◎今月の視点 若者たちに「ミャンマードリーム」を。だからあえて”火中の栗“を拾った。

1月は寒かった。30度近くなる日中はともかく、朝晩は10度前半で、ゴルファーにとってはパラダイスのような気候だった。

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    1月は寒かった。30度近くなる日中はともかく、朝晩は10度前半で、ゴルファーにとってはパラダイスのような気候だった。早朝からスタートすれば、18番ホールに来る頃には、少々汗ばむ絶好気候だ。娯楽が少ない国だけに、邦人の方々は、このシーズンが待ちどおしい。
     娯楽言えば、今月12日にミャンマー初のプロレス大会が開催される。この言い方だとまるで他人事のようだが、じつを言うとこの大会は、弊紙と日本のプロレス興行団体の「ゼロワン」の中村祥之社長の2人で決め、両社で主催するチャリティーイベントである。企画は1年前から立案していた。中村社長は、2年前にフジTVの特番「世界行ってみたらこんな所だった、ミャンマー編」という番組のプロデュースを行い、弊紙が全面コーディネートした。それ以来のお付き合いであるが、約1か月にわたりミャンマー全国をロケし、行く先々でこの国の人々の無垢で素晴らしい情愛に触れ、彼はすっかりミャンマーに魅せられてしまった。それから何度も来緬し、訪れるたびにこの国のために何かできないかと考えていたという。
     当方と2人で、世界最強の格闘技と恐れられる、「ラウェイ」という伝統スポーツを観に行った。そのときに最低でも2万チャットもする入場料だったが、4千人収容の会場は超満員になり、たまたまタイのムエタイとの対抗戦で、後半にミャンマー側が次々にタイの選手にKO勝ちすると、会場は熱狂と興奮のルツボと化した。
     「これだ!」。中村社長はこのとき日本のプロレス興行をこの国で開催したいと思った
    と、のちに述懐している。
     中村社長は、発展途上国での興行経験は豊富だった。4年前にネパールで同じ試しみを行った。かの国初のプロレス興行を首都カトマンズを中心に、ネパール全国で数回開催した。結果は大成功だった。成功どころの騒ぎではなかった。
     最初はヒール役の外人選手がネパール選手を散々痛めつけ、最後には傷だらけのネパール人が反撃に出て勝利するという筋書きを演出していたが、その瞬間は4万人の観客はもちろん、国中がまるで戦争にでも勝ったの如く大騒ぎだったという。そしてその後プロレス道場を作り、ネパール人のヒーローを育てあげた。そして今ではプロレスはかの地では人気のイべントとなり、定期的に興行が行われているという。それを見届けると、中村社長はネパールを後にした。自分の役目は終わったのだと自覚した。清々しい生き方である。
    この話を聞いて当方は感動した。敗戦で打ちひしがれていた昭和30年代、小学生だった当方は、夜8時近くになると人で溢れ返った街角の白黒街頭テレビの前に行き、1人のヒーローが憎っくきヒールの外人選手を、伝家宝刀の空手チョップでなぎ倒す瞬間を、こぶしを握り締めて今か、今かと心臓をドキドキさせながら見つめていた。
     もちろん、子供だったからそこに演出を感
    じることはできなかった。大騒ぎする聴衆に混じってこぶしを突き上げたりもした。娯楽
    が少なかった日本の成長期で、これほど国民を熱狂の渦に巻き込むイベントが存在したのだ。だから、ネパールの情景が目に浮かんだ。

    そうした幼少時の体験があったからこそ、
    「ミャンマーでも国民が一体となるイベント
    ができる、それがプロレスだ」という中村社長の熱意に当方もほだされたのだ。 しかしことは簡単ではないことは十分承知していた。まず資金的な問題である。大企業ならいざ知らず、こちらはたかだかフーリーペーパーの発行人である。しかし、友人のミャンマー人有力者に頼み、昨年6月にツワナスタジアムの会場予約だけは押さえた。だが、肝心の政府の許可が下りない。ミャンマーは11月の総選挙で各省庁はプロレスどころの話ではなかったのだ。許可が出なければ正式にスポンサーが募れない。時間ばかりが過ぎたが、とにかく準備だけはしておこうと、中村社長は日本の有力なプロレス選手に声をかけた。ここで予想外な事が起きる。最初に相談した蝶野正洋氏がこの企画に賛同した。  幻の格闘家と言われた田村潔選手も昨年末のイベントを断って、再びリングに上がってくれる心意気で賛同したという。外国人選手も元チャンピオンクラスで、計5か国から集結する。そしてついにあの元横綱曙太郎選手も参戦の意志を示した、余談だが、大仁田厚氏、長与千種さん、それにあの大御所アントニオ猪木さんまでが、「俺も連れていけ」というお声掛けを頂いたという。これも中村社長の人脈だが、今日本ではミャンマーの話題が連日流れ、この国の復興にひと役買いたいというレスラーが後を絶たないという。おかげで、日本のメディアは過熱した。テレビではスカパーがドキュメンタリーで最後まで取材する。日テレ日曜夜の人気番組「バン記者」も特集として放映を決めた。むろんスポーツ紙もほぼ全紙取材陣を派遣するという。しかもあの経済誌「フォーブス」までもが特集を組むことを決定した。ミャンマーではスカイネットTVが、ほぼ4時間にわたって生中継する。当然日本の一般紙やNHKもニュースで流すだろう。協力いただいた某広告代理店の試算だと、大会スポンサーになれば、広告効果は数億円になるそうだ。

    政府の許可は選挙後の11月末にやっと下りた。イベント開催約2か月前で、正月を挟んではスポンサー募集もままならない。だから腹を決めた。中村社長は私財を投げうって資金調達した。当方も微力ながら協力した。しかし、最後に思わぬサプライズが待っていた。12月の某日、ツワナの会場が政府イベントで2月10日~14日まで使用禁止という通達である。仕方なく、ラウエイの常設会場である「テンピュースタジアム」を急きょ頼み込んで1日前の12日を抑えた。選手のスケジュールは変更できぬため中止も脳裡に浮かんだが、11日に来緬するので何とか実行する決断を中村社長とした。ポスター、チケットも作り替えた。
     もう何が起っても驚かないが、この大会は決して金儲けのためではない。我々の究極の夢は、ただ1点「ミャンマードリーム」をお創りすることである。ミャンマーの若者たちがあの「タイガ-マスク」になって、プロレスでひと旗あげられる、家族を楽にしてあげられる、という希望とチャンスを提供できたらと、中村社長といつも語り合っていた。だから、無謀でもあえて火中の栗を拾うことにした。水害復興支援チャリティーイベントだけに、皆様のご来場をぜひお待ちしています。

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