Khin Thar Tan San キン・ター・タン・サン 女優、ミャンマー伝統舞踊ダンサー 孤独な引きこもり少女が華やかな芸能の世界に飛び込んで変身を遂げる 女優、伝統舞踊の傍らで建築家の夢を捨て切れずに日々技術習得に励む

対人恐怖症気味だった少女が、女優に挑んで人生を変えた。伝統舞踊にもジャンルを広げ、大学で専攻した建築学への修練も怠らない。

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人間こうも変身できるのだ。対人恐怖症気味だった少女が、女優に挑んで人生を変えた。伝統舞踊にもジャンルを広げ、大学で専攻した建築学への修練も怠らない。夢は自前で設計した家を建てること。ミャンマーでも他にまり例を見ない個性的な女優さんだった。

幼少時代は家で絵描きに没頭する毎日 将来を心配する両親をよそに工科大へ

インタビュー会場にお見えになったとき、どこか日本風の雰囲気と顔立ちにまず親近感を持った。しかも失礼ながら26歳という年齢に見えず、あちらでアイドルといっても通用しそうな愛くるしさがあった。
 しかしこのキンさん、聞けば大学は工科大で、建築の技術者になることが小さいころからも夢だったそうだ。このお美しい方から、”技術者”なんていう片苦しいイメージはとても想像できないが、それがなぜ、180度も違う芸能界の世界に飛び込んだのだろうか。
 「子供のころから家に引きこもってお絵かきとかデザインを描いたり一人で遊ぶのが好きでした。というより知らない人と接するのが怖かったんですよ。だから学校から帰るといつも一人で過ごしていました。」
 日本風に言えば「対人恐怖症」か「引きこもり」だったのかもしれない。この傾向は中学、高校へ入っても続いた。しかし、さすがにご両親は心配した。特に母親は、「このまま行ったら社会人としてやっていけるかどうか」と本当に不安を感じていたという。
 そしかし彼女は両親の懸念をよそに、なんと工科大学に合格してしまったのだ。これで念願の建築技術者になる道だけは開かれたが、このジャンルも一人でコツコツとスキルを磨く、いわば孤独の作業が多い。ご両親はますます娘の将来を危惧したに違いない。
 「そうなんです。いくら好きな道といえども女性ですからね。この分野はどちらかというと男性の方が多いですから、その中で職業としてやっていけるかという不安と、何より組織の中で、対人関係ををうまくコントロールできるかどうか、母もこの点をずいぶん心配してました。」

180度を転換させた思い切った決断 ビルマ伝統舞踊家としても頭角を表す

そこでキンさんは思い切った決断をする。母のアドバイスもあって人前に積極的に出る仕事に就くことを考え始める。大学卒業間近の21歳のときだった。
 「ミャンマーのテレビ局MITV4のオーデションを受けたら、幸運にも受かったんですよ。それで大学を出ると、建築のほうはひとまず置いて、女優の道へ進むことにしたんです。それからテレビ局で半年くらい演技のトレーニングを受けて、脇役でしたがすぐにドラマ出演の話をいただいたんです。もちろん母は大喜びでしたが、話が現実なると、今度は女優業をやれるのかどうか、とても贅沢な心配を始めましたね。」【笑】
 それはそうだろう。寡黙で孤独を愛した少女が、一転して大勢の観客や聴衆の前に立たなければならない。テレビドラマといえども、カメラの向こう側には何百万人という人々が注視しているのだ。
 「初めての出演作はメイドさんの役だったんですが、あんまり緊張しなくて、結構うまくやれましたね。これで自信がつきました。それから何本かのシリアスなドラマの脇役をやりましたが、自然体で演技できたのがよかったです。そのうち映画界からも声がかかるようになりました。」
 小さいころ笑顔を忘れていた少女が、大きくなってテレビドラマで天心欄間に演技して、満面に笑みを浮かべている。そんな姿を見たご両親は本当にうれしかったという。
 「女優の仕事を始めて1年くらいしてから、テレビ局の方からミャンマーの伝統舞踊をやってみないか、というお話をいただいたんです。実は母が心配して小さいころから伝統舞踊を習っていたんです。これだけは好きでしたからまじめにやっていました。」
 MITV4では毎年水祭りの時期に有名な伝統音楽家や歌手を呼んで、特別番組を組んでいるが、その音楽に合わせた伝統舞踊の踊り手を探していた。そこに舞踊経験を持つキンさんに白羽の矢が立った。
 「最初はグループで踊りましたが、2年前くらいからソロで踊るようにもなりました。各地のイベントからも招待を受けるようになりました。子供のころからもう20年近くもやっていますから、今ではこちらのほうが忙しくなって来ましたね。」
 今年の水祭り期間に放映された特別番組の映像を見せてくれた。伝統音楽の歌手の歌声にあわせ、華麗だが力強い踊りをソロで披露していた。厳密に言えばビルマ族の古典舞踊だが、指先や手先の動きが微妙にエレガントさを醸し出している。表情もドラマとは違って自信に満ちていた。
 「本当のことを言うと、これは趣味でやっていたんです。仕事にしようなどとは思わなかったんです。でも今ではおかげさまで、あちこちから声がかかるようになりました。」

韓国から化粧品CMモデルの声も 日本の寿司や刺身が大好物

映画の仕事もコンスタントで入るようになったが、顔が売れてくるとCM界からもオファーがくるようになった。昨年は韓国の化粧品会社からイメージモデルとして声がかかった。
 「ネイルアートの仕事だったんです。それで韓国に行ってきました。時期的に寒かったです。それに私はミャンマー人なのに辛い食べものは苦手で、あちらでは苦労しました。その点、日本のお寿司はいいですね。刺身も大好きです。よくSayaSanの『おいしい寿司』にいくんですよ。」
 これまでタイなどへの旅行経験はあるが、せっかく韓国まで行ったのだから、ぜひ日本へも寄ってみたかったという。
 「日本は憧れの国です。日本人のお友達もいます。法律やルールには厳しい国です。ミャンマーとは友好的な関係にありますね。私個人としてはお寿司とサクラが気に入ってます。
 いつか行きたいと思っていますよ。反対に、日本の方に是非行っていただきたいのはバガンです。ついに世界遺産に登録されましたね。ミャンマーが世界に誇る名所ですよ。私自身も本当に好きな場所です。」
 キンさんは忙しい合間を縫って友人たちと定期的に孤児たちへの支援活動も行なっている。 
 「1か月に1回程度ですが慰問に行ってます。文房具を配ったり、時には料理を作ってあげて振舞ったり、たいしたことはできませんが、できる限り続けていこうと思っています。」
 ところで最初の希望だった建築技術のほうはどうなったのかと聞いてみると「女優になっても勉強は続けていますよ。積算とか見積もり計算とか。建築の技術習得は本当に難しいんですが、夢は将来自分で設計した家を建てることです。デザインから積算までずべて自分でやってみたいんです。だから勉強は怠りませんよ。」
 子供のころの憂鬱な毎日が嘘のように、今、充実した人生を送るうキンさんの表情は実に晴れ晴れとしていた。かげながら応援したい気持ちになった。

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