特集 ミャンマーの伝統工芸品 知られざる“巧”たちのめくるめく芸術の世界

パテインはヤンゴンから西へ150Km、ミャンマー有数の米どころエーヤワディーの州都だ。パテインの傘はミャンマーで最も古い工芸品のひとつで、国際的なイベントや交易会、文化交流などで、不可欠なシンボル的な製品である。

目次

「パテイン傘」の発祥と由来

 パテインはヤンゴンから西へ150Km、ミャンマー有数の米どころエーヤワディーの州都だ。パテインの傘はミャンマーで最も古い工芸品のひとつで、国際的なイベントや交易会、文化交流などで、不可欠なシンボル的な製品である。
 傘を作るにはパテインのタラクー竹が一番だ。パテイン付近には良質のタラクー(Tha Ra Ku Bamboo)種)広大な竹林が広がっている。他の港町でもこうした竹林は見かけるが、傘を作るのにはパテイン周辺の竹が一番質がいいといわれている。
 この竹を使用したPa Thein Hti(パテインの傘)は、 パテイン発祥の傘だからその名に地名がつけられたという。ビルマ語には「ティードーモー(Hti Taw Moe )」という言葉がある。王に傘をさす役割のことを意味する。警護や警備とは違い、王の威厳を保ち、尊大に見せる役割だ。だから王に関係する装飾品とは次元が異なる重要な慣習だ。貴族用の傘は絹布で、一般人用は紙で作られたものを使用したという。
 製造方法は、素材の竹で軸と骨を作り、傘の布になる部分に水彩、油絵などをを塗って加工する手作り作業だ。まず竹を割って軸と骨で傘の枠組みを作る。骨の部分は、ひとつずつを組み合わせているわけではなく、割った通りに骨を繋いでいく。最も手間がかかるのは中心軸の部分だ。職人の技量が試されるポイントともいえる。
 その後、傘布を糊付けする。この段階で半日程度天日干しにする。傘布に絵を描くのは加工後となる。その後、再び天日干しを行い、さらに加工して完成品が出来上がる。使用されるタラクー竹は、強い日差しを受けたほうが効果的といわれ、暑い夏に作られた商品に人気が集まる。
 一本の傘を完成させるには約二日かかる。通常なら2年間程度使用可能だ。各工程の細かい作業の連続だからこそ、職人たちの集中力と技量が必要とされる。
 値段はサイズによって異なり、絹布は5千Ksから5万Ks。布地は1万Ksから8万Ks。布地は一年中使え、サイズは1ft~18ftまである。
<ヤンゴンでパテイン傘を購入できる店>Su Mon Gems & General Trading
Co-operative LTD.
Myanmar Arts & Handi Craft Center
Co-operative Business Central ,Yankin Township ,Yangon ,Myanmar .
電話:(09)540-5926

Mogok Ruby モゴックのルビー シャン州 モゴック 世界に知られる良質の産地

 ミャンマーにはこのMogok(モゴック)の他、Mong Hsu(モンスー)、Nanyaseik(ナムヤー)などの著名なルビー鉱山があるが、歴史、名声ともに最もネームバリューがあるのがこのモゴックだ。
 この国の王朝の歴史の中に出てくる「ロイヤル・ジュエリー」に装飾されているルビーの大半はこのモゴック産と言われており、香港などで開催される著名なオークションでは、1キャラットあたり$50,000以上の値が付いた150個以上のルビーのうち、約90%がモゴック産だったという驚くべき報告もある。
 町の入り口に「ようこそルビーランドへ」という看板が目に付くが、モゴックはルビーだけでなくレッドスピネルやブルーサファイアも有名だ。その他、ペリドット、アパタイト、スカポライト、ムーンストーン、ジルコン、ガーネットやアメシストなどの産地としても知られている。そのためこの町は、チャッピン(Kyatpyin)をはじめとした複数の村や宝石を産出する渓谷を含めて「Mogok Stone Tract」(モゴック ストーン トラクト)を形成している。 ミャンマー人に「リッチな町」と言わしめる理由はもちろんこの宝石を介在としたジュエリービジネスの繁栄にあるが、それを抜きにしても町自体も本当に美しい。
 モゴックはマンダレーから北東へ約200キロのところにある。このエリアは上ビルマとも呼ばれ、マンダレー管区のKathe(ケーテ)地区の一部になっている。
 モゴックへのルートは、以前に比べてだいぶ楽になった。マンダレーからの舗装道路は1990年代初頭に建設され、約6時間で到着できるが、数年前に完成したバイパス道路を行けば、約2時間短縮できる。

Puppet パペット Mandalay マンダレー 情念の世界を描く人形劇

 ビルマの操り人形(パペット)はインワ時代に極められ、民衆にも広がっていたが、英国の植民地時代に禁じられたため、衰退してしまった。現在では主に観光客相手だが、かつての担い手たちが中心になって復興しようとしている。
 劇のテーマはラマーヤナなどのインド系の神話や仏教系の説話、土着の民話等が中心で、ビルマ王朝から続くこの国の芸能文化を代表する芸術である。人形劇が人間の動きを模倣しているのではなく、逆に生身の人間の踊りに、人形の奇妙な動きが取り入れられたりしているのだ。
 人形が人間が人形の様に、生死、男女の情念の世界など、不可思議な官能美と奥深さがこの人形劇にはある。人形劇はマンダレーが発生の地といわれている。そのマンダレーは、今も「ガーデン・ヴィラ・シアター」というパペットの常設小劇場がある。この劇団は世界中で公演しているらしく、日本にも来たことがあるという。結構、海外公演もやっているらしい。ヤンゴンやバガンにもこうしたシアターは残されているが、やはり、本家のマンダレーの劇は素晴らしい。マンダレー文化の一つになっているようだ。

Pan Hto De パン トウ デー Yangon ヤンゴン ロンジーのボタンは細かい手作りで

 ミャンマー衣装のロンジーのブラウスのボタン部分によく使われる紐結び装飾には、花モチーフのものがある。これをミャンマー語では「パン トウ デー「(花編み)という。この花飾りも一個一個手作りで、作る人も年々減少してきている。
 制作の初めは紐作りだという。生地の目に対し45度斜めに細長くカットした布にミシンをかけて裏返し、細い紐を作るのは、くるみボタンをとめるときのループ紐の作り方と同じだという。
 この紐を使って、花飾りを花びら一枚づつ針と糸で留めながら形作っていく。気の長い作業だ。花びらは一重から三重、数は5、6枚が美しいという。
 少し難しいのは、ボタンになるボール状の部分の結び方だ。先端がかなり長めのピンセットのような道具を使い、結びながら締めながら玉を作っていく。

金箔工房 Gold Platte Mandalay Mya Par マンダレー マヤパー地区 ミャンマー人と金とは切れぬ縁が

 仏教徒の寄付行為には金箔が不可欠である。マンダレーのMyat Par 区にはその金箔作りで知られる工房が集まっている。願いを込めてパゴダに貼る金箔をを作るには、まずゴールドフラットの段階を経ないといけない。金の塊をプレートになるまで薄く延ばしていく作業だ。
 このMyat Par 区では金箔に関して、Sayar Mon 「モン先生」を崇める慣習があるという。Sayar Mon は、マンダレーのMahaMyatmuni パゴダに金箔を貼るために、初めてゴールドプレートの方法を考案した方だという。だから、工房で作業が始まる前には必ず供え物を用意して、いい完成品ができるように、氏への祈りを捧げるという。 工房は金を叩く音で年中活気に満ちている。上半身裸の職人たちは、精錬した金が貼られた紙片を、一枚ずつ5時間程度金槌で打つ。その前工程として金の塊を全て用器に入れて火を通す。火力を利用し金の塊を薄くする。そして焼いた金をさらに薄くして、適宜のサイズにする。それから30分間叩く。極限までフラットにするのだ。そこで、初めて金箔制作の作業が開始される。ゴールドプレートを作るには竹の紙のみを使用する。ビルマ語で「Tin war」という種類の竹が用いられる。この竹紙を作るにしても細心の注意が必要だ。何年間か寝かせた竹を薄く切って石灰(せっかい)水に浸ける。水を調整しながら混じりけをとる。その後、水槽の底に堆積するまで待ち、水分を取り除く。
 3日程経つと竹の芯が乾き、紙の状態になっていく。その紙を取りだし、銅板の上でさらに薄くなるように叩く。この作業は風が入らない部屋で行うという。風が吹くと紙が破損する恐れがあるからだという。金箔のプレートを作るために必要な紙にしても、これほど大変な工程を経なければならないので、現在はサガインのDaung Ma村で製造された紙を使用する場合が多いという。
 マンダレーに来る外国人観光客は、MahaMyatmuniパゴダを訪問する前に、このMyat Par 区を訪れる方が多くなったと、Ga Lon Min 金箔工房のオーナーのMa MyintMyintPyone さんが教えてくれた。ガイドブックにも紹介され、伝統の金箔作りが注目を浴びてきたからだという。彼の工房も観光客が見学できるように、初めからその工程を公開しているそうだ。かって、タイのThiri Don 王女が見学に訪れたこともあるという。

Silver Product 銀製品 SaGain ザガイン ミャンマー人にとっての「銀」の 意味とは

 銀をミャンマー語で「Ngwe」 ングエーと言い、同じ発音でお金という意味もする。銀器は水祭りのシンボルで「銀器を持って水遊びしよう」「銀器を持ったびっしょぬれの娘」「銀の水に注がれた少女」などの言い回しも残る。
 銀製品をプレゼントされたら、女性の名誉、優雅さが増すと信じられ、仏陀に銀をお供えしたら、お金が増えると信じられている。銀は耐久性や持続性において、金とよく似た性質を持ち、古くから金に次ぐ貴金属として尊まれてきた。銀は高価で、貴重な鉱物資源であり、化学的には安定性が高く、電気化学的にも高い伝導率をもつ。金や銀は国の宝として認定されているばかりでなく、現代のトレンドを生み出すジュエリーとして年齢を問わず人気が高まっている。
 ミャンマーには昔から、10種類の花(10種類の技術)の工芸技法があり、現代までその伝統は継続されている。その技法とは①pan-jiパンチ絵画職人、②pan-buパンプ彫刻職人、③pan-putパンプッ木材細工職人、④pan-deinパンデイン金属細工職人、⑤Pan-beパンべ鉄鏃武器職人、⑥pan-yanパンヤン建築職人、⑦Pan-tamotパンタモ石細工職人、⑧Pan-dotパンドッ漆喰細工職人、⑨Pan-ywunパンヨン漆職人、⑩Pan-dinパンデン鐘造り職人。などだ。
 上記、10種類の伝統技法は細かい手造りの工程から行う。中でも非常に高度な技術が必要なパンデイン技法についてまず紹介したい。銀は宝石として認定されており、昔から金に次いで豪華な装飾品として使用されている。
 いうなれば貴族階級の調度品である。材料は大半が北シャン州の「Nanmatu Bawdwin」(ナンマトゥ鉱山)から産出された銀を使用している。他は、金の精錬場で残った銀を買ったりするという。銀の属性は非常に柔らかいため、銅を混ぜないと使えないという。95%の銀に5%の銅を混ぜるそうだ。また銀は塩化系に弱く黒くなるため、海岸地方の銀は早めに黒くなりやすい。耐久性や持続性においても金とよく似た性質を持ち、古くから金に次ぐ貴金属とされてきた。
 銀器は結婚式や得度式などによく使われ、お供えものを入れるトレーなどにも使用される。仏壇用道具にも銀を使う人が多い。次第に高価なってきたため、一般庶民の崇拝者の中ではすべて銀製品で取り揃えることが難しくなってきている。やはり財力によって差が出てしまう。仏壇の水の供え用コップ、花瓶、銀の仏像、仏座、蝋燭入れなど宗教用の器や祝いの席などで銀器を飾ると、さらにめでたい気分になるといい伝えられている。
 銀製品の工場が数多く残るのは北部のザガインとインレー地域ぐらいだ。ザガインやインレーは民族は異なり、形や模様も異なる。シャンスタイルのインレー地方の模様を好む人もいるが、ビルマスタイルの彫刻デザインの製品も人気が高まっている。

石材仏像彫刻 Stone Buddha Sculpture Mandalay  マンダレー 石細工工房を訪ねて

 仏教国ミャンマーならではの伝統的な仏像制作は、想像以上に手間ヒマと高度な技術を要する作業だった。AD2世紀ころから始まったという石細工は、現代まで様々な形で受け継がれる伝統技術である。マンダレーの「Chan MyaThar Si」地区には、この石細工の工房が集まっており、飛び散る石粉の中で、一体一体丁寧に仏像が彫られていく。大小の仏像に交じって、8曜日にまつわる動物たちの石像も創作されている。
 主な原材料は大理石である。マンダレー近辺のマッタラー町から仕入れられ、完成品はマンダレー市内のチャンミャタージー地区に集まる仏像販売店に納入されている。
 「重要で難しい部分は、やはり『顔』ですね。仕入れた大理石の大半は大まかな原型にはなっていますが、細かい顔の表情や造作を彫るのは相当な技術を要します。」と、ベテラン職人の一人、Ko Min Min さんは語る。この工房では顔の造作に加え、ご神体の彫刻や仏像としての威厳や神聖な特徴を出すための入念な研磨や塗装が行われている。「僕は10歳からこの石細工の工房に入りました。現在は30歳ですが、この工房では経験が長いといえるでしょう。古い職人は退職した方もいれば、すでにお亡くなりになった方もいますから、20年も職人をやっている僕は熟練の部類に入りますね。」と、KO Min Minさんは胸を張った。
 昔は主として鑿(のみ)だけを使って彫っていたので手間がかかったという。しかも鑿の扱い方を一歩間違えば、その仏像は市場には出せず、廃棄せざる負えなかった。しかし現在は電動工具を使うようになり、ミスも減り、かって一体に1か月かかった制作時間が約半月に短縮された。
 顔の造作や表情を彫るのに最低10年の経験が必要だという。Ko Min Minさんも師匠のもとへ弟子入りし修業したが、師匠はそう簡単にはコツを教えてはくれなかったという。
 仏像の表情はその巧の心が投影されるからだという。だから10年間、師匠の創作する様子を脇でじっと伺い、そのあとで練習を繰り返したそうだ。「僕の場合は結婚を契機に独立しました。自分の工房を立ち上げ、石細工職人として生計を立てるようになりました。」と、彼はその苦難の道を振り返った。
 しかし、現在は男性職人だけはでなく、この世界に女性職人の姿も見られるようになった。巧の技にを魅せられてくる女性も増えてきているという。女性でも一流職人になれば、技術一つで十分生計が成り立つようになったからだという。
 大理石の仏像を彫る石細工職の中でも、顔の部分を彫る優秀な巧が、やはり収入が一番高いという。その報酬を聞くと、41~2ft高さの仏像ならば一体2万5千ksだそうだ。定給制ではなく、納品数によって決まるという。また、この業界では、一般の組織のように社長、社員という呼称はなく、見習い工と職人という区別で運営されているそうだ。 埃にまみれた過酷な職場でマスクもつけずに一途に創作に打ち込む職人たちの表情は真剣そのもの。少々心配になった。
 「もう慣れましたね。何年間も埃まみれの生活をしてきましたから。先代の師匠たちもこの環境の中でやっていましたから、別に気にもしていません。」と、明るく語ってくれた。
 「仏像の顔を彫るのは本当に難しい。購入する方は、まず顔を見ますからね。微笑みがあふれ出ている仏像はすぐ売れますよ。」と、最後にKoMin Minさんが笑いながら教えてくれた。

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