◎ミャンマー人の肖像

夢は「ミャンマーの発展」と 「若者たちのスキルアップ」に  日本語学校を核に多角的な事業を 展開する実業家の 「良心」

目次

OHIO MYANMAR INTERNATIONAL CO. LTD. Managing Director 取締役社長 テュザーウィンテュ(優子)さん

 下のプロフィールをご覧いただきたい。ヤンゴン大学と外国語大学に学んでいるが、驚くのはこの2つの最高学府を4年間で同時に卒業してしまったことである。どちらも難関の名門である。
 テュザーさんは、現在、「OHIO 日本語学校」を母体に、会社設立やリサーチなどの日緬のビジネスコンサルをはじめ、教育、留学事業、不動産、車のレンタルや「OHIO 」ブランドのファション、日米の輸入品のオンラインショップからご自身の名をつけたシルク&コットン製品の製造まで行っている女性実業家でもある。
 「今は本当に色々なビジネスを手掛けるようになりました。大学を出てから国際的なビジネススクールにも行きましたが、本当の意味での経営のノウハウを学んだのは、2007年から14年まで居た日系資本のの縫製工場での仕事でしたね。」
 6年前くらいにこの工場では賃金をめぐるストライキが起きた。紛争は泥沼化し、マネジャーであったテュザーさんは、すでにミャンマー人社長の右腕というより、実質的に経営全般の采配を振るうようになっていたという。
 「だから従業員と会社との間に入って板挟みになりました。労働省、ILOやメディアとの交渉や対応に追われる日々が続きました。その時はもう工場は閉鎖寸前でしたが、そうなると400人の従業員とその家族を路頭に迷わせることになるので、それだけは何としても避けたかったのです。」
 その血のにじむような努力の結果、工場はそれから3年も操業を続けられたという。凄い忍耐力である。しかし、この間に実母が亡くなった。紛争の解決に明け暮れ、工場の立て直しに奔走している時だった。
 「もちろん家族からは色々言われました。母親のことより仕事のほうが大事なのかと。だからさすがに私も落ち込みました。張り詰めていた気力がすっかり失せてしまったのです。それで2014年に工場を辞めました。」
 それから暫く、彼女は立ち直れなかったという。しかし仕事は好きだった。少し充電期間を置くと、何か起業したいという意欲がメラメラと湧いてきた。
 「OHIOという日本語学校をを設立して法人化しました。やるからには撤底しないと気が済まない性格なので、初めから高度人材を養成するクラスを設け、各大学のトップクラスの生
徒に声をかけ、日本語のN1、N2レベルのコースをメインにしました。」
 1クラス30人前後の少数精鋭であったが、結果的にこれがよかった。専門職や高度人材を求めるめる邦人企業のニーズに合致したのだ。そうなると口コミで評判を呼び、卒業して就職した生徒が後輩の首席クラスの在学生に声をかけるようになった。好循環である。
 「留学生事業も始めましたので、日本の大学へも送り出しています。城西大学へ留学した2人の女性はむこうでも優秀な成績を残し、幅広いネットワークを築いています。」
 テュザーさんはこう言って胸を張った。彼女は日本語の他に英語にも堪能で、現在はフランス語にも挑戦中だというから相当な努力家である。
 「日本語に興味をもったのは中学生くらいの時です。父は獣医でしたが若い頃JICAの留学生として日本へ行きました。それで物心ついたときから日本が身近にあったのです。本格的に興味を掻き立てられたのは高校生になってからですが、外国語大学で日本語を専攻してからは、さほどの苦労もなく憶えられましたね。先生の教え方もうまっかったと思います。たとえば『男』という漢字がありますが、これは『田』と『力』という漢字の組み合わせと覚えるとやさしいとか、文法が同じですから、漢字さえ克服すればあとはそんなに苦労はしませんでした。」
 学校経営の傍ら、日本から企業進出プロジェクトのサポート依頼が舞い込むようになった。特にエネルギーや電力といった大きなプロジェクトが多かった。そこで政府や関係機関との交渉に入る仲介をするわけだが、最初はポランティア的にやっていたが、あまりにも労力を使うので、これを事業化したのた。そして冒頭で紹介したように、今ではオンラインショップや自社ブランドまで手掛けるようになっている。
 「楽なビジネスはありません。でも先ほども言いましたように、あの縫製工場の紛争解決や再興の苦労に比べたらどうっていう事はありません。今はミャンマーの国のことをいつも考えています。特に若い人たちに少しでもスキルアップしてもらいたいのです。」
 そのためにはミャンマー人の意識改革が必要だという。「日本人の仕事の進め方を見ているととても合理的で、無駄がない。でも残念ながらミャンマー人はこれが苦手。システマティックにできない。職場選びもまず給料のいいところを優先に考え、技術を学ぼうとか、将来につなげようとか、そうした目標の設定ができないのです。ですからこうした点から直していかないと駄目ですね。それにはやはり教育です。教育が大事なんです。」
 ご自身、ミャンマー最大の女性支援団体であるミャンマー女性起業家協会のメンバーになり、女性たちの自立にも力を入れている。他
にも数々の社会貢献団体に名を連ね、災害などの救援活動にも積極的に参加している。
 最後にご自身の夢は?とお聞きすると「ミャンマーの発展です」と即座に返答した。どこまで純粋で実直な方なのだろうか。
 優秀な女性が多いミャンマーだが、テュザーさんの生き方は尊敬に値する。



生年月日 : 1975年7月18日
生まれ  : ヤンゴン  血液型 B型
民族 : ビルマ+シャン(インター族)
家族 : 父、5人姉妹の長女
学歴 : ヤンゴン大学物理学部修士課程卒、ヤンゴン外国語大学日本語科卒
資格 : M.Sc( Engineering Physics Dip. In. Japanese( Y.U.F.L)
International Diploma in Business Administration’ Thames)
活動 : ミャンマー女性起業家協会会員他

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