◎顔|Face 歌手、作詞家:Daw Nwet Yin Win ヌエ・イン・ウインさん

半世紀の芸歴を持つ国民的歌手が今明かすスーチーさんとの絆 息子さんが「血の絆」のヒロインと結ばれた国際的ファミリー

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 のっけからハイテンションだった。洋楽の大歌手と聞き及んでいたので、大御所然とした方を想像していたが、挨拶時に「ハーイ!」と気さくな笑顔で手を握られたときは、少々出鼻をくじかれた。しかし聞けば彼女は家族ぐるみでスーチーさんとも親交があり、今回のNLDの圧勝劇では、大きな役割を果たしたようだ。このあたりの興味深いお話もうかがえた。

ミャンマー洋楽界をけん引する大御所 懐かしの「オールディズ」で意気投合

今回のゲストであるヌエさんは、ミャンマーのポピュラー、ジャズ界を約半世紀にわたりけん引してきた第一人者で、日本でいえば今は亡き「越路吹雪」的な大歌手といってもいい存在だ。
 失礼ながら冒頭でテンションが高いと書いたが、当方が最初の質問を始めようとした矢先に、「ねえ、ねえ、この曲知ってる? “骨まで~骨まで~、骨まで愛してほしい~の~よ~“」と、流暢な日本語で神妙に歌い出したのには二度びっくりした。なぜヌエさんが60年代に大ヒットした故城卓也さんの持ち歌をご存知なのかは聞きそびれたが、話し出すとその勢いはとまらない。そしてしばし懐かしき音楽談義で意気投合した。
 「あなた、私に近い世代なら、60年代のポピュラーソングを聞いたことあるでしょ?コニーフランシスとかクリフリチャードとか。これ、私の青春。本当は教師になろうと思っていたんだけど、10代で彼らのメロディーを聞いて、歌手への夢が生まれたのよ」
 当然存じてます。当方にとってもまさに青春でしたと、申し上げると、「じゃ、この曲知ってる?ヴィ、エー、シー、エー、ティアイオーエヌ~(Vacation)、知ってるでしょ?」と、 旧知の友に同意を求めるような口調でほほ笑んだ。もちろん当方も10代のころに何度も口ずさみましたと告げると、彼女は大きな瞳を一段と輝かせた。今の若い方がたは全く知らないと思うが、団塊の世代以上の方なら、当時欧米からラジオを通して流れてきた俗に言う「オールデイズ」のポピュラーソングは、まさに青春そのものだった。その懐かしき思い出をミャンマーの国民的なシンガーと共有できるとは、想像だにしなかった。

英語教師から歌手の道へ転じて成功 子供たちも歌手になった音楽一家

ヌエさんのお父さんはお医者さんで、幼少のころは何不自由のない裕福な家庭で育った。「でも手術とか血を見たりするのが嫌いで、ドクターになるつもりはなかったわ。はじめは英語の教師を目指したの。だから大学では英文学を専攻したけど、カトリック信者だったから教会でゴスペルや讃美歌なんか歌うでしょ。そのうち歌うことが好きになって、教師はあきらめたのよ」
 1945年4月生まれの彼女は、くしくもアウンサン・スーチーさんと同い年で、ヤンゴンの名門の小学校でも同級だった。
 「特に親友というわけではなかったけど、そのころからオーラがあったわね。でも彼女は4年生の時にお母さんの仕事の関係で海外へ行ってしまったし、私もカトリック系の学校に転校したから、それから30年以上、お会いすることはなかったのよ」
 ヌエさんも19歳で本格的に歌手デビューし、欧米のポピュラーソングやジャズなどのカバー曲で頭角を現していく。それは彼女の英語力の高さも武器になった。この対談中でも、クセや訛りのない美しい英語を流暢にあやつっていた。
 「もちろん、CDやレコーダーなんかない時代だし、ラジオで聞いていい曲だと思ったらメモするとかして覚えたわ。それからしばらくしてカセットデッキが出てきて、ずいぶんと歌をストックできたけどね」
 その後数年して、ヌエさんには素敵な出会いが待っていた。ヤンゴンに寄港していたフィリピン船の船長と恋にちた。そしてしばらくして結婚。2男2女の子宝を授かった。

「血の絆」のヒロインと長男が結婚   緬比、日の国際家族になる

血筋は争えない。子供たちは成長すると、母と同じ道を歩み始めた。2人の娘さんと長男は歌手としてステージに立つまでになった。中でも長男はレゲエというミャンマーでは珍しいジャンルのシンガーとして1人立ちしていった。
 そんなとき、のちにヌエさん一家にとって深い絆で結ばれることになる、日緬初の合作映画「血の絆」(監督:千野晧司)の第2次ロケが始まった。2000年の初めの頃のことだった。この映画はJJママレーのベストセラー小説「THWAY」が原作で、第二次大戦末期のインパール作戦に招集された父親と当時のビルマ人女性との間に生まれた「異母弟」を捜し歩き、ついに巡り合う日本人の姉美冬(主演:麻生かおり)の感動的な物語で、2003年に公開されて「日本映画批評家大賞奨励賞」(2004年)など、数々の賞に輝いた名作である。
 ミャンマーのロケでは大勢の人々がエキストラで出演してくれたばかりか、当時の軍事政権も非常に協力的だったと、のちに千野監督は述懐している。主演の麻生かおりさんもビルマ語の猛特訓を受け、ミャンマーの人々にも大きな感動を与えた。その打ち上げパーテイの席上で、かおりさんはヌエさんの長男と意気投合、のちに結ばれた。
 「そう、フィリピン、日本、ミャンマーと、これで本当にインターナショナルな家族になったでしょ」と、この話が一段落すると、ヌエさんは本当に嬉しそうに笑った。

スーチーさんに心酔した歌手の長女 NLD 大勝の陰に長女の熱き支援が

一方、長女も今や歌手としてその名が知られるようになったが、彼女は熱烈なNLDの支援者の一人でもある。というのも、1988年に母キンチーさんの看病のために英国から帰国したスーチーさんは、学生運動のリーダーたちから懇願され、ついに自ら民主化運動の先頭に立つことを決心し、ヤンゴンの人民公園で30万人ともいわれた民衆の前で宣言をした。その後何度か自宅軟禁生活を余儀なくされるが、このときにスーチーさんは子供たちのために自宅で塾を開いていたという。これは初耳だった。むろん、政府への手前、参加するには勇気が要ったが、何とヌエさんの長女は臆することなく毎回参加したという。当時中学生だった。このときの出会いで、スーチーさんとも深い絆ができた。人様の結婚式にはよほどの理由がない限り出席しないスーチーさんが、長女の結婚式には真っ先に駆けつけ、心から祝福してくれたという。
 「ですから今回の選挙に対しての長女の気の入れようは半端ではなかったわね。選挙運動開始の公示が出た10月から、長女は全国35か所の選挙区を回り、NLD の応援に奔走したんですよ」
 とヌエさんはこともなげに言うが、自作の応援歌まで作り、それをテーマソングにしながら投票日前日までびっしり支援活動するのは本気でなければできないし、長女のスーチーさんへの心酔ぶりがうかがえる。余談だが、このテーマソングは今巷でヒット中だそうである。 もうすぐ71歳になるヌエさんだが、とてもそんなお歳には見えない。どう見ても50代前半の若々しさである。現在は社会的な貢献活動にも精を出す。
 「あえて言いますが、この国は30数年間、ミス・マネジメントをしてきたわね。それで若い人達は教育が十分に受けられなかった。スーチーさんもおっしゃっているように、これからはミャンマーにとって教育制度が非常に大事です。しっかりやらないといけない。そのために私は協力を惜しまないわ。それと、歌手ですからやはり芸儒家たちの権利を保護しないと駄目。お恥ずかしいけどこの国には著作権というものがない。すぐコピーされてしまう。これは改革していかないと」
 今、彼女はミャンマー音楽家協会の事務局で、この著作権問題に取り組んでいるそうだ。確かに、これからミャンマーが国際間の交流が活発化していけば、必ずこの問題に必ず直面する。
「その点日本はきちんとしているわね。私はもう数えきれないくらい日本へ行ってるけど、日本はあらゆる面でお手本にできる国だ
と思うわ。これからもミャンマーのために協力、支援を忘れないでほしいと思っています」
 最後は神妙にコメントをしてくれたが、国際感覚あふれるヌエさんのような方がどんどん表に出てきて辛辣な意見を言えるようになれば、ミャンマーの行く末は安泰だ。

<Daw Nwet Yin Win 略歴 >
本名   - Nwet Yin Win
生年月日 - 1945年4月23日  70歳
血液型  - A型  カトリック教徒
学歴   - ヤンゴン大学 英文科卒 M.A (English)
家族   - 夫君Captain Albert Begent、息子2人、娘2人
夢    - これからやりたい事は山ほどあります。まず国が良くなって
       ほしいので、   
       平和にを願う活動にも参加していきたい。宗派を問わず、
       誰でも平穏に生き、生活できるようにしてあげたいと
       思います。

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