◎第32回 旅│テリー先生ヤンゴン滞在記

「チン州の旅——南シルクロードへの道—その2」

目次

     ミャンマーとの国境にある「TYAO(TIAO)川」を渡り、インドへ入った。MIZORAM州である。1987年にインド23番目の州となった。Mi(人)ZO(山)RAM(土地)という意味で、山岳民族と解釈できるらしい。しかしインド領内といっても彼らの言語はチンの言葉である。この国境にはイミグレーションもなく、両国の役人の姿も見かけない。乾季なので少し枯渇した膝ぐらいまでの深さの川があるだけだ。BURMAへの矢印標識が砂山に埋まりそうになっていた。 この土地は「ミゾラム」という国がミャンマーの独立で、このTYAO川をはさんで東西に分かれてしまった。国が分かれても悲惨な話は聞かない。川を渡ればいつでも会えるからだ。インド側の道は車の走行が可能だが、ミャンマー側はオートバイかジープでないと走れない山道である。

    TYAO川は魚影が濃い。フライフィシングの言葉が脳裏に浮かんだ、釣り針があるか?と村人に聞くと、何でも売っている店にあるはずだという。しかし鶏は沢山いるから何処にでも羽根がある。そこで毛針を作り、フライフィッシングをすることにした。 魚が水面に上がって来て虫を食べることを、釣り人はライズという。ライズがないか場所を移して釣り歩くと、水がたまっている淵にきた。バナナボートがある。バナナボートとはモーターボートでバナナの形の浮き船を引っ張る遊びだが、この川では本物のバナナの茎を束ねてイカダにしていた。釣りをやめて、バナナボートの筏に乗り川を下ることにした。バナナの茎は浮力がある。川も静かに流れている。水温は冷たくて気持ちがいい。インドとミャンマーの国境での川下りを楽しんだ日本人は多くはいないであろう。キャンプ場やバーベキューには最適な場所だが、少し山奥でここまで来る事はそう簡単ではない。

    村への帰り道は連続した登り坂である、オートバイの後部座席にしがみつく、下りよりも登りの方が安心できる。途中,部落が一つある。赤いものを干していた。何か?気になりオートバイを止めてもらい写真を取った。 唐辛子を干していたおばさんが「とても辛いよ」といった。噛んでみると、確かにピりピりと激辛が口に広がった。調べてみると、北インド(アツサム州、ナガランド州、マニプル州)およびバングラデシュ産の唐辛子属の品種であった。2007年にハバネロを抜いて世界一辛い唐辛子としてギネスにも認定されたという。ミゾラムはこの地域である。ミャンマーが産地とは書いていないのは、この村からインドに売られ、流通しているからであろう。

    この村が狩猟民族であることは前号で述べたが、村の入り口や、民家の軒先には野生動物の毛皮が干してある。山猫は鶏を食べに村にくるので、撃ち殺すと村人は喜びお金を寄付するらしい。 村人は多くが猟銃を持っており、数日間の狩りにでかける。私も誘われたが、申し訳ないがご辞退した。 村には肉屋もスーパーもない。タンパク質の補給は狩りの獲物の肉に頼るしかない。ビタミンは山の中腹にある丘を整地した畑からの野菜から取る。自給自足の社会なのだ。 ミャンマーで最も貧しいと言われているチン州。その中でも最貧かもしれぬLonlei村。しかし私には貧しさをどころか、豊かな生活をしていると感じた。
     何世代にもわたり、持続している社会である。車文明はまだ押し寄せていない。交通事故もない。夜空は北斗七星が低く輝く満点の星空だ。都会の喧噪に嫌気がさした人にはお薦めの“きわめつき”僻地である。

    <テリー先生>
    本名 宮川照男。1949年平塚市生まれ。早大理工学部卒業後、山武ハネ
    ウエル(株)入社。1988から1992年、同社米国駐在所長を経て独立。
    野菜工場設備会社(有)アイエスエス設立。スプラウト栽培を日本に紹介、普及させる。その後、東海大学湘南キャンパス、チャレンジセンター特任職員として「ものつくり」「環境キャラバン隊」などを指導。2013年5月より、ヤンゴンにて農業視察、調査を開始。Yezin Agricultural 大学の学長らと、ミャンマー農業支援について討議を重ね、現在、同大学とヤンゴンのElephant Seed 会社と種子生産についての技術提携を計画中。小型飛行機操縦士免許取得。teruomiyagawa@gmail.com

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