◎発見│ミャンマーの観光スポット

ヴィクトリア女王までつながる数々の逸話を伝える不思議な仏像 仏陀の愛情とパワーが込められた仏像は一見の価値あり マン・アウン・ミィン・ ピィー・ドー・ピャン仏像  Man Aung Myin Pyi Taw Pyan Buddha Image

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 今回はヤンゴンから日帰りで行けるエ-ヤワディ管区のザルン町に足を運んだ。歴史深い仏像が多数存在するミャンマーの中でも、ぜひ訪問をおすすめしたいところだ。ここには、英国統治時代にインドに滞在していた当時のヴィクトリア女王に繋がるエピソードも残っている。信仰心厚いミャンマー人にとっても精神的な影響力を持つ有名なパゴダである。 ヤンゴンから3時間。エ-ヤワディ橋を渡ると河沿いの美しい景観が広がる。暑い時期には早朝の出発がお勧めだ。立派なゲートをくぐると、パゴダのある敷地内にはエ-ヤワディ名産のお土産屋さんが立ち並ぶ。

仏陀の時代に仏陀の十分な愛情 をこめて造られた4体のムニ仏像

ラカインの Sanda Thuriya王の祈願により仏陀の許可をいただいて建立された4つのムニ(仏像)があった。このエーヤワディ管区の仏像は、4番目に造られた仏像だ。仏陀が手で7回さすり、愛情を存分に注いでから完成させたため、仏陀の愛情がこもっていると信じられている。
 この4体の仏像は、最初に造られたマハームニ(マハーミャッムニ)Maha Myat Muni仏像がマンダレーの北側にあり、マンダレーの有名観光スポットになっている。二番目のシンチョームニShin Kyaw Muni仏像は、仏陀の時代から現在までラカイン州に存在する。三番目のシュエボンタームニ Shwe Bon Thar Muniは、ピィー(旧名タイエキッタヤー)にあり、四番目のマンアウンミィンムニMan Aung Myin Muni仏像は、このエ-ヤワディ管区ザルン町(Za Lun)にある。

英軍の駐屯地インドへ 仏像が持ち去られる

ミャンマーの半分が英国に統治されていた時代、銅で造った仏像、器などを破壊し、精錬して銅貨、爆弾、大砲などの素材にしたという。マンアウンミィンムニMan Aung Myin Muni仏像は、1855年に英軍の陣地があるインドに持ち去られた。銅で造られた仏像を収納していた倉庫の中には、ザルン町からのマンアウンミィン仏像も置かれていた。
しかし銅を精錬するために金槌や鉄棒で破壊しようとしても、このマンアウンミィン仏像には全く通じなかった。さらにストーブ4炉で燃やしても、爪跡程度の傷も発見できなかったそうだ。そしてこの時に仏像から銅を精錬していた64人の職人たちは、口から血を吐きながらその場で命を失ったという。この逸話は仏陀の不思議なパワーによるものだと、インドやイギリスの歴史にも記されている。
 この見られざる力は、当時インドのデーリーに滞在していたヴィクトリア女王にも及んだ。女王はずっと頭痛に悩み、優秀な従医も諦めて、誰も頭痛の原因がわからなかったという。その夜女王は不思議な夢を見た。ミャンマーから持ってきた仏像を元に戻さないと、女王の命と英国がどうなるか分からなくなる、という内容の夢だった。そこですぐに兵を呼び、銅の仏像を保管している全ての倉庫を調べさせた。すると倉庫の中で一体の仏像だけが自然に輝いていた。これはきっと魔法使いの仕業に違いないという兵からの報告が女王の耳に入り、原因を調べた。そして夢に出てきた仏像と判明すれば、直ちにミャンマーに戻すよう命令を出した。その直後に頭痛が消滅したと記録には残っている。

仏像の返還地を間違え隣の町 ヒンタダとトラブルに

ミャンマーへ仏像を戻すために持参した軍隊は、元にあったザルンの町と間違え、エ-ヤワディ河の近隣にあるヒンタダ町に置いて帰ってしまった。それから漁師に拾われ、ヒンタダ町の人々に愛されるようになった。しかし当時のザルン町長は、仏像を見たとき、英軍がインドに持ち去った自分たちの仏像であることをすぐ見抜いた。
そこでザルンに帰り、総合僧院長をヒンタダへ連れて再びやって来た。12隻の舟も一緒に付いてきた。ザルンの僧侶が暗記していたお経が仏像に彫られているパーリー語と合っていたため、間違いなくザルンの仏像であることが判明。しかしヒンタダ町住民も仏像をザルンに返す気は一切なく、トラブル状態になり、両町の僧院長達が話し合いで解決方法を探すしかなかった。散々考えたあげく、仏像を筏に乗せて河の真ん中に移動した。両側から舟で引っ張り、手に引き寄せたほうが勝ちで、そちらに置くことを決めた。
 ザルン町は舟数12隻、ヒンタダ町は舟数38隻で両側から引っ張ることになったが、軍配はザルンに上がった。上流だから勝ったのだと、ヒンタダは不満を述べたため、今度は位置を反対にして行った。それでもザルンは負けなかった。この結果は、仏陀のご判断だということになり、結局ザルンに戻すことに決まった。 嬉しさのあまり、ザルンの人々は涙を浮かべ、踊りながら仏像の帰りをお迎えした。危機を乗り越え、元の地に帰ることができた仏像であるからこそ、「Pyi(国) Taw(聖) Pyan(帰り)」という名が付けられたそうだ。

歴史的経緯と仏像にまつわる特色

不思議な仏像にまつわる話をもう一度整理してみると、1. インドのボンベイに持ち去られ、銅の精錬のために仏像を破壊しようとしたが、傷一つつかなかった。当時インドで滞在していたヴィクトリア女王の夢に出て、国に返還されることになった。2. 1950年のエ-ヤワディ河洪水災害時でもこの仏像は破棄されずに元の場所で動かずに水に浮かんでいた。
3. 1974年2月は17日間続けて仏像から自然に後光が差していた。
4. 第2次世界大戦でザルン町は爆弾で何回も攻撃されたが、仏像が位置するお寺周辺は安全で何の事故も起きなかった。
5. 仏像の顔が微笑んでおり、崇拝する人全てを幸せにさせるが、町や国で危険なことや、災害などが起きるときには、前兆として表情から微笑が消え、悲しい表情に変わるという。
6. 王朝時代この仏像を介して王子が祈願や祈りをすることを禁止した。祈願は全て叶うことから、それ以上に悪い祈念をしてしまう恐れがあったからだという。そのため王子は立ち入りを禁止されたという。
7. 仏陀の愛情で出来ている仏像であるからこそ、この仏像に書かれているお経を詠むと命にかかわる危険な災害も乗り越えられると信じられている。
8. 仏像の虹彩両側には、ちょうどお米のサイズぐらいの種類がわからない五つの花形が見え、実際に動いているのを目撃したという、ミャンマーの有名な映画監督ウートゥカ(U Thu Kha)氏の談話が記事に書かれている。

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