◎今月の視点 “誠”の支援、援助のために「発想の転換」を計ることも

朝の光が柔らかい。10月の声を聞いてミャンマーに乾季がやってきた。

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改革は緩やかだが進んでいる実感 日本の支援に対する反応に不満が

朝の光が柔らかい。10月の声を聞いてミャンマーに乾季がやってきた。雨期の間クローズしていた西海岸のリゾートホテルも再開。これから待望の観光シーズンがスタートし、欧米人観光客が押し寄せる。
 振り返ってみれば今年は4月にNLDの新
政権が発足し、当初は多少の不安を感じていたが、少なくとも改革への道を歩もうという姿勢は見え隠れしてきた。
 その顕著な例のひとつが納税意識への高まりである。商行為における5%の商業税納付義務付けの徹底、所得税、法人税徴収の厳格化だ。国家の根幹をなす財源だけに当然だが、これまで国民の間では不公平感があっただけに、これは今後もフェアにやっていかないと意識の定着化が危うくなる。
 海外に目を向ければ、9月の大統領顧問の米国訪問で経済制裁の解除、関税優遇処置など、かなりの土産を引き出したが、その前にまず隣の大国を訪問し、懸案事項への根回しを行ったあたりは、さすがと言えるしたたかな外交感覚である。
 しかし、当方がどう考えても解せないのは日本への対応ぶりである。先月ラオスで安倍首相と大統領顧問が会談し、1,250億もの円借款の申し出を受けたが、このニュースがあまり大きな扱いにならなかったのは何故なのか。これまで日本はODAを中心に各種の経済支援、インフラ整備に、我々日本国民の多額の血税を使って支援してきた。にもかかわらず、どうもその真意が伝わってこないと感じるのは当方一人だけの妬みなのだろうか。
 その根本原因はこうした支援が、現在ではただ単に日本の存在感を誇示するだけのものになっているからではないか。
 だから、もうこうした日本の援助については、今後は発想を転換し、方法論の見直しを計るべき時にきているのではないか。

発想を転換して大成功を収めた雑誌 開高健氏の発想の豊かさに感銘を

発想の転換と言えば、バブル初期に産ぶ
声を上げ、あの狂乱の景気の中で急成長して絶頂期を迎え、バブルの終焉とともに眠りについた「Seven Seas」という伝説的な雑誌を想起する。年収3千万以上の方々だけが購読可能な会員制の月刊誌だった。いわば「雑誌が読者を選ぶ」という従来の発想を覆(くつがえ)す傲慢ともいえるコンセプトで、発案者は純文学の巨匠といわれた今は亡き作家開高健(たけし)氏だった。
 「世界に比類のない雑誌を作れ」という氏の鶴の一声で総頁数300ページ、重さ1キロを超すオールカラーの豪華雑誌が日の目を見た。当方は副編、編集長時代を含め6年間この雑誌に関わってきたが、開高さん自らが編集顧問に就任し、珠玉の巻頭エッセイを執筆した。そして他のいかなるメディア、媒体が一度取り上げた2番煎じの素材は絶対にやらぬという不文律を作った。制作にかかわった執筆者や写真家も当代一流で、欧米の著名写真家たちも参加した。そうなると取材のハードルも下がり、軍や機密施設以外はほとんどOKが出た。
 タイのプミポン国王の誕生日セレモニーに雑誌として世界で初めて密着取材を許された「象と王様」という特集は時のタイ政府が絶賛し、大量に買い上げていただいた。
 「スイス建国700周年」特集では、あのスイス銀行の地下金庫の取材を許され、数十兆円とも思える金塊の山々を前にして、よくぞ撮影許可が出たと、身震いがした。
 極め付けはフランスのボルドーワインの特集だった。中世の思想家モンテスキューの直系7代目の男爵が取材の根回しを行い、ボルドーの5大シャトーの当主夫妻を男爵の居城に集めてくれた。ペトリウス、マルゴー、ラフィット、ムートン、イケムなどの銘品を当主自ら厳選して持参し、しかもソムリエに命じてゲストがグラスを口にする時間に合わせてデカンテーションし、最高かつ絶妙の状態で秘蔵ワインをふるまってくれた。むろんそれまで飲んだいかなる高級ワインとも、全く別次元の味だったことは言うまでもない。

途上国への支援の在り方を考える 本当に弱者へ行き着くか大事に

以上の話は自慢めいて恐縮するが、内外の富裕層をターゲットに定め、その中から厳選して読者にするという発想は、あの開高さんでなければ思いつかぬコンセプトだった。
 これは「発想の転換」で大成功を収めた例だが、ひと口に方向性を変えろと言われても、我々日本人はこれが苦手のようで、一度敷いたレールや慣習にどうしても固執し過ぎる。援助や支援にしても、政府対政府の理屈と建前は理解できるが、ミャンマーへの意欲と貢献の意識を持つ民間の企業や組織、例えば医療、教育、人材育成などの分野に、日本政府が助成金などの門戸をさらに拡大し、民間が活動しやすい土壌とチャンスを増やしてあげることはできないものだろうか。そうなればミャンマー国民には迅速かつ直接的に支援の手が伸びる。少なくとも形は見えてくる。こうした支援の問題はこの国に限らず、日本の発展途上国への援助の在り方を考え直し、「発想の転換」を模索すべき時期に来ているような気がする。肝心なのは金額の大小ではなく、本当に助けを必要としている人々のために使用されているかが大事なはずだ。

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