◎街場|街を歩く  第 30 回 シュエダゴンパゴダ通り Shwedagon Pagoda Road

シュエダゴン南側から南端ストランドを結ぶ由緒ある通り

南のストランド通りとシュエダゴンパゴダの南参道前のウダゥンボ通りを結ぶ。環状線利用の場合は、バヤーラン駅を降り、ヨウミンジー通りの西側に出られる。ネーミングにもなる「シェダゴンパゴダ」を始め、歴史的建築物も多く、一方で重要なビジネス、行政関連施設も多い。数年前まではヤンゴン管区司令部があり、軍用地も多かったが現在は一部が様変わりしている。シュエダゴンパゴダ付近には、礼拝堂、四つの霊廟、マハーウィザヤ・パゴダなどの仏教施設もあり、観光スポットにもなっている。

ALAN PYA PAGODA アランピャ パゴダ

自然の探索路を抜けてゆくパゴダで、最近注目が 名前は知る人ぞ知るが、訪問者は少ない。旧ヤンゴン管区司令部内に位置していたためか、あるいは何年前は軍用地のため関係者以外立ち入り禁止だったからだろう。現在は管区司令部の一部が移転したため、観覧訪問ができるようになった。シュエダゴンパゴダ通りにある黄色の看板が目印で、この門から入ると自然探索路を往ける。Alan Pya Pagoda, Bayargyi Quarter , Dagon Township . このパゴダの境内には参拝堂があり、英国の作品と思われる絵が飾られている。三体の仏像の一体は、いかにも英国風に描かれている。他のパゴダにはほとんど見られな仏教画だ。参道にはミャンマーの偉人たちが寄贈した記念のモニュメントが並ぶ。

7度の名称変更を余儀なくされたパゴダ ヤンゴンを支配したオッカラパ王朝時代に、商人兄弟がお釈迦様から貰い受けた8本の聖髪をシングッタヤの丘に供えに行く時、国民総出で迎えたことから「サントゥー(お釈迦様の髪)チョェ(迎える)パゴダ」と命名された。 ミャンマー旧暦(1137年)のシンピューシン王朝時代に、王が市内 を視察したとき、「ミンラッワェー」という武将が改修工事をしたことから「ミンラッワェーパゴダ」と改名された。 モン族の歴史には「ミンラッワェー・パゴダ」を、モンの勇壮兄弟の弟が改修したことからモン語で「キャイカポェッツパゴダ」と言われている。 1824年(ミャンマーの旧暦1186年)、隣のバングラデシュ人の少将 Maccreaghが、二年ほど駐留したとき、MC Creagh’s Pagoda 」と命名した。 1835年には、中将のMr.Saleのゴラ軍隊が駐留したときに「Sale‘s Pagoda」に名称変更された。第一世界大戦時(1910~1920年)にはゴラ軍隊が駐留したため、「ゴラコンパゴダ」と呼ばれ、第二次大戦後までこの呼び方が通例だった。 ミャンマーの南部が英国に占領された後、このパゴダに駐留し、船舶の離発着時にサインを送ったことから,「旗(アラン)、見せる(ピャ)」と名付られた。幾多の名称の変遷を経て、現在はこの通名で親しまれている。

MAUSELOUMS 歴史を刻む4つの霊廟

■タキン・コドゥーマイ霊廟■ 革命、愛国、平和、民主運動に参加し、作家としても活躍した偉人「タキン・コドゥ―マイ」(1876~1964)の名をつけた霊廟で、マークにその証が刻まれている。

■マハーチリッダマ・キンチ霊廟■ ミャンマーを率い、国軍の父と崇められたマハーチリッダマ・キンチ(1912~1988)の霊廟で、かの有名なアウ ンサン将軍の妻であるキンチ

■スブヤーレッ霊廟■  コンバウン王朝時時代の第11代王チポーミンの王妃スブヤーレッ(ミャンマー旧暦1221~1287)の霊廟である。霊廟前には文字が見えにくいが霊位がある。

■ウー・タント霊廟■ ミャンマー人初の国連事務総長になったウー・タント氏(1909~1974)の霊廟だ。1962 ~1966年 の事務総長在職中にキューバ危機が起こり、東西冷戦時代が引き起こした難問題の解決に奔走し、世界にその存在感を示した。

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