◎顔|Face ミャンマー伝統舞踊家「Ta Khine Lone Shwe」芸能グループ主宰 Daw Aye Aye Myint エー・エー・ミンさん

世界が認めたミャンマー伝統舞踊の第一人者。43年のキャリアが紡ぐ“重要文化財”級の芸

目次

 日本舞踊でいえば名門流派の家元的な存在である。7歳から始めたミャンマー伝統舞踊は、すでに43年の歳月を経て、今やこの国で知らぬものがいないほどの域に達している。世界的な賞にも輝き、文楽協会からも招待を受けた。国民が愛する希少な文化の継承者だ。

バガン王朝時代に誕生 広く大衆芸能として普及

ミャンマーの伝統舞踊と聞けば、どうしても日本舞踊を引き合いに出したくなる。日本の起源は神話にまでさか上るというが、雅楽や農民の間から生まれた田楽や猿楽が出現したのは、約600年前に、中国から芸能が伝わってからだ。これが能楽や狂言のルーツになったと言われている。
 「舞踊」という形になったのは諸説あるが、それから200年後に巫女たちがお守り販売のための客寄よせで、鐘を鳴らしてグループで踊った「念仏踊り」が元祖だとも言う。中でも、最も目立ったのが、ロザリオを下げて異国情緒あるいでたちで踊った出雲の阿国 (おくに)で、これが歌舞伎の誕生にもつながったという逸話は有名だ。明治期になって、作家の坪内逍遥が西洋の“ダンス”という英文を“舞踊”と訳して使い出してから、「日本舞踊」という言葉は広く定着した。そう考えると、ミャンマーの伝統舞踊とはいかなるものなのか。
 「バガン王朝時代に、王様の前で披露したのが始まりです。もちろん大多数を占めるビルマ族の踊りですが、敬虔な仏教徒の多いビルマ族ですから、仏事で披露する踊りから始まり、その後大衆芸能としての舞踊が発達していきました。古典的なバガンの踊りやパティンの雨傘を使った雨傘踊り、また恋愛を表す男女の舞踊など、スタイルも色々生まれましたね」
 こう説明してくれたのは、自他ともに認めるこの国の伝統舞踊の第一人者であるエーエーミン先生だ。彼女は現在「Ta Khin Lone Shwe」という芸能グループを率いる座長さんでもあり、ほぼ毎日のようにミャンマーの高級ホテルで、伝統の舞踊ショーを公演している。
 ショーはほとんどが夜のため、その合間を縫って午前中は自ら主宰する「ミャンマーカルチャースクール」で、若い生徒さんたちに伝統芸能を教えている。
 「舞踊だけではないんです。操り人形やビルマハーブ(竪琴)やサイロフォン(打楽器)や太鼓などの楽器も教えています。すぐ上の姉がビルマハーブの奏者なんですよ」

一家揃って伝統芸能に携わる 師とも仰いだ亡き夫との出会い

ミン先生が伝統舞踊に目覚めたのは7歳の時だった。そして8歳の時に舞踊の学校へ行った。父がビルマハーブをやっていて、祖父も太鼓の名手だった。7人兄姉の末っ子で、現在家族すべてが関わる芸能一家だった。
 「12歳になったときに、文化の日の祝日に初めて人様
の前で踊りを披露しました。父が竪琴を引き、家族で出演しました。これが評判を呼びました。公演終了時に、観客の一人として来ていたウ・ツーカ監督に花束をプレゼントしたんですが、アカデミー賞を5度も受賞した大監督もえらく気に入ってくれたと、あとから聞きました」
 それから7年後の19歳の時には、ミン先生の名は国中に知れ渡っていた。普及し始めたテレビ放映の影響が大きかった。「この世界では有名になっていた1993年、28歳の時に、伝統舞踊の師と仰ぐ方と結婚しました。彼は私にとって恩人のような人でした。名前こそ売れていましたが、マネージメントのイロハも知らなかった無知な私に、いろいろとアドバイスをしてくれました。私が今日あるのも彼のおかげです。尊敬できる人でしたが、12年後の2005年に病気でこのを去ってしまいました。私の人生の中で、一番辛く、悲しい出来事でしたね」 
 しかし、かけがえのない一人息子を授けてくれた。息子さんは現在20歳で俳優兼モデルとして活躍しているが、母の伝統舞踊を猛勉強中で、ゆくゆくは後継者になるのではと、期待されている。
のだろうかと聞いてみた。ミン先生が取材時に見せてくれた生徒さんたちとのレッスン風景を見る限り、手先の動き、表情などに相通づるものがあるような気がしたからだ。
 「日本舞踊は映像でしか見たことがありませんが、ミャンマーの舞踊は、優雅さと優しさを前面に出します。だから、おっしやる通り、表情や目線、手先、指先の動きなどが重要なんですね。そのあたりは共通するものがあるかもしれません」
 名前が売れてくると、外国人から舞踊や竪琴のレッスン依頼が増えてきた。当時の日本大使夫人や日本人学校教師の奥様などからも個人教授を頼まれたという。また世界的な日本の電機メーカーの会長夫人にも伝統舞踊をお教えしたそうだ。

そして2008年、欧州から幸運の知らせが舞い込む。「International Arch of Europe Award」受賞の吉報がスペインから届いた。マドリードに本部を置く組織B.I.D.(Business Initiative Directions)が、世界62カ国の企業を対象に、高水準の企業を表彰する世界的なビジネス賞だが、ビジネス以外にも数ある部門賞があり、その中の芸術部門における受賞であった。「ノミネートされていることも、いつ審査されたのか、秘密裡に行われているので、知らせが来たときは本当に驚きました」
 今年8月には、日本大使館らが主催した「日緬人形劇交流事業、文楽、人形劇」のコラボが行われたが、ミン先生もこれに参加した。「公演は有意義なものでした。終了後に文楽協会の方から日本への招待を受けました。日本大使館でも文化交流ということで、すぐにビザの用意もしていただきました。でも、ミャンマーの文化省の方の承認が下りなくて断念しました」
 海外に伝統文化を広めたいと思っていただけに、日本へはどうしても行きたかったという。その憧れの日本に対しては、次のよう
なメッセージをいただいた。 
 「日本人は心のやさしい温かい民族です。でも一つだけどうしても気なっていることがあります。テレビなどでお寿司や刺身を食べるシーンを見ると、おいしそうなんですが、ついお魚の立場になって考えてしまいます。あまり獲リ過ぎないようにしていただきたいと思いますが」。
 このコメントは意外だったが、信仰心厚い仏教徒で殺生を嫌うミャンマーならではの見方なのかもしれない。

<Ta Khaing Lone Shwe Aye Aye Myint 略歴>
本名     - Aye Aye Myint 
年齢     50歳  血液型   -A型
ビルマ族、仏教徒
身長     - 160㎝
家族     - 7人兄姉で末子
現在3人の姉と息子の5人家屋。
- 1993年に結婚し、夫は2005年にて死去。息子は現在20歳。
- 母の伝統芸術を継承すべく勉強中。現在モデル&俳優。
職業     - 午前中は経営するカルチャースクール(竪琴、木琴、
操り人形など)で教師として授業を行う。午後からは高級ホテルで
外国人向けの伝統踊りを公演している。
海外経験   - シンガポール(2回)、バンコク(2回)、マレーシア、カンボジアなど
ビデオ    - 5枚
テレビ放映 - 120回

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