発見│ミャンマーの観光スポット外国人の立ち入りが全面的に解除されたミャンマーの秘境を往く 美しい山々や手つかずのダイナミックな自然が広がる魅惑のエリア チン州 Chin State

チン州は、インド、バングラデシュと国境を接し、北部から南部にかけて山々が連なる山岳地帯である。  州を構成の主要民族はチン族で、人口は約200万人。彼らはインドのナガランド州、ミゾラム州、マニプール州とアッサム州などにも約1万4000人ほどが居住している。

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チベット・モンゴルが 起源の山岳民族

 チン州は、インド、バングラデシュと国境を接し、北部から南部にかけて山々が連なる山岳地帯である。
 州を構成の主要民族はチン族で、人口は約200万人。彼らはインドのナガランド州、ミゾラム州、マニプール州とアッサム州などにも約1万4000人ほどが居住している。
 民族のルーツはミャンマーの他民族とは異なり、チベット・モンゴルが起源で、推定では9世紀後期または10世紀頃にミャンマー、特にチンドウィン川の谷に進出したという記述が残る。それから大半が西へ移動し、約1300年から1400年あたりにかけて、現在のチン州の山岳地帯に定住したと考えられている。
 チン族は、文字による歴史記録を残さず、代々口頭伝承で歴史を伝えてきたという。
 今から約200年前の1824年、英国は当時のビルマを制圧したが、チン州に限っては、独自の規制法を作り、他州とは異なる英国による間接統治がなされた。
 そのためチン族の首長は、政治力を持っていた。その伝統的な立ち位置からか、1948年に英国から独立後も、チン族の人々は民主的な政府に従わず、伝統的な行政ルールを継続した。
 しかし1988年国軍が全権を掌握してからは、チン国民戦線(CNF)とその武装組織、チン国民軍(CNA)が軍事政権に対して抵抗を続けてきたが、現政権とは和解して現在、州の発展、繁栄に向けた様ざまな政策を立案中だ。
 ちなみに、現職のヘンリー・バンティオ副大統領はこのチン州の出身であり、2年後には、国内の州、管区の中で唯一なかった空港も建設されることが決まった。

世界各地に形成された チンコミュ二ティー

 チン州の特色を挙げるならば、プロテスタント・カトリック教徒が約90%を占めていることであろう。その要因のひとつが、ミャンマー(ビルマ)で民族的に大多数を持つビルマ族への根強い対抗心ということが挙げられる。
 かってのミャンマー(旧ビルマ)は英連邦に組み込まれており、諸民族を分割し、民族間の対立を煽ることで宗主国への独立運動を防ぐ「分割統治政策」により、チン民族はビルマ族に対して反感を抱くように仕向けられたとも言われる。
 そうした対立の構図が独立後も尾を引き、軍政時代には、州都ハッカの教会が襲撃されたりした。学校や役所では標準言語となったビルマ語の使用を強制されたり、学校のカリキュラムの中でチン文化を教えることを阻止されたり、軍政時代はかなりの干渉があったとされる。
 そうした民族的対立の状況を垣間見てきた米国の宣教師たちが、先の大戦後、キリスト教の普及活動を積極的に進めた。元来、チンはアニメズムなどの精霊信仰が浸透していた。しかも仏教徒であるビルマ族に反感を抱いていたので、キリスト教の普及は容易だったようだ。むろん、キリスト教の布教に付随して、貧困層のための学校や教会など建設されたことも大きい。 
 チン民族もこうした米国に好感を持つようになり、軍政時代には難民としてかなりの数の人間が米国に渡った。特にインディアナ州、オクラホマ州を始め、意外にもノルウェーや日本にも多くのチン民族がいるという。そして彼らは各地でチン・コミュ二ティーを形成し、米国ではチン語によるラジオ局も作られているという。
 弊紙はこれまで「顔人」のコーナーで、大女優のテッ・モー・ミンさんや人気ロック歌手のソン・ティン・パーさんなど、何人かのチン州出身の女優や歌手に登場していただいたが、こうした方々の民族に対する想いは強く、歌手のソンさんなどはコミュ二ティーの招きで何回か日本を訪れ、チンの同胞の前で熱唱したという。

外国人受け入れの準備が着々と進む

 チン州の州都は、標高1800㍍の高地にあるハッカ。4月の猛暑の日中の時期でも30度を下回るという。だから、朝晩は冷え込む。ダウンぐらいは絶対に持参する必要がある。しかし、年中暑いミャンマーの南部に比べれば、高地気候なので非常に過ごしやすい。
 都市機能もヤンゴンと比較すればまだ脆弱である。だが、やはり掲載した写真でもわかるように、ピュアで汚れなきこの自然はこの州のまさに”宝”だといえよう。
 州都のハッカでさえ、人々は助け合い、寄り添い、協力しながら暮らしている。近所の人が沢山リビングに来て世間話に花を咲かせている光景は日常的に見られる。食事の惣菜は隣人たちからのおすそ分けも多い。隣の家の子は家族同様に可愛いがるという。
 街で出会う人はみんな友達なのだ。商店や役所の人間でさえもみな顔見知りだ。街の人間がヤンゴンに上京するとき、あるいは、海外へ出ていくとなれば、それは近隣を挙げての壮行会が行われ、帰郷すればみんなが笑顔で出迎えてくれるという。
 そう、この情景と人情はどこかで見た気がする。高度経済成長前の、昭和30年代の日本ではないか。特に東京の下町では、このような情景が日常的に見られた。我々日本人は、こうしたチンの人々の心の温かさに触れるだけでもこの地を訪れる価値があるような気がする。
 これまで政情不安により外国人は全面立ち入り禁止だったが、現在は解放されている。その影響でチン州に関する情報はまだ極端に少ない。ハッカには外国人用の宿泊施設もできてきている。ただ、現在、州都
ハッカへ行くには、ヤンゴンからだとバスでほぼ24時間かかる。航空機の場合は隣州のカレーミヨ空港まで行き、ここからはハッカまで車で5、6時間だ。日本のODAなどの援助で道路はかなり改善されたという。インターネットの通信環境もハッカ市内では悪くない。MPTで3G5本、telenorで3G4本立ちぐらいの状況にはなる。

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