◎今月の視点 「発想の転換」と「向上心」が日常化していけばミャンマーは劇的に変わる

ついにやってきた。猛暑である。

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酷暑の水かけ祭りが迫る 日本語からミャンマー語へ

ついにやってきた。猛暑である。炎天下の日中は、さすがに徒歩での外出は躊躇する。今月中旬のお正月イベントである「水かけ祭り」あたりには”酷暑“となり、日傘でもなければ恐怖感さえ覚える。
 ところで話は変わるが、先日、弊紙オフィスに可愛らしいお二人の若いお嬢さんがひよっこり見えて、流暢な日本語で「語学学校の広告を出したいのですが、」という誠にありがたいお申し出を頂いた。しかしサンダーさんというオーナー教師の話をよく聞くと、日本語学校を長らくやっていたが競争が激しいので、日本人の方にマンツーマンでミャンマ―語を教える専門講座にシフトしたという。その宣伝依頼だった。
 この発想には感心した。確かに日本語学校の数は、現在大小、老舗、新設校を含めればゆうに100校を超すだろう。これではいくらブームとはいえ、軌道に乗せるのは大変だ。ましてや日本人教師の絶対数が不足しており、ネイティブの先生を確保するのは報酬、待遇面を含めて、小さな学校では厳しい。だから、N1、N2の資格取得を目指す者にとっては、どうしてもネイティブの先生がいる学校へ目が向く。

会話ができない英語教育の欠陥 高い英語の素養を持つ人々

思えば今から40年前くらいの1970年代あたりから、日本も空前の「英会話」ブームに見舞われた。その背景には日本の義務教育では中学から始まる英語の授業が文法重視で、読み書きは何とかなるが会話ができないという英語教育の弱点が露呈したからだ。日本のグローバル化で外国人と接触する機会が増えたという側面もあった。
 ミャンマーでも我が国と同様に英語の読み書きはできるが、会話がダメという若者が意外に多い。英語は小学校から習い始めるが、いかんせん暗記教育に重点が置かれ、ミャンマーの若者たちと英語で込み入った話ができないのは残念だ。
 しかしかって英国の植民地時代を経験し、英語に対して抵抗感がないためか、年配の方々、中でもタクシーの運転手さんなどは英語を理解する方が想像以上に多い。ASEAN諸国の英語圏以外の国々と比べれば、その確率は群を抜いている。
 また日本語に関しても、2011年当時と比べると、日本語を流暢にあやつる若者が増えてきたのには驚かされる。当方などは、ミャンマー語に関してはいまだに挨拶言葉と数字くらいしか喋べれないのだから、偉そうな事は言えないが、かくいう当方も10代のころは英会話習得に没頭した。
 入学した高校の近くにたまたま米軍の住宅地があり、クラスメートの父親がそこの守衛をしていた関係で、放課後には住宅地内に住まいがあった彼の家へ毎日のように遊びに行き、近所で遊ぶ米兵の子供たちを相手に英会話の練習をさせていただいた。子供たちは小難しいことを言わないので、こちらのつたない英語力で話かけても次第に返事が返ってくるようになった。これには感激した。
 この時の経験で、いくら正確な英語を羅列しても、発音が悪いと子供たちにさえ理解してもらえないことが解った。そこで家に帰って机に向かうときはFEN(駐留米軍放送)を流しっ放しにし、発音や抑揚のつけ方を真似して修練した。そして翌日その発音の呼吸を忘れずに米軍の子供たちと会話した。この繰り返しの実践訓練が、のちに海外へ出たときに大いに役立った。英語のセンテンスなど多少間違っていようが、発音がよければある程度の会話が成立することが解ったのである。そうなるとさらに向上心が湧き、英字紙の記事を読み上げ、ネイティブの友人に評価批評を頼み、発音の訂正箇所を何度も反復した。

現状でのままでいいのか自問を 向上心を備えた「発想の転換」を

しかし日本語の場合は、カタカナ、ひらがな、漢字という3種類の文字を組み合わて構成される世界でも例を見ない難解な言語だ。例えば「橋、端、箸」という単語だけ見ても、微妙な発音の違いを克服するのは外国人には至難の業だ。相手を呼ぶ言葉さえ「あなた、お前、自分、貴様、貴殿、お宅、そちら様、先生、社長etc」など、場所と相手によってこれほど多岐にわたる使い方ができる言語は日本語だけだろう。
 だからネイティブに近い日本語を話すミャンマー人に出会うと、いくら文法が似ているからといっても本心から「凄いな」と思ってしまう。しかしこの国の人気トップの外国語は依然英語であり、その次に日本語、中国語と続く。この選択肢だけ見ても、全方位的にならざる負えないミャンマーの立場が分かる。
 冒頭で触れた弊紙を訪ねてきた女性たちの素晴らしさは、今後邦人の来緬が増え、ミャンマー語への関心も比例していくと踏んだ経営的読みから『ミャンマー語学校』へ思い切ってシフトした発想の転換だ。そしてビジネスを軌道に乗せたいという向上心と、絶対にあきらめないという粘り強さを感じた。
 この精神こそ、今まさにこの国の若者たちにぜひ身につけていただきたい精神である。この国にもグローバル化が押し寄せつつある現在、「発想の転換」がまず日常化していけば、この国は劇的に変わっていくと確信する。

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