第17回 ミャンマー人の肖像 John Lwin ジョン・ルイン Stars & Models Int'l Co. Ltd Star Event Production Co. Ltd Managing Director & CEO

「子供のころは歌手になりたかったんだよ。」  今や、ミャンマーのファッション業界の頂点に君臨し、”ミャンマー・ファッションビジネス界の父“とまで呼ばれるジョン・ルイン氏は、インタビューの冒頭からこう言って無邪気な笑顔を浮かべた。

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すでに「ミャンマーの電通」といわれる存在に

 「子供のころは歌手になりたかったんだよ。」
 今や、ミャンマーのファッション業界の頂点に君臨し、”ミャンマー・ファッションビジネス界の父“とまで呼ばれるジョン・ルイン氏は、インタビューの冒頭からこう言って無邪気な笑顔を浮かべた。
 現在、この国最大のファッション・イベントで毎年12月に行われる「Myanmar Fashion Week」を仕切り、またミャンマー映画界の最大行事である「Myanmar Academy Award」の演出からプレゼンテーションまですべてを手掛ける辣腕クリエ―ターでもあるのだ。
 「今はファッション関係だけやっているわけではない。こうした大きなイベントのオルガナイズはもちろん、内外の大手企業のセレモニーからタレントの派遣、新しいタレントの発掘、コンペティション製品の発売と宣伝、 映画製品展示会イベント、海外タレントの招聘まで幅広いビジネスを展開している。そのためマンダレーやタウンジーにも拠点を作ったんだよ。」
 ミャンマーファッション業界では、彼の名はあまりにも有名になっているが、業務内容を聞けば、この国の広告、宣伝ビジネスの大半を仕切る電通や博報堂のように業態になっているといっても過言ではない。
 「日本や欧米に比べたら、この国のファッション・ビジネスはまだまだ。でも最近になって、少しづつだが変化が表われてきている。私たちのモデルクラブでは、ミャンマー人のモデル、歌手、女優など、名が知れた方々のエージェントをしているが、数年前からタイやシンガポールなどのモデルたちの需要が出てきたので、オファーがあれば彼らのマネジメントもやるようにしている。」
 インタビュー中も、ひっ切りなしに携帯電話が鳴る。聞けば翌日に日本車のマツダのショールームのグランドオープニングがあり、その準備の指示で忙殺されていたが、その2日後の日曜日には前記の「アカデミー賞」の大仕事も控えていたというからさらに驚かされた。なんというタフな男なのだ。

シンガポールでモデルにスカウトされる

 しかし幼少時に歌手を目指していた少年が、なぜファッション・ビジネスの世界に飛び込み、大成功を収めるようになったのだろうか。
 「ヤンゴン大学の学生だった頃、親父がエンターティメントの仕事をするなら、『英語は絶対に必要になる』とアドバイスくれた。それで大学を卒業すると、シンガポールに留学することにしたんだよ。」
 今から30年前の1989年ことだった。この当時、ミャンマーから外国へ留学できるのは、それ相応の家庭環境でなければ難しかった。ご本人は黙して語らずだったが、ジョンさんはいいとこのお坊っちゃんだったようだ。
 あちらではホテルのマネジメントと英語を学んだという。そんな留学生活を送っていたある日、いつものように停留所でバスを待っていたら、いきなり見ず知らずのシンガポール人に声をかけられた。しかしこれが彼の人生の大きな転機になろうとは、むろんこの時点では知る由もなかった。
 「通学路のバス停にいたら、男がが私に接近して、『モデルに興味があるかどうか』尋ねてきた。もちろん学業とバイトに明け暮れていたので、それまでは自分がモデルになるなどとは夢にも思ってもいなかったよ。でも、当時工場でのバイトは1日働いてわずか25シンガポールドル(約2000円)だった。だから報酬の話を聞いて、そのときはちょっとだけ興味が湧いたんだ。」
 それでジョンさんは数日以後に教えられたモデル事務所を訪ね、半信半疑ながら契約してしまったという。
 「それから彼らは私にキャットウォークのやり方、服の見せ方、そして写真キャンペーンでのポーズのとり方などいろいろ基本をレクチャーしてくれた。しかし、ミャンマーでは、そうした仕事は女優だけのものと思っていたから、そのときはまだこの仕事に対して本気にはなれなかったね。ただ お金が欲しいだけだったんだ。」
 しかし、掲載写真でもわかるように、若き日のジョンさんは、日本風にいえばジャニーズ系のイケ面であった。

この国の若者たちに”夢”を与える信念で

 シンガポールでモデルの仕事を始めてから6年目の1995年に、ジョンさんはミャンマーの友人から「ファッションショーをやりたいので相談に乗ってほしい」という依頼を受けた。それでジョンさんは決断して帰国することにした。そして現在のモデル・エイジェンシーを立ち上げた。
 「それから私は広告で沢山のモデル希望者をを募集した。それだけではなく、我々は大学にも行き、街中や「Bogyoke Aung San Market」にも出かけ、スカウト活動に精を出した。これぞと思う子を見つけ、アプローチするときは、”Dream come truth"を切り札にしたんだ。もちろんこれは本心からそう思っていた。貧しい若者でも、ファッションモデルで成功すれば、努力しだいで夢をつかめるんだ、ということを教えたかったんだよ。」
 スカウトしたモデル予備軍は一ヶ月間訓練して、ジョンさんはついにヤンゴン初の自身によるファッションショーを開催した。23年前のミャンマーでは、こうしたきらびやかな世界とは無縁で、ショーは大きな反響を呼んだ。そして"John Lwin"の名は、たちまち世間の知るところとなった。ちなみに立ち上げたエイジェンシーの政府登録ナンバーは「0001」で、まさに第1号だった。
「ミャンマーに帰国してから、デザイナーがいないことを知った。私は、ファッション業界の成長と繁栄には、優秀なデザイナーの育成は不可欠だと思った。2011年から始めたこの国最大規模となった「Myanmar Fashion Week」は今年12月の開催で8年目になるが、これもいい作品を創作するデザイナーたちの才能を披露する場にもなっている。だからすでに有名なデザイナーにはアプローチしない。常に新しいデザイナーを発掘したいんだよ。」
 この23年間に日本には2回、そして本場のパリやニューヨークにも出かけたという。
 「日本と日本人にとても親近感を持っている。会社を興して初めてプロデュースしたイベントが日本たばこインターナショナル(JTI)の『マイルドセブン』のキャンペーンプロモーションだった。その後も日本企業の仕事をさせていただいています。ファッションや芸術などの文化交流がさらに促進されていけばいいですね。」
 51歳にしてまだまだ意気軒昂なジョンさんのさらなる活躍を期待したい。

John Lwin プロフィール1967年 7月15日 ヤンゴン生まれ 51歳 1989年 Yangon大学 卒業 1989年 シンガポール留学 ホテルマネジ メントを学ぶ 1989~95年 シンガポールのモデルエージ ェンシーに所属し、 香港、フィリピン、タイなどでモ デルとして人気を得る。 1995年 ミャンマー帰国後、Star & Models Int'l Co. Ltd設立
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