◎特集 「ミス・ユニバース」の審査員というお仕事 知られざるミスコンの舞台裏とその顛末記

 少々はしゃぎすぎだとご批判を受けそうだが、ミスコンの審査員なんていう役得はそう滅多にくるものではない。美女たちを前に冷静に採点できるのかと、そんなたわいもないことを考えながら開催地マンダレーへ飛んだ。今回はその顛末記をお届けしよう。

目次

責任重大なミツションに 緊張感が

弊紙は創刊以来、ミャンマー各界で活躍する女性をゲストにした「対談シリーズ」を連載している。すでにお招きした方は今月号で40人になった。実業家、学者、女優、歌手などお呼びした方の背景は様々だが、その中でもミスコンのミャンマー代表の方々にもかなりご登場頂き、楽しいひと時を過ごさせていただいた。
 初めてのゲストは、民政移管後の2012年に実に60年ぶりに復活したミス・インターナショナルミャンマー代表として日本の沖縄での世界大会に出場したシャン州パオ族出身のナン・キン・ゼアーさんだった。彼女はミャンマー全国民からネット投票による熱狂的な支援を受け、見事「ミス・インターネット」に輝いた。それからこのミスコンの代表の方々には毎年お声をおかけし、ミス・ワールドやミス・コスモポリタンなど、他のミスコンミャンマー代表もお呼びした。
 そんな実積が評価されたのか、今年に入って当方が仰天するようなオファーが舞い込んだ。何と「ミス・ユニバース」の審査員の依頼だった。むろん世界大会ではない。来年2018年のミャンマー代表を決めるマンダレー地区予選大会で、今年8月にヤンゴンで開催される最終選考会に出場する代表を選ぶ大会だった。
 しかし、本音を申せば地区大会だろうが本選だろうが、当方にとってはさほど重要な事ではなかった。「ミスコンの審査員」という男なら誰でも一度はやってみたいという依頼がきたという驚きの方が強かった。そのため、招へいした方へは2つ返事でOkと言いたかったが、「少々考えさせて」と心にもないことを言って格好をつけてしまった。
 いずれにしてもマンダレー地区の代表という国内大会だが、ここでの勝者が本選を勝ち抜き、もしかして来年1月の世界大会で栄冠に輝く可能性だってあるのだ。そう考えると、これは責任重大なミッションで
はないかと、きわめて勝手な解釈で承諾の返事をした。

65年の歴史を持つ 「ミス・ユニバース」

「ミス・ユニバース」は、ミス・ワールド、ミス・インターナショナル、ミス・アースと並ぶ世界4大ミスコンの一つで、我々日本人にとってはなじみのあるビューティーページェントだ。
 というのも今から64年前の1953年(昭和28年)の第2回大会に出場した日本代表の伊東絹子さんが3位で初入賞したのに続き、その6年後には児島明子さんが世界大会で優勝という快挙を演じた。戦後打ちひしがれていた日本人にとっては世界でもやれると勇気づけられる出来事だった。その後10年前の2007 年には森理世さんが日本人2人目の栄冠を獲得したニュースはまだ記憶に新しい。
 この「ミス・ユニバース」は戦前の1926年に『International Pageant of Pulchritude』(別名:ミス・ユニバース)としてスタートしたが、世界大恐慌と第二次世界大戦の影響で一時消滅した。そして戦後1952年から米国の水着メーカーがスポンサーになって、カリフォルニア州ロングビーチを舞台にして再開された。ちなみに第1回の優勝者は北欧のフィンランド代表であった。1955年には最初のテレビ中継も始まった。1960年からは3大ネットのCBSが全国中継を行うようになった。
 しかし2002年以降はNBCとの合弁事業となり、その後NBCが保有していた「ミス・ユニバース機構」の所有権の50%をD .トランプ氏(現大統領)が買い取り、事実上のオーナーとなった。だが、トランプ氏は3日後にWME/IMGに売却してしまう。トランプ氏の関与が消滅したので、2015年12月の第64回大会からはFOXが中継局になり、決勝は原則プライムタイムで生中継され、この放送権は世界各国のTV局に販売されるようになった。
 余談になるが、2012年4月に「ミス・ユニバース機構」は規約を改正し、翌2013年大会から性転換者にも門戸を開放することを発表した。この新ルール発足のきっかけは、カナダ大会に出場した米国代表が男性だったという珍事に起因。性別適合手術を受けたのを理由に失格となった。しかし当時、同機構の代表を務めていたトランプ氏の意向で失格が撤回になったという経緯も背景にあるという。
 同じころ、ミャンマーでは2013年の「ミス・ユニバース第62回大会」への代表最終選考会がヤンゴンで行われた。ミス・インターナショナルに続く、52年ぶりの代表が選出された。
 2017年の栄誉に輝いたのはZun Than ZIn(21)さん。今年、1月にフィリピンで開催された世界大会では惜しくも敗れたが、彼女はヤンゴン芸術大学の音楽学部を卒業し、ミス・ミャンマー、アジア・ニュースター・モデルコンテストなどのミスコンを総なめにした女性だ。

17名によるマンダレー地区 代表選考会

世界80か国以上の代表が参加する世界大会は、文字通り世界一の美女が選ばれる大舞台だが、それだけに各国内での予選は激戦で、まるで夏の高校野球の地区予選を思い浮かべるタフな戦いが続く。
 2月10日行われたマンダレー地区大会も戦前の予想では混戦だった。会場となったのは、市内中心部マンダレー中央駅上に建つ「Hotel Marvel Mandalay」のボールルーム。このホテルはマンダレーを中心にホテルや飲食店などを展開するAmazingGroupの経営で、吹き抜けが見事なロビー ラウンジを中心にモダンで清潔感が魅力の4つ星ホテルだ。そしてこの大会のメインスポンサーの一社でもあった。
 主催者は月刊誌「Tomorrow」や新聞などを発行するMyanmar Media Group、CEO で編集主幹でもあるU Wunnaは、ミャンマーの国技ともいえるラウェイを仕切る大プロモ―ターでもあり、こうしたイベントのサポートしている。それだけに各地に強力な支援者やネットワークを持ち、今回の筆頭スポンサーとなったAYA銀行やMyanmar National 航空なども、彼の要請で賛同したという。
 朝一番の飛行機でマンダレーに向かった当方は、昼前にホテルに到着。午後6時の開演まで、昼食をはさんで大会関係者やスポーンサーの方々と進行や審査方法などの打ち合わせを行った。
 しかし何しろ当方はミスコン審査員なんていう大役は初めてで、少々緊張感を憶えたが、それよりも一体どんな展開になるか期待感のほうが大きかった。ちなみに審査員は当方を含めて5人。英国のメディアの支局長、スポンサー企業の役員、主催者の代表、そして隣に中年の美しい女性がお座りになった。聞けばミャンマーアカデミー賞を3度も受賞している大女優のHtet Htet Moe Ooさんだという。日本でいえば高島礼子さん的な役者さんだとお見受けした。
 しかし当方がきちんと挨拶すると、タカシマさんは魅惑的な笑みを浮かべて返礼してくれた。どころか本番の審査中にお菓子を頂いたり、なかな か気さくな女性だった。
 その気になる審査方法だが、出場者17人の番号リストと横に「ウオーキング」、「肌の美しさ」、「スタイル」そして「美しさ」の4項目をマークする採点表が渡され、それぞれ1点、5点、最高10点の3段階の点数をつけていく方式だという。その合計点で上位5人がファイナルに残るらしい。

混戦から抜け出した 女優志望の20歳

6時の開演までに少し時間があったので、エントリーしている出場者の控室への入室を許された。実はここが一番興味があッた。当然、一流のメイキャプアーテイストやヘアデザイナーがお付きになり、器量に秀でた乙女たちをどのように変身させるのかを見てみたかったのだ。
 案の定、平均年齢22歳の出場者たちは、自分磨きに余念がなかった。そこで 「ジャパニーズメディアです。この大会を記事にしますから、皆さんがんばってください」と挨拶すると、それま
で緊張でやや重苦しかった
控室の雰囲気が和んだよう
な気がした。
 しかしまだ頬にタナカを
塗った方もちらほらおり、
それがいかにもミャンマー
のミスコンらしかった。
 イベントは主催者代表の
U Wunnaの開会宣言で始
まった。最初はK-POPばり
の若い女性グループのアク
ティブな歌とダンスが披露され、そのパフォーマンスが終わるといよいよ出場者全員がステージにご登場。民族衣装の素敵なロンジーで着飾った女性たちが笑顔を振りまく。ここからまず「ウオーキング」の採点が始まった。
 現役のモデルさんやタレントもいるそうで、この方たちはさすがに歩き方は洗練されていた。そうでない方々はやはり少しぎこちなさが残った。しかし、先ほど控室でお目にかかったほぼスッピン状態の乙女たちが、皆見事に“お化け”になっていたのには感心した。合間に登場した歌手たちも、人気急上昇中の男性歌手Zaw Paingや、1月に行われた第3回日緬プエド―の常連になったニ・ニ・キンゾーさんらが素晴らしい歌声で花を添えた。
 そしていよいよ水着審査である。ここで「肌の美しさ」「スタイル」「ビューティー度」の3項目の採点に入るが、お一人のデモ時間が1、2分しかなく、採点が結構忙しい。当方はA, B, Cでまずマークし、あとで数字に直した。しかしかってミャンマーのミスコンでは水着になることさえはばかれたのに、今は皆さん堂々たるパフォーマンスを見せ、最後にステージ中央で合掌する姿がとても印象に残った。

選考基準として、単なる外見の美しさだけではなく、知性・感性・人間性・誠実さ・自信などの内面も重視するというが、そこまで見抜くのは当方には土台無理な話。それでも何とか採点表にクールな目?で点数を書き込んだ。
 その結果、ファイナル審査に高得点順に5人の方が残った(右上写真)。そしてこの5人に審査員から質問が浴びせらる。 「夢」とか「将来の目標」などのよくある問いかけだが、皆さん必死に自己アピールも忘れなかった。
 午後10時半。すでに大会は4時間になろうとしていた。ついに優勝者の発表である。ファイナルに進んだ5人中3人までが、当方の採点の上位に入っていた女性だったので「案外、審査員に向いているかもしれない」などと、勝手な事を考えていた。
 その時だった。司会者が”13番“の名を連呼した。「ノー・テッテ・ナイン(Noe Thet Thet Naing)さん」。マンダレー大学法学部2年在学中で、20歳の学生さんだった。彼女は生っ粋のマンダレーっ子だが、幼い時に両親をがんで亡くし、現在祖母と2人暮らし。夢は有名な女優になることだという。
 右上の5人の写真を見て(1人はミス・ポピュラー賞受賞者)、読者の方の中には異論を唱える人もいるだろう。審査員5人中、英国人と日本人の当方を除けばあとはミャンマー人である。国民性によって美意識が異なるのかもしれない。ちなみに当方が投票した女性名は、今後差し障りがあるので公表は控えたい。
 大会終了後、優勝者に「勝てると思った?」と聞いたら、彼女は満面に笑みを浮かべて大きく頷いた。「8月のヤンゴンでの国内代表選考会でも優勝をしてね」と返したら、本当に嬉しそうに無邪気に笑った。
 大会後の打ち上げパーテイ―で、主催者から「ご苦労様。ヤンゴン大会もよろしく」という思いもかけぬねぎらいの言葉を頂戴した。これで毎年、レギュラー審査員になれるかな、という淡い期待が脳裏をよぎった。

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