわからずにスタッフが辞めてしまったときなどは、息子がお店の前でチラシを配ろうとしているのを見てびっくりしました。普段は甘えん坊のように見えても、母親の仕事をしっかり見ているのだな、と改めて思いました。母親が困っているときに少しでも力になりたいという、そんな息子のいじらしい姿をを見ると、本当に胸が熱くなります。

    現在は東京の荻窪に「クルムィオ」の本社があります。大阪の阪急梅田店では期間限定の展示会をやりましたし、東京ではビックサイトや自由が丘など展示会をかなり行っています。仕事も順調に来ていますし、ミャンマーの「クルムティクルムティオ」の名も、結構広く知られるようになりましたね。
     現在、私がヤンゴンに来た当初に比べれば、日本人の方々も増えてきています。沢山の邦人の友人もできました。力になっていただける方も増えました。人間、1人では何もできない、いろいろな方々の支援があったからこそ、ここまで来れたのだと、いつも感謝しています。(続く)

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