◎第1回 導│ミャンマーに貢献する日本人

日本赤十字を退職して障がい者支援の仕事へ タジキスタンからミャンマーへ赴任して

目次

中川 善雄 Yoshio Nakagawa AAR Japan 「難民を助ける会」ヤンゴン事務所駐在代表

私が国際協力を仕事にしたいと思ったのは、大学生の時に参加した海外ボランティアがきっかけだった。その時に、世界には多くの人が知らない問題が数多くあることを実感し、自分にできることがあるなら何かしたい、国際協力を仕事にしてみたいと、思うようになった。
 その気持ちはずっと持ち続けていたので、大学卒業後、22歳の時に日本赤十字社へ入社した。私にとって赤十字は、世界で人道支援を展開する憧れの組織だった。
 まず配属されたのは献血の事業部だった。しばらくすると、輸血を必要とする患者さんのために働くことがやりがいになった。仕事にも懸命に取り組み、上司にも恵まれた。
 しかし、本当のところ、心の中では悩んでいた。待遇面では公務員に準じて安定していて不満はなかったが、目標だった国際協力の部署へ異動できるかどうかは定かではなかったからだ。しかも配属されてから数年後には異動があると聞いていた。だから日々悩み迷いながらも、NHKラジオ講座で苦手な英語を勉強したり、国際協力の講座等に参加したりもしていた。
 私にとっては一度きりの人生である。絶対に後悔だけはしたくない。国際協力の仕事をあきらめるわけにはいかない、その気持ちが増々強くなり、ついに転職を決断した。上司に正直に自分の希望を伝えると、意外にも温かいエールを送ってくれた。
 しかし赤十字を退職しても、特に決まった仕事があるわけではなかった。そこでまず現場経験を積める仕事を探そうと考えた。すると、ある時AAR Japan[難民を助ける会]という組織が、中央アジアのタジキスタン駐在員の募集をしていることを知った。そこですぐに応募したら、運よく内定を頂くことができた。
 この組織の「中立の立場で、より困難な状況にある人を支える」という理念にも共感できた。しかし当時の私は、タジキスタンという国のことも、現地で従事する「障がい者支援」のこともよく分からなかったが、まずは3年間を目標に頑張ってみようと心に決めた。
 27歳でタジキスタンへ赴任した。忘れもしない2011年3月下旬のことだった。赴任直前にあの東日本大震災が発生したのだ。残念ながらAARの被災者支援に携わることはできなかった。後ろ髪をひかれる思いだった。
 タジキスタンは中央アジアの山岳地帯に位置し、イスラム教徒が大半を占める回教国だった。この国でのAAR事務所は、日本人駐在員2人、現地職員4名という体制だったが、赴任2カ月後にして、現地代表の役目を担うことになってしまった。

ここでの業務内容は、障がい者支援事業の管理の他、総務・経理業務、現地政府、日本大使館との対応等、多岐に渡った。もちろん当時の私は、事業管理や障がい者支援の経験もなく、それまでの職場でリーダーを務めたことさえなかった。だから知識も経験も絶対的に不足していて、初めの一年半は、なかなか自信が持てず、悩んだ。辛い時期だった。
 タジキスタンという国は、社会福祉サービスがまだ未整備だった。障がい者を支援する機関やNGOも少なかった。したがって障がい者の多くは、教育や就労の機会が限定され、社会との接点を持てないまま生活していた。駐在した2年半の間、職業訓練コース(洋裁・調理・美容)、障がい者家庭訪問、車いすの製造・配布等を行った。そうした事業を通して、障がい者やその家族の生活が徐々によくなっていく手ごたえのようなものを実感できた。
 例えば事故に遭い、適切な治療を受けられず歩行障がいが残ったザリナさん(当時27歳)、という女性がいた。清掃員として働いていたが、このまま自分の一生が終わっていいのかといつも悩んでいた。AARの調理コースへ参加して研修を続けていたら、高級ホテルのキッチンスタッフとして就職することができた。
 また脳性マヒにより歩行が困難だったムザファさん(当時29歳)という男性は、毎日自宅で一日の大半を過ごす日々だったが、AARが配布した車いすを使用して、外出することができるようになった。家族の負担もだいぶ軽減したという。
 現地では、障がい者やその家族が社会を変えようと奮闘していた。そうした家族の中で、特に二人の方が印象に残っている。
ポリオに感染した影響で足に障がいが残るアサドロさん(39歳、男性)は、障がい当事者団体の代表を務め、障がい者の置かれている状況を改善するために奔走していた。政府や国連機関、NGO、民間企業から協力を取り付けて活動を行い、いろいろな方々から頼りにされる存在だった。
 二人目はローラさん(39歳、女性)。自閉症の子を持つ母親で、NGOを立ち上げて自閉症児のケアに特化した施設を始めた。タジキスタンではまだ自閉症への理解は進んでいないが、一人でも多くの自閉症児を支援するという強い意志と信念を持ち、どんな困難があっても決して諦めずに活動を行っていた。
 私はこの国で障がい者の置かれている厳しい現状を知り、アサドロさんやローラさんのように、強い信念を持って活動をする方々に出会い、自分自身も、障がい者支援に対してもっとできることはないだろうかと、思うようになっていた。
 そうしたときに、ミャンマーのカレン州への異動の話を頂いた。タジキスタンへ赴任して2年半が過ぎていた。ミャンマーでの業務内容は、地雷被害者を含む障がい者支援という新たなる仕事が加わったが、ほかの国でも障がい者支援事業を経験してみたいと思っていた時だったので、このお話しを快くお受けした。2013年10月のことだった。以来今日までミャンマーで障がい者支援を行っている。次号では、ミャンマーの現状や実際の活動などを中心に書いてみたい。

<中川善雄  略歴>
本名 中川善雄。1983年神奈川県海老名市生まれ。立教大学理学部卒業後、2006年から2010年
まで日本赤十字社の献血事業部門で勤務。その後、国際協力の現場で働くことを志し、2011年に
特定非営利活動法人難民を助ける会へ。同年3月より2年半、タジキスタン駐在員として障がい者
支援に携わる。その後、2013年10月より、ミャンマー・パアン事務所で障がい者を含む地雷被害者
支援に従事した後、2015年1月より、ヤンゴン事務所駐在代表。現在、身体障がい者のための職業訓練校の運営と、知的・身体的障がい児へのリハビリ・教育支援活動を実施。
職業訓練校の見学や活動紹介は随時受け付けている。また、職業訓練校内とサンチャウン地区で洋裁店を計2店運営し、障がい者のある卒業生がスタッフとして働いている。 連絡先:myanmar@aarjapan.gr.jp
・障がい者のための職業訓練校、洋裁店Model shop
No. 65 Kyaikwine Pagoda Road, Mayangon Township, Yangon, Myanmar
・洋裁店Princess Tailoring Shop (No.8 Ground Floor, Nyaung Tone Road, Sanchaung Tonship, Yangon)

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