◎Bagan 通信 第23回 - スワンナブームの話(2) スリランカ派兵

バガン王朝を興してすぐ、アノーヤター王はスリランカ(シンハラ王朝)へ派兵します。

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     バガン王朝を興してすぐ、アノーヤター王はスリランカ(シンハラ王朝)へ派兵します。
     当時スリランカは北からヒンドゥー教の攻撃を受け国土が4分の1になるなど壊滅的な被害を受けていました。そのため新興国家でありながら飛ぶ鳥を落とす勢いだった同じ上座部のバガン朝に期待をかけたのでした。アノーヤターは派兵とともに多くの高僧も派遣、スリランカ仏教を復活させるきっかけをつくりました。
     スリランカ王は深く感謝し、仏歯をアノーヤターに贈ります。1059年アノーヤターはこれを納めるためにローカナンダパヤーを建立します。
     これがバガン初期の流れです。ところが勢いのあったバガンだとは言え、あまりに展開が速いのです。1057年にタトゥン国を滅ぼしたあと、その2年後にはスリランカに兵力を送った返礼をもらっているわけです。
     私は、史実としてアノーヤターはタトゥン国を滅ぼしたのではなく、本当は同じ仏教国のモン族を吸収したのではないかと考えています。
     理由はタトゥン国から連れて来たマヌー
    ハ王にあります。幽閉されたとされるこの王は敵の国王だったにも関わらず、余生を
    バガンで過ごし、自身の出費によって寄進しマヌーハ寺院を建立しているのです。人質だったのでしょうが、国ごと滅ぼした敵王に対する待遇とも思えません。
     タトゥンの国民はバガンの仏教建築や芸術をいまに残し、バガン初期の繁栄に大きく貢献しました。アノーヤターにとってバガン建国にモン族の力が必要な存在だったのかもしれません。一方マヌーハ王にとっても異教徒のクメール朝に滅ぼされるより、同門のバガン朝の軍門に下る方が涅槃の道に近いと考えたのかもしれません。
     そして、もうひとつ私が感じるのは、アノーヤター王がスリランカに派遣した高僧は、実はタトゥン国から連行した僧侶たちで、その僧侶たちはスリランカから避難してきたシンハラ人だったのではないか?ということです。
     理由は、スリランカ史には当時ヒンドゥー教徒の攻撃でスリランカ仏教の高僧はたった5人になっていたという記述があるからです。
     そして、同じ上座部が栄えていた最大の国は、交易が盛んだったタトゥン国であり、スリランカから海路で逃げられる距離にありました。 宗教的に迫害を受けると死を選ぶか安全な場所(国)へ移動するというのは、日本でも禁教令によってキリシタンが大挙ルソン島のマニラに逃がれたのと同じです。
     少なくとも棄教できない信仰の深い僧侶にとっては、それが自然の流れだと思います。
     アノーヤターは、シン・アラハンの進言によって国教化を進めるためにタトゥン国を攻め、その文化や技術を吸収し、一方ヒンドゥーの圧迫で窮していたスリランカに援軍を送り、タトゥン国に避難していた同国の高僧らをスリランカへ送り届けた。こう考えるとローカナンダの仏歯奉納までがしっくりくるのです。
     アノーヤターが建てた主要な寺院は3つですが、ローカナンダの他には、ピューから持ってきた仏舎利を納めたシュエジーゴンパゴダ、タトゥン国から奪った仏髪を納めたシュエサンドーパヤーがあります。奉納されたこの3種の神器が上座部にとってどのような意味を持つかを考えると、アノーヤターの行動が理解できるのです。

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