◎2018 新春特集 これでいいのか「国連」!

「国益と経済闘争の駆け引きの場になりつつある巨大組織」 官僚化が進む「世界政府」の問題点と存在意義を今一度考察する

目次

先の大戦後に誕生した「国連」は国際平和と人権を大きなテーマに掲げた「世界政府」的な使命をもって発足した組織だった。しかし最近は各国の利害や思惑がからみ、設立当初の崇高な趣旨とはかけ離れてきているような気がする。官僚化が著しく、部所によっては形骸化も進むこの組織は本当にこれでいいのだろうか。そこで、新年にあたり、今一度「国連」の意義について考察と検証を加えてみた。

「国連」の正式英語は「連合国」の意味に

 10年ほど前、私は「国連」の下部組織になる交流支援組織日本支部の事務局長を1年ほど務めたことがある。医療系の支援団体だったが、末端になると国連本部からの予算も出ず、活動自体はまさにボランティアの手弁当だった。しかし唯一支給された国連マークの入ったIDカードと名刺の威力は絶大だった。
 淡い青地に白い図柄で構成され、北極中心に描かれた世界地図とその両側を囲むオリーブの葉のマークは誰もが「国連」のシンボルと認識でき、これを提示すると先様の表情が変わった。たかだか「国連」の末端組織のボランティアに過ぎないのに、あたかもNYの本部からきたスタツフのごときの対応をされた。「世界政府」と言われているだけあって、「国連」の存在感はそれほど認知度が高く、畏敬の念を抱かれているのか、という思いを強くした。
 「国連」は先の第二次世界大戦を防げなかった「国際連盟」の反省を踏まえ、1945年10月24日、51ヵ国の加盟国で設立された。主たる活動目的は、国際平和と安全の維持(安全保障)、経済・社会・文化などに関する国際協力の実現である。
 しかし英語表記の「United Nations」は、第二次世界大戦中の枢軸国と対峙していた「連合国」が、自陣営を指す言葉として使用していたものを継続使用した。我々日本人は、学校教育で「国際連合」と教えられてきたが、本来は「連合国」の意味であり、これは仏語やスペイン語でも同様である。そして、日本の学校では「国連」は、常に正義の味方のように習ってきた。日本人は黙っていても、事あれば「国連」が何とかしてくれるのでは、という幻想を今も抱き続けている方が多い。
 ところが国連平和維持軍のヘルメットはよく見れば「UN」と書いてあり、それはまぎれもなく「連合国」の軍隊に他ならない。日本では戦時中の「連合国」と区別するために、「国際連合」と訳して呼んでいるのに過ぎないのだ。
 そして、残念なことに、現在「連合国」(国連)は、ロビー活動をする場所になってしまった。世界各国のエゴや利害がぶつかり合う、極めてドロドロした様相を呈している。各国のしたたかな知略、謀略が飛び交う場所になり下ってしまったが、日本政府といえば相変わらずロビー活動で後手を踏んでいるようにも見える。だから、日本は金だけ出して黙っていろ、という具合になってしまう。
 昨年の「国連」の通常予算分担金をみれば、一目瞭然。日本は米国(22%)についで第2位の9,68%を負担している。金額にして300億円を超す額だ。ちなみに3位がドイツ(7,921%)、4位フランス(6,389%)、5位英国(4,859%)となり、大国を自負する中国に至っては6位(4,463%)で日本の半分にも満たない。
 しかも驚くべきことに滞納、未納国がかなりの数に上り、米国にしても滞納や意図的な未納が多く、実質的に真面目に一番多く払っているのは日本な
のだ。次いでドイツとなるが、米国は未納分を差し引いても第3位。いずれにしてもこの3カ国で国連分担金の約50%を負担しており、残りの常任理事国4カ国の合計は15%にも満たない。
 さらにどうしても納得が行かないのは、戦後73年にもなっているのに、国連憲章の中に、いまだに「敵国条項」が存在していることだ。「敵国条項」とは、国連憲章第53条、第77条1項b、第107条に規定されている。その内容を簡単に言えば、先の大戦で連合国の敵国であった国々が、仮にこの事項に違反したり、侵略政策を具体化する行動等を起こした場合、国連加盟国や地域安全保障機構は、安保理の許可がなく当該国に軍事制裁を科すことができる、というものだ。そしてこれらの条文は敵国が敵国でなくなる状態については言及すらしていない。
 そのため旧敵国を永久に無法者と宣言したのと同然であり、敵国が起こした軍事行動に対して、有無を言わさず軍事的制裁を加えることができるというもの。それなのに国連憲章第2章では、主権平等の原則を謳っている。だからこの「敵国条項」の規定は、「連合国」(国連)の基本趣旨に反して、特定の国を差別しているとしか思えない。ちなみに現在この敵国条項に該当する国は、日本、ドイツ、イタリア、ブルガリア、ハンガリー、ルーマニア、フィンランドの7か国である。
 こうなると、敗戦国で未だに「敵国」扱いする日本、ドイツに金だけ出せて常任理事国から外し、重要な決定事項でご自分たちに不利になりそうな決議には拒否権を発動する安保理と「連合国」(国連)の醜悪な実態が見えてくる。
 その醜悪さは、「慰安婦問題」を見ても分かる。「日本=悪」というレッテルを貼りたい隣国やそれに同調する日本人や無知な外国人たちが、「国連」の傘に入って日本を攻撃している。昨年春まで事務総長だった潘基文(パン・ギムン)の時代は特に最悪と言われた。


 

 

 

 

「国連」の傘をきた反日活動が目に付くように

ここ数年、「国連」の活動状況や存在感に、やや首をかしげたくなるような出来事も多くなってきた。その最たるものが「安全保障理事会」である。安保理は、「国連」において国際平和と安全に主要な責任を負う機関である。15か国で構成され、米、英、仏、露、中国の5か国の常任理事国と、それ以外の10か国は総会で2年の任期で選ばれる非常任理事国である。
 各理事国は1票の権利を持っており、手続事項に関する決定は15理事国のうち少なくとも9つの理事国の賛成票が必要だ。しかし、実態は常任理事国の1か国でも反対票があれば、決議は否決される。このため、安保理はこの常任理事国の拒否権行使により、国際社会の平和維持や回復のためには機能しないことがしばしば見られてきた。 すべての国連加盟国は、この安保理の決定を受諾・履行することに同意している。国連機構の中でこうした履行義務を伴う決定ができるのはをこの安保理だけである。だから極論すれば、安保理はわずか5か国の常任理事国によって動かされているといっても過言ではない。実はこれが現在の「国連」の最大のガンひとつであり、かなり以前からこうした安保理の構成や拒否権の扱いについては改革の議論がなされてきた。
 安保理の目的は国際社会の平和の維持と回復であることは周知の事実だが、現実をみれば、常任理事国の5カ国、つまり核保有国で、強力な軍事力を持つ国々に牛耳られているわけだ。
 こうした安保理の改革が遅々として進まない状況に、常任理事国入りを目指す日本、独、ブラジル、インドは、昨年11月の国連総会本会議で、安保理の改革を巡る討論の席上、日本の別所浩郎国連大使が改革の遅れを批判した。これ以上進展がないまま時間が浪費されれば「国連総会や国連そのものへの信用」に関わるとの考えを示したのだ。別所大使は4カ国グループを代表して演説。「改革は時間がかかりすぎている。残念ながら、あるべき段階から大きく遅れている」と指摘した。安保理改革は全加盟国が参加する政府間交渉での議論が続いているが、各国の意見対立から最近は具体的な進展が少なく、改革の機運は高まっていない。

 

整合性に疑問、「UNESCO」の世界記憶遺産

現在の「国連」傘下には専門機関と呼ばれる組織が多数ある。政府間の協定によって設けられ、経済・社会等の各分野において国際的責任を有する国際組織だ。しかも、「国連」との間で連携協定を締結した国連ファミリーに属するが、「国連」とは別個の国際法上の主体性を持っている独立した国際組織でもあるのだ。
 中でも、国際金融機関である「世界銀行グループ」と「IMF」は最も独立色が強く、規模も国連本体に匹敵する。その他「WHO」、「ILO」「UNESCO」などの機関も規模が大きい。これらの専門機関が力を持つ余り、組織が形骸化して経済社会分野の国連改革が進まないとの批判もあるのも事実だ。
 しかもこうした専門機関を巡る不可思議な現象も増えてきた。たとえば「UNESCO」(国連教育科学文化機関)である。一昨年、この「UNESCO」の世界記憶遺産に「南京大虐殺文書」が登録されたことはまだ記憶に新しいが、中国が登録申請の際に提出したのは、資料の一覧と、資料を保管する7カ所の公文書館名を記した目録だけだった。日本政府はその前に中国側から外交ルートで目録の提出を受けており、各公文書館で資料の確認を急いでいたが、その確認に手間どった。それは中国側の提出資料が極めてずさんだったからだ。申請資料として目録が提出されるのは通例だが、大半は詳細な内容を記載するのが慣例で、日本が提出する場合は「どの資料が棚の何段目にあるかなども含めて詳細に記す」(外交筋)という。
 しかも南京文書の目録に一覧として挙げられた資料は十数種類のみ。「南京市民が死の危険を冒して保存した16枚の写真」や、「大虐殺」の様子を書き留めた、唯一の中国人の日記も含まれていた。これらの資料について中国側は一方的に「虐殺の証拠」と主張していたが、日本の多くの学者らの調査によって否定されてきた。
 一方、最初の審査機関となる「登録小委員会」(RSC)で、南京文書を担当し「登録可」との評価をしたのは1人のベテラン公文書管理の専門家だったことも判明した。RSCでは、9人の委員が申請案件を分担して審査しているが、この年は計88件の申請があり、委員1人あたり約10件を分担担当したという。
 各委員の意見は尊重される建前になっており、委員相互が審査結果を互いにチェックする機能はない。南京文書を担当した専門官は、記憶遺産事業に長年携わり、地域レベルの申請を審査するアジア太平洋記憶遺産委員会(MOWCAP)の議長を務めた経験があった。関係者の間では「重鎮」として影響力もあり、中国側に追加資料の提供を求めていたという情報も出てきた。結局、南京文書は、RSCで「登録可」の評価を受け、上部組織の「国際諮問委員会(IAC)」へ勧告された。日本側の働きかけもあって、この登録に否定的な意見も出たが、最終的には多数決で登録が決まってしまった。関係者によると、IAC委員の多くは、目録さえ見ていない可能性もあったという。
 余談ながら、その後、東京の民間団体「通州事件アーカイブズ設立基金」が、「人権侵害事件-チベットと通州の事例」という記憶案件をを申請したが、審査結果の公表を受け、「UNESCO」が申請を却下したことが判明。これに対する抗議声明を出した。
 内容は、日中戦争開始直後に北京郊外で多くの日本人居留民が中国人部隊に殺害された「通州事件」と、中国による「チベット弾圧」の資料で構成され、当初は名称を「20世紀中国大陸における政治暴力の記録-チベット、日本」としていた。「南京」としばしば対比される通州事件などの審査に対して、「南京大虐殺文書」を登録した前回との整合性を問う声が申請者から相次いだ。
 記憶遺産は「UNESCO」が実施する一事業だが、厳格に運営される世界遺産と比べ「審査過程は不透明性が高い」と指摘されてきた。南京文書を巡っても、申請から登録可否の決定までの過程のずさんさが、日本では問題視された。日本政府は、記憶遺産制度全体の正当性を揺るがしかねないとして、引き続きユネスコに制度改革を強く求めている。

日本を落とし入れるための報告書

国連」を舞台にした巧妙な反日活動も露呈した。昨年6月、スイスのジュネーブで開かれた国連人権理事会の「表現の自由」に関する特別報告の場で、デービッド・ケイなる米国の法律学者とやらが、日本政府による報道機関への圧力や、歴史問題を議論する環境などについて強い懸念を表明する報告を行った。
 中でも「日本政府はマスコミに対して不当な圧力をかけて報道の自由、表現の自由を阻害している」と主張。国連が共謀罪について安倍政権を「人権侵害だ」と批判したかのような報道が飛び交い、日本人の間でかなりの動揺が広がった。しかし厳密に調査したところ、このケイなる男の報告は、国連の公式発表ではなく、彼が勝手に騒いで、個人としての資格で述べられたものだった。当然、日本政府は「メディアには圧力はかけていない」と反論したが、ケイは肝心の証拠すら出せなかった。当初はケイが提出したレポートの位置づけと根拠が不明だったが、報告書をよく読むと、大半が憶測だけで語っており、何ら具体的事例を挙げてはいなかった。
 しかし、このケイなる男の一方的な解釈に満ちた報告は、日本政府の反論にもかかわらず、事実として国際社会に拡散される可能性が高かった。そして「国連」の活動に多額の資金を投じながら「嘘」をバラまかれ、国益を毀損(きそん)され続ける構図となりうる恐れも十分にあったのだ。彼は報告の途中で原稿から目を離し、予定稿にはない発言を行った。放送法や記者クラブ制度、学校教科書の慰安婦問題の取り扱いなどにも言及した。
 日本人記者団の取材に対応した後のケイは、NPO法人「ヒューマンライツ・ナウ」の伊藤和子事務局長のもとに行って、親しげにあいさつのハグをした。
 伊藤氏は2016年4月のケイの訪日調査前、放送法に関する情報を提供した人物だ。その伊藤氏は、この同じ理事会で非政府組織(NGO)の立場と断りながらも、「日本政府が特別報告者の声を無視し、敵対的であることを強く懸念する」と発言した。また、これに追従するかのように、韓国政府代表団も、ケイが学校教科書での慰安婦問題の扱いに言及したことに関し、「日本政府が特別報告者の勧告に特別の注意を払うことを望む」と述べた。むろんこれらの発言に日本政府は反論したが、「国連」の公式見解でもないのに、うかうかすると「国連」の影をちらつかせ、あたかもそうした公式報告書ともとられかねない反日活動は少なくない。

ドイツと日本に見る戦争責任の意識の違い

国連人権理事会で特別報告を行ったデービッド・ケイは、2016年4月に来日した折、上智大学での記者会見に先立ち、国会内で講演した。講演を
主催したのは、「国連」の関連イベントなどで慰安婦を「性奴隷」と宣伝する人権団体「ヒューマンライツ・ナウ」(HRN 弁護士伊藤和子事務局長)。ケイは会見で自身が中立・公正な立場であることを強調したが、日本政府部内では彼とHRNのような組織との関係を懸念する声があがった。
 ケイは記者会見で「政府に敵対的なわけではない」と述べたが、「表現の自由」云々を言うなら、世界には日本よりもはるかにこれを侵している国々がごまんとあるにも関わらず、あえて日本に標的を定めたのは、公式サイトで「意に反して『慰安婦』とし、監禁して性奴隷にしたことが重大な人権侵害だ」と、事実と異なる記述をしている『ヒューマン・ライツ・ナウ」の活動を支援したかったからではないかとも思えてくる。
 「ヒューマン・ライツ・ナウ」は、国連協議資格を得ている国際NGOで、人権侵害にはことのほか積極的に活動している団体だ。事務局長の伊藤和子弁護士は、従軍慰安婦問題で日本に批判を続ける反日活動家として知られている。その伊藤氏は、2015年に出した安倍首相の「戦後70周年記念談話」に対しても、地震のブログでこんな批判をぶつけている。
 「首相談話が国民の総意と関係なく勝手に出され、私たちの感覚や良心とは違うならば、むしろいろんな人がそれぞれの思いを語り、それを近隣諸国の人達にも伝え、日本の国内での議論、国際的な相互理解のきっかけになってくれるといいと思ったのだ。歴史問題と多くの人が認識していること、これは私たちにとっては人権問題である。
 過去の侵略戦争で起きた人権侵害をどう認識し、解決し、克服し、再発を防止していくのか、大きな取り返しのつかない人権侵害をした国は『過去の清算と承継・再発防止』という課題にずっと取り組み続けている。ナチスドイツや、カンボジアのポルポト政権、南米の軍事独裁政権や南アのアパルトヘイトなど、各国では終わりなき伝承、承継、再発防止の取り組みが続けられているが、日本でも政治家任せにしないで、私たちひとりひとりがこの継承のプロセスを紡いで次世代に残していく作業が必要だと思う。」と語っている。が、彼女はなぜ、日本の歴史を、こうした一方的な先入観の中でしか見ることができないのか。日本には言論の自由があるから、意見は意見として拝聴するが、少なくとも、この方の思考や活動が、日本国民の総意にならないことだけは確かだろう。しかし、「国連」の威光を傘に着て、日本を貶めるようなことだけはやめるべきだろう。
 ちなみに文中でドイツが先の戦争責任について謝罪し続けているような記述がある。日本ではドイツとの戦後の賠償責任への対応の仕方を比較、糾弾する声もある。しかしドイツの場合、日本で言う「反省」や「謝罪」として捉えるのは間違いだ。ドイツの「過去の克服」の背景にある論理は、日本で言うそうした概念とはまったく異質のものだからだ。
 例えば、かってワイツゼッカー大統領(在任:1984年~1994年)は、「罪は実際に手を下した者にのみあってドイツ人全体にはない。しかし、責任は全ドイツ人が負う。」という趣旨のことを語った。つまり、責任と罪とを明確に分離する論理で、それは同時代のコール首相(在任1982年~1998年)も「後から生れてきたものの恩恵」(ナチス後に生れたドイツ人には罪がないという意味)と述べたこととも共通する論理である。
 ドイツはユダヤ人虐殺のナチスドイツの行為には厳しく糾弾し、深い謝罪をしたが、それはあくまで人道上の償いであって、肝心の戦争責任については後世の世代には罪はないと明確に主張しているのだ。
 むしろ当時ドイツ人を排斥追放したポーランドに対しては、侵攻そのものを謝罪するどころか、逆にこの追放を厳しく批判したりもしている。つまりお互い様だという論法なのだ。戦後73年も経っているのに、いまだに謝罪だ、反省だといっているアジアの某国らとは状況と意識が全然違う。
 従軍慰安婦の問題にしても、以前、米国政府が行った日本の戦争犯罪の大規模な再調査で、組織的な従軍慰安婦の存在を裏付ける文書はどこにもなかった。それなのに、昨年、ついに西海岸の大都市サンフランシスコにも慰安婦像の設置が市の公的な場所に認められてしまった。姉妹都市の大阪市長は関係を解消するとまで言っても、先方は聞く耳を持たなかった。中国系反日団体の執拗で巧妙なロビー活動が功を奏したのだ。
 昨年暮れにはフィリピンのマニラにも慰安婦像が設置された。国家の態度が曖昧で腰が引けけていると、この現象はさらに拡散していきかねない。

もう国際社会では日本の 外交美学は通用しない

戦前、「国連」の前身ともいうべき「国際連盟」という組織があった。第1時世界大戦後の1920年に発足した英語では「League of Nations」と呼ぶ国際組織だ。これは「国連」とは異なり、:和文でも忠実に訳されている。
 「国際連盟は」第二次大戦勃発後は事実上活動を停止し、1946年4月に正式に解散。その資産は現在の「国連」に継承された。第1次大戦の戦勝国であった日本は、発足当初から「国際連盟」の常任理事国を務め、事務局次長に旧5千円札で有名な新渡戸稲造氏が就任して、連盟の中心的役割を担っていた。
 しかし11年後の1931年に、関東軍(日本)の自作自演による満州国の鉄道爆破事件、「柳条湖事件」(りゅうじょうこ)が起こる。そしてこれを機に、日本が満州全土を制圧する満州事変が勃発。しかし、満州国建国に反発した中国は「国際連盟」に提訴した。これを受けて連盟は、英国の「リットン調査団」を満州に派遣し、調査。
 その結果、満州における日本の「特殊権益」は認めたものの、満州事変は正当防衛には当たらないとして、日本に返還を促す「リットン報告書」を連盟に提出した。2年後の1933年に、リットン報告書を基に国際連盟特別総会で審議され、最終的に日本以外の総会に参加した全加盟国が、この報告書に同調した。そして評決の結果は、賛成42 対 反対1(日本のみ)だった。対日批判の急先鋒だったのは、中国、スペイン、スイス、チェコ、そしてオランダだった。
 この時、日本の全権を任命され総会に参加していた外交官・松岡洋右(まつおかようすけ)は、「国連の決定は、日本は受け入れることができない!」と、決別を意味する演説を行った。松岡が堪能な英語でスピーチした「十字架上の日本」と題する演説は、後世に語り継がれるほどの名文だった。
 「欧米諸国は20世紀の日本を十字架上に磔刑に処しようとしているが、イエスが後世においてようやく理解された如く、日本の正当性は必ず後に明らかになるだろう」という趣旨だった。そしては白人で埋め尽くされた会場を悠然と退場した。日本国内では松岡のこの演説は大喝采を浴びた。しかし松岡の心中は「何とか脱退だけは阻止したい」という気持ちで一杯だったという。
 松岡の演説には連盟脱退を示唆する文言は含まれていなかったが、時の日本政府は脱退を決定した。決議翌日の昭和8年2月25日の読売新聞朝刊では「日本と連盟ついに事実上絶縁。 42対1で総会報告書採択。我代表席を蹴って退場。歴史的総会の大詰め」という見出しが躍った。「英雄」として迎えられた帰国後のインタビューで松岡は、「私が平素申しております通り、桜の花も散り際が大切」、「いまこそ日本精神の発揚が必要」と答えている。 
 結果的にこの脱退後、日本は第2次大戦へと突き進み、多大な痛手を負うことになるが、現代の我々日本人から見れば、脱退はすべきでは無かったと口では言えるが、当時の日本人は国際情勢を鑑みた上で、最良と思ってそう判断をしたのかもしれない。後からあれは失敗だったと批判するのは簡単だが、事の是非はともかく、白人ばかりの大舞台で、日本の国益を守るために、これだけの堂々たる演説をした外交官がいたことは事実なのだ。
 戦後の日本と日本政府は、問題が起きると「極めて遺憾」などと、曖昧な表現の繰り返しに終始してきた。しかし、我々日本人の誇りと歴史を損ねているこうした「歴史観」は、もう毅然たる態度で断ち切るべき時に来ているのではないか。日本人の価値観に基づく美学は、すでに国際社会と「連合国」(国連)には、外交的には通用しなくなってきている。
 国際社会や「連合国」(国連)は、ミャンマーのような弱小国を袋叩きにし、日本のような「遺憾」しか述べないお人よしの国の国益を脅かそうとしているのだ。経済闘争の駆け引きの場になり下がった連合国(国連)に対して、あまりにも反日的な事象がまかり通るようであれば、世界一の分担金を負担する我が国は、しばしその支払いを留保するぐらいの毅然たる主張はできないものなのか。
 むろん無益な戦争や紛争には絶対反対だ。「国連」活動のすべてにクレームをつけているわけではない。しかし、日本と日本人の尊厳が傷つけられるような出来事が多発すると、ふと、「松岡洋祐」のような外交官がいたならば、、、とも思ってしまう。

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