◎・人│VIP インタビュー カチン民族の誇りを胸に熱唱し続けるスター歌手 天性の明るさと歌唱力で弱者へ生きる力を贈るL Seng Zi エル・セン・ジーさん Singer 歌手

老若男女に愛されている人気歌手だった。この国では少数派のクリスチャンだが、宗教、人種の枠を超えて弱者支援に励む心優しき女性でもあった。彼女の情感溢れる歌声にそれがにじみ出ていた。

退役軍人の慰労会に招かれて きめ細かな気配りに好印象を  ヤンゴン市の幹線道路PyayRd沿いにあり、インヤ湖に面した「International Business Centre」は、結婚式や記念パーティーなどでよく使用されるミャンマー人には知られた美しいイベントホールである。  昨年12月の某日、ここでミャンマー国軍の退役将校や高級幹部の慰労会が催された。今回お招きしたエルさんから対談場所に指定されたのがここだった。最初は「何故、この会場で?」と思ったが、彼女がこの記念パーティーのゲストに招かれ、ステージで歌うと聞いて納得した。  慰労会は元大佐クラスを中心に、かなりご高齢の方々が集まっていたが、エルさんがステージに上がると割れんばかりの声援と拍手。3曲ほど熱唱すると、あちらこちらから記念写真をせがまれ、会場の受付けを担当していた現役の若い兵士たちからも要望が相次いだ。失礼ながらかなりの人気ぶりに驚いた。  会場に出向くと、我々取材班は丁重に招待席に案内され、食事まで提供され、幸運にも目の前で彼女のライブを見ることができた。バラード系に始まり、アップテンポのリズミカルな曲で会場を魅了したエルさんの歌声は、実に力強かった。しかしどこか憂いを含んだ情感豊かなその歌声は、日本人歌手に例えれば高橋真理子さんのような存在感があった。  「11月や12月は、こうしたステージでの仕事が多いんです。ミャンマー各地を飛び回っています。明日からはシャン州でコンサートが始まります。ヤンゴンには当分戻れませんね。」  忙しい合間を縫って、弊紙のためにインタビューの時間を作ってくれたのだ。通常なら断られるか、後日にされても仕方がないのに、あえてこの退役軍人たちのパーティー会場を指定なさったのは、自分の歌を生で聴いてもらえる一石二鳥の理由があったのではと、勝手に推測した。いずれにしても、なかなか気配りのある方だと感心した。  

音楽一家の中で育まれた感性とセンス デビュー曲が大ヒットしてスター街道へ

エルさんはミャンマー北部のカチン族の出身である。生まれはヤンゴンだが、国内最高峰の山「カカボラジ」の近くに実家があるという。この時期あちらではかなりの寒さになるそうだ。だからミャンマー人には珍しく、暑さは苦手だという。  「日本にはもう4,5回行きましたが、寒いのは平気ですよ。日本で雪が見るのが楽しみだったんですが、まだ実現していません。一度でいいから、雪に触れて体感してみたいんですよ」  話をよく聞くと、兄姉すべてが有名な歌手で、父は作曲家だったという。つまりエルさんは音楽一家の中で育ったサラブレッドだったのだ。  「だから小さい頃から音楽が身近にありました。クリスチャンのファミリーですから日曜日には教会へ行きますが、そこで讃美歌やゴスペル風の曲をいつも歌いました。それで4,5歳のころから歌に夢中になりました。最初はグループで歌っていましたが、ある時ソロで歌うように指名されたのです。この時から、将来はプロの歌手になりたいという夢が芽生え始めたような気がします。」  高校1年、16歳の時、その夢が現実化し始めた。  「ある日友人の家に遊びに行ったら、有名な歌手たちが沢山来ていたんです。まるでパーティーのようなにぎやかな雰囲気でした。そこで私も調子に乗り、友人が作った『振り返って』という曲を披露したんです。そしたらこれが結構受けまして、皆さんからお褒めを頂きました。このときから歌手になる“夢”が“目標”に変わったのです。」 それから2年後、高校を卒業すると、彼女は本格的にデビューし、この時の曲をCD 化した。 するとたちまち大ヒットし、エルさんの名は全国区になった。  「幸運でしたね。きっと神が後押ししてくれたんだと思いました。」  それから10数年間、この国では誰もが知るスター歌手として君臨しているが、デビューから2,3年はやはり苦労が絶えなかったという。「小さな苦労はどうってことありませんでしたが、歌手になって6年目頃に、仕事のストレスがたまり、どうしても気力が出なくなりました。もちろん私生活でも色々ありましたが、仕事に対する意欲が湧かなくなったのです。それで、1年間、休養することにしたのです。」  彼女はシンガーソングライターでもあった。自分の心情や思いを詩にしたため、曲を創作するスタイルを貫いてきた。それがある日、途切れた。18歳でデビューし、がむしゃらに突き進んできた疲労の蓄積もあったが、やはり周囲に気を遣い過ぎる余り、精神的なストレスが予想以上に溜まっていた。  「結果的にこの休養はよかったです。毎日教会へ行って祈りを捧げました。再び神の加護が受けられるように祈りました。あとは何もしません。すると、1年近くなると、また仕事をしたいという気持ちになりました。再びステージで歌いたいと強く思うようになりました。」  そしてエルさんはカムバックした。ファンは忘れていなかった。日本人からも思わぬオファーが舞い込んだ。  「2006,7年ころだったと思います。ヤンゴンに来ていた日本の音楽関係者の方が、私のデビュー曲をいたく気に入ったらしく、日本へ帰国してからTV で紹介してくれたそうなんです。嬉しいというより、驚きましたね。」  

毎年のように親戚のいる日本へ 海外の同胞の前で熱唱して激励

彼女は1年のうち6~9月の雨期は、比較的時間にゆとりができ、創作活動や海外へ旅に出るのだという。日本へは2008年からほぼ毎年のように行っているという。  「日本には意外にカチンの人々が多いんですよ。だから向こうへ行けば、彼らの前で歌います。皆さん故国を長く離れて暮らしている方が多いので、とても喜んでくれますよ。」 アメリカにも行った。沢山のミャンマー人が働きに出ているマレーシアにも頻繁に出かけて、同胞たちの前で熱唱している。  「行けば彼らは熱烈に歓迎してくれます。でも、やはり日本が一番かな。大好きです。私の親戚も暮らしているんですよ。だから余計に親近感が湧くし、日本は清潔感があり、何事にもシステマチックにできています。女性のファションやお化粧も素敵だし」  このあたりの話になると、彼女の口から盛んに日本語が飛び出すようなった。訊けばカチン語という民族の言葉があって、「メ(目)」とか、日本語と共通した言葉がかなりあるという。顔つきや雰囲気も日本人とカチン民族は似ているそうだ。初めて当方を見た彼女は、故郷のカチンの叔父さんに似ていると思ったと、正直に告白した。  クリスチャンだから、11月にミャンマーを訪問したローマ教皇のミサに出たかったのではと質問すると「そうなんですよ、でも前から決まっていたマレーシア行をキャンセルできずに残念な思いをしました。」  忙しい最中、彼女は時間を作って定期的に刑務所を慰問している。受刑者の前で歌い慰労する。「支援活動にはキリスト教、仏教徒も関係ないのです。宗教や肌の色で区別するなんていけません。そうした垣根を越えて人間として助け合わなくてはだダメでしょう。」  ハンセン病患者や災害被害者への支援活動も積極的に行っている。一度決めたらとことん突き進む性格らしい。失礼ながらやや天然とも思える天性の明るさと情感溢れる歌声が、どれだけ打ちししがれている人々を勇気づけてきのだろうか。有名人なのに気取らず奢らずに対応して頂いたエルさんは、さわやかこの上ない女性であった。

<L Seng Zi  略歴> 本名     ‐L Seng Zi  生年月日   ‐1986年10月22日 民族 - カチン族,キリスト教徒 出身地    ‐ヤンゴン  血液型 ‐ O型 趣味     ‐音楽一筋 最近のアルバム ‐「永遠に狂う人」、「比較できない恩師」(Gospel Song) 将来の夢    ‐神の恵みのある人と出会い、神 の導きに沿って生きること。 今までのアルバム ‐100枚以上(2004年~歌手として世に出る)、 デュエットソングや他の歌手とコラボしたアルバムなどもある。 社会貢献活動 ‐戦争で難民となった子供たちを支援している。           ハンセン病患者をサポートしている。           受刑者のために刑務での慰問活動。刑務所でのキリスト教の布教活動。           洪水災害などへのボランティア活動。

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