顔・人│VIP インタビュー 旅行業、ホテルからクルーズ、農場経営までグループを仕切る辣腕女性 ドイツ語ガイドから10年で成功を勝ち取った欧米仕込みの経営センス Tint Tint Lwin ティン・ティン・ルィンさん

ヤンゴン市街の渋滞緩和策の一環として、昨年、ダウンタウンのボータタウン埠頭と市街北西部のインセイン埠頭を結ぶ定期船「ウォーターバス」が就航したニュースは話題を呼んだ。わずか300Ks(約25円)の運賃で、急行なら約40分、普通なら130分間もヤンゴン川クルーズを楽しめるとあって、通勤客だけでなく観光客にも好評を博しているという。

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Tint Tint Lwin ティン・ティン・ルィンさん
Tint Tint Myanmar Group of Companies Chairman & CEO

凄い女性だった。昨年「ヤンゴン・ウォーター・バス」を自前で立ち上げたばかりでなく、今や旅行業、ホテル、クルーズ、自社ブランド縫製工場、農業製品など、多岐にわたる事業をわずか10年で構築したグループの総帥として活躍。英独語にも堪能で、その経営的センスはミャンマー人離れしている。ハンガリー名誉首席領事にも任命された国際派でもある。

Interviewer Tomio Kurihara
栗原 富雄
Yangon Press編集長

ヤンゴンの交通渋滞緩和に一役買いたい 自社資金で「ウォーターバス」の運営を

 ヤンゴン市街の渋滞緩和策の一環として、昨年、ダウンタウンのボータタウン埠頭と市街北西部のインセイン埠頭を結ぶ定期船「ウォーターバス」が就航したニュースは話題を呼んだ。わずか300Ks(約25円)の運賃で、急行なら約40分、普通なら130分間もヤンゴン川クルーズを楽しめるとあって、通勤客だけでなく観光客にも好評を博しているという。
 そのため、週末限定で観光客用に高速船でヤンゴン郊外の水上パゴダへの往復ツアーもスタートした。船上からはあのティラワ港もよく見え、視察目的にも使われているそうだ。軽食ランチ&コーヒー付きで外国人は2万Ks(約1,560円)。所要時間は拝観時間も含め、往復で8時間ほどだ。
この「ヤンゴン・ウォーター・バス」(YWB)の開設、運航を行っているのが、今回お招きしたティン・ティン・ルィン会長率いるTint Tint Myanmar of Group 会社である。
 「ヨーロッパで見かける川下りのフェリーに憧れていたんです。これは子供の頃からの私の夢だったんです。だからあまり営利追及に走ることはしたくない。ヤンゴン市内の交通渋滞緩和に少しでもお役に立ち、人々が楽しむことができればいい、そう考えて入札に参加して落札させていただいたのです。」
 しかし落札したとはいえ、このプロジェクトの立ち上げ、運営には最低でも約40億円の資金が必要だった。これはこの国では大きなお金、ましてや女性経営者にとっては相当の決断を強いられたのではないか。
 当初、ヤンゴン管区政府は「水上タクシー」として小型船で行うごく小規模な計画を持っていた。しかし、彼女はこのプロジェクトを「ヤンゴン水上バス」と名付け、一度に180-200人の乗客を運ぶことができる水上交通機関にすることを決めていたのだ。
 「だからといって公的資金を使用したり、合弁事業を検討したりする考えはハナからありませんでした。すべて自社資金でやろうと思ったのです。」
 幸いメインバンクのKBZ銀行が賛同してくれた。しかし、その当時の彼女には銀行ローンに関する知識は乏しかった。それでも、幸いなことに知識豊富な銀行関係者に出会い、事業を拡大するためのアイデアや計画まで明確になった。
 「運がよかったんです。私は事業計画書を提出して銀行へ急ぎました。銀行は必要な融資を4ヶ月後に実行してくれました。この時は、自分の事業計画が実現した喜びよりも、大きな事業を大手のKBZと一緒にやれるという充実感の方が大きかったと思います。」
 この事業の資金的めどは立った。しかしそれ以上に経験や技術力、サービス、そして何よりも長期的な展望が成功のカギだと彼女は思っていた。だから3つのルートで合計約50〜70隻の船とボートが必要だと考え、それらを思い切ってオーストラリアとタイから輸入した。リバーフェリーで約15年の経験を持つ技術者もシドニーから雇った。
 チケット販売をコンピュータシステムにして、電子決済システムも導入した。
乗客は携帯電話のアプリを使って支払いが可能になり、全チケットにIKBZの旅行保険も付けた。ボートが定員になると乗客が乗船できなくなるので、事前に分かるように受付カウンターには何人が乗ったかがモニター表示された。
 「私たちは安全対策の一環として、全座席に救命胴衣を用意し、全船とボートにGPSを装備させました。このシステムは船舶を追跡し、制御室を通して交通を管理することができます。船は20分ごとに運行され、搭乗および出発時刻を示すために機内LEDも設置しました。インセインからボタタウンまで、1時間半かかりますが、すべての作業は時間通りに行うことを厳しく徹底させました。」
 また、同社は川沿いに住む人々を優先的に雇用しているという。そして、職業訓練中でも月150,000Ksの給与が取れるようにしているそうだ。訓練が終了すれば1週間の厳しい適正試験を行い、合格すれば現場に出る。こうした安全性と従業員への待遇を第一に考えたシステムはミャンマーでは画期的なことといってよい。

ツアーガイドをしながら事業意欲を磨く 幼な子を抱えながら孤軍奮闘し独立へ

 こうした事業に対する誠実でち密な姿勢は、欧米や日本では特に珍しいことではないが、失礼ながらこの国ではまだ一般的ではない。どうしても目先のことを優先し、長期的な大局観に欠けるからだ。その点、ティンティン会長の経営的センスは、ミャンマー人離れしているといっても過言ではない。
 ではそうした彼女の資質や才能はどのようにして生まれ、磨かれていったのだろうか。「1998年にヤンゴン大学で化学の学士号を取得して卒業しました。しかし女性にとって大学を出ても仕事を見つけるのは難しかった時代です。だから私は化学のデモンストレーターとしてのキャリアを積もうと思いました。そこで、奨学金プログラムを受け、ドイツで化学を勉強することを目指しました。それでドイツ語を学び始めましたが、残念なことに奨学金は受けられず、それでも、私はドイツの文化や伝統について非常に興味があったので、この国の言葉を必死に勉強しました。」
 この当時、ミャンマーでは体系的にドイツ語を勉強することができなかった。しかし、困難な状況にもめげず、彼女はドイツ系の会社でツーリストガイドとして働くことを決めた。これは彼女にとって初の仕事だったが、のちに羽ばたく人生の大きな転機になった。
 大学を卒業した翌年の1999年から2000年の1年間で、彼女はドイツ語のツアーガイドとしてかなりの高収入を得た。ドイツ語圏からの旅行者は増えていたが、ドイツ語のガイドはまだ希少だったのだ。しかし、息子を授かり、その後シングルマザーとなってしまったため、子供の養育にも追われる苦しい日々が続いた。
 「私は時には悲観的になり、また楽観的なる繰り返しの情緒不安定な時期を過ごしました。でもシングルマザーとして自分の目標を達成するために全力を尽くしました。自分の能力の及ぶ限り、本を読み、そうして得た知識で勇気と力を蓄積したのです。」
 彼女は旅行会社を開くために勉強し、一生懸命働いた。そして2007年には、ドイツ政府から最高の「観光ガイド賞」を授与された。その後、世界中の多くのツアーオペレーターと連絡を取り合い、事業のためのネットワークを広げていった。凄いパワーである。
 「ツアーガイドとして10年目になる2009年に、独立することを決めました。スタッフが2人だけの小さな会社でした。そして事業計画をA、B、Cと立て、他の人ができない事業に挑戦しました。ミャンマーには大きな川が国内を流れており、船上から眺める自然の風景も素晴らしい。でも川を通る船の数は非常に少なかったのです。しかも船で旅行する人たちは裕福な人たちでした。そこで、私は他の一般の観光客にも気軽に船旅ができる楽しさをアピールしました。小さなボートでサービスを提供する事業を始めたのです。ところが苦労すると思っていたこの企画が、驚くべきことに1年で手ごたえをつかんだのです。それで会社も大きくなり、2年目には16人のスタッフを雇用し、さらにこの事業は大きな成功を収めました。」

日本、欧米の合理的な経営手法を学ぶ 今は営利追及よりも社会貢献が大事に

 現在、彼女のグループ会社は、旅行代理業を核に、Irrawaddy川をベースにして、5隻の船が運航する「Irrawaddy Princess River Cruises」をはじめ、ホテルやサービス業向けののユニフォームなどの注文生産する製造工場、さらに有機栽培の農業分野にも進出している。たった10年でこれだけの規模のグループ企業に育て上げてしまったのだから驚くほかない。ドイツ語はもちろん、英語にも堪能な彼女は、日本へも何回も行っている。もちろんそれ以上にヨーロッパへは頻繁に出かけている。だから日本のサービス精神の素晴らしさも、欧米人の理にかなった合理性もすべて熟知している。もちろん彼女は、この経験と知識をグループ企業に反映させていることは言うまでもない。
 オーストリアとの国境に近いドイツのチロリアン地方には家まで所有しているという。ミャンマーの女性実業家としては大成功を遂げた一人だが、その道のりは決して楽ではなかったはずだ。
 「この20年間、私は予期せぬ多くの苦難を経験してきました。特にミャンマーの女性がビジネスをマネージメントするのはとても難しいことだと実感しました。でも、私は女性だからできないであろうという考えを取り除いてきました。女性と男性は性別によって分けられていますが、それはただの物理的な違いだけです。先進国では女性は十分に能力を発揮する場を与えられています。
 だからミャンマーの女性たちにも、自分の能力を信じ、必要ならばそれを積極的に生かす努力をすべきだと考えます。自分の目標をしっかりもって前へ進むことが大事なのです。」
 5歳のころ、ティンティンさんは「この国で一番のお金持ちになる」と考えていたそうだ。なんでもトップにならなければ気が済まない負けず嫌いの性格だったようだ。
 「でも、今、ある程度の地位とお金ができると、そんなことはどうでもいいことなのだ、と考えるようなりました。目標に向かって努力するプロセスが重要で、結果は後からついてくると思っています。そして 今は、自分の生まれた国や恵まれない人々の手助けをしていきたいと考えるようになりました。」
 冒頭で記した、「ヤンゴン・ウォーター・バス」の運行初日には約2万人の乗客が訪れたという。2020年までには年間2,400万人から3,000万人に達すると予測している。こちらも成功しているようだ。久々に素晴らしいミャンマーの女性経営者に出会えた気がした。

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