新連載 第3回 人生風まかせ、運まかせ

横浜港を出航して8日目にフィンランド国境の駅に着いた。西側世界にたどり着くまで本当に長い旅だったが、なにしろここまで総費用が10万円強という当時としては破格の安さが魅力だった。

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     横浜港を出航して8日目にフィンランド国境の駅に着いた。西側世界にたどり着くまで本当に長い旅だったが、なにしろここまで総費用が10万円強という当時としては破格の安さが魅力だった。あとで知ったことだが、同じ時期にあの五木寛之氏もこのルートで北欧に向かい、直木賞受賞作を書いて大作家になった。世界的な建築家の安藤忠雄氏も20代にここから西欧世界へ旅立ち、アジアなどを歴訪した。金がない当時の若者たちは、皆そうまでしてまでも海外を見聞したかったのだ。
     私は以後約1年半に渡り欧州、アジア、北アフリカ、米国などを旅することになるが 道中で、後に各界で著名になった多くの方々に出会った。そうした話はおいおい触れるが、ソ連を出国し、フィンランド国境の「バイ二ッカラ」という駅に着いた瞬間、場面が一変したような景観にまず驚かされた。
     こういっては当時のソ連に失礼だが、白黒映画から総天然色のスクリーンに変わったような予想外の光景が視界に飛び込んできた。それまでの車中の大半はバラツク風の家々が続き、暖色系の衣装をまとった人々が農作業などをしているロシアの田舎の重々しい風景にうんざりしていた。しかし国境を越えて西側世界に足を踏み入れた瞬間、可愛らしい煙突がついた赤レンガの屋根にパステルカラーのカラフルな家々が立ち並ぶ童話の世界のような風景にしばし目が釘付けになった。
     庭には緑の芝生が敷き詰められ、色とりどりの花壇や庭先に花々が咲き乱れていた。それを金髪、碧眼の真っ白い肌の人々がいかにも幸せそうに談笑しながら庭でお茶などをしている光景を見たとき、つい先ほどまで機関銃を構えた兵士が警備する物々しい雰囲気のソ連側の国境駅の残像が脳裏に強く残っていただけに、まさに衝撃的だった。
     以後50数年間、私は世界各地を旅したが、これほどの格差を持つ国境越えはついぞ体験しなかった。先ごろタイ、ミャンマー国境越えをした。米国とメキシコ国境、南欧から北アフリカとの国境なども越えた。しかしどれも想定内で、驚きもなければ、感動もしなかった。それに比べると、この西側世界への国境越えは、始終見張られていた不安な縛りから開放された安堵感だけではなく、当時厳格な社会主義体制を堅持していたソ連と、自由主義体制の西側世界との格差に愕然とした。
     国境駅から首都のヘルシンキまで約3時間で快適だった。ヘルシンキの中央駅は上野駅をコンパクトにしたような雰囲気があり、妙に親近感を覚えた。それから私はここまで日本から一緒だった方々と別れ、ヘルシンキ郊外にあったペンフレンドの家を訪ねた。
     事前に手紙で知らせてあったので混乱はなかったが、同年代の女子高生であったペンフレンドの彼女は、英語の読み書きはできても会話はだめだった。むろん当時の私も同様で、我々は筆談でコミニュケーションを進める破目になった。しかし、途中で現れた彼女の祖父だという人のよさそうな爺さんが、挨拶もそここそに、突然、意外なことを口走り始めた。
     「君は”トーゴ-”や”ノギ”を知ってるか?私は父からよく聞かされた。日本を救った偉大な将軍たちだが、私たちフィンランド国民にとっても英雄なんだよ。」 
     最初は何のことかわからなかったが、よくよく聞いてみると、1917年まで当時のロシア帝国の統治下にあったフィンランドにとって、日露戦争(1904-5年)での日本の大勝利は、フィンランド国民を熱狂させ、独立への精神的支柱なり、今でも日本に畏敬の念を抱かせているのだという。
     その後日本へ帰国して当時の文献を読み漁っていたら、元大統領のパーシェビキが次のような回想をしている文章を目にした。
     「私の学生時代、友人が私の部屋に飛び込んできて日本がロシアの艦隊を攻撃したという最初のニュースを告げた。彼は身ぶり手ぶりでロシア艦隊がどのように攻撃されたかを熱狂的に話した。そのときフィンランド国民は胸をときめかして、戦いの成り行きを追い、そして多くのことを期待した」(名越二荒之助=ふたらのすけ=著『世界に生きる日本の心』展転社より)。
     そして、日本海海戦で、ロジェストウィンスキー司令官率いる当時世界最強といわれたロシアのバルチック艦隊を撃ち破ったとき、提督の東郷平八郎はフィンランドで英雄として讃えられ、「東郷ビール」まで作られたという。
     フィンランド人は今でも言う。「バルチック艦隊が日本へ向かったとき、これで日本もロシアの植民地になると誰もが思っていた。ところが極東の小国日本が大国ロシアを破った。これで私たちは大いに勇気付けられたのだ。」
     日露戦争から12年後の1917年、弱体化して倒れた帝政ロシアからフィンランドは悲願の独立を果たした。首都のヘルシンキ市内の軍事博物館には、日本の「三十三年式小銃」や「騎兵銃」などが展示されており、多くの日本製兵器がフィンランド軍で使われていた。
     「親日国家フィンランド」の近現代史は、宿敵ソ連(ロシア)との戦いの歴史でもあった。独立時の戦いにおいてフィンランド軍を指揮し、当時ソ連の赤軍を撃ち破ったのがカール・グスタフ・エミール・マンネルハイム将軍だった。彼はミャンマーのアウンサン将軍と同様に独立の英雄で、中央駅前のメインストリートには将軍の名が付いていた。
     余談だが、日露戦争の攻防を固唾(かたず)を呑んで見守っていた国がもうひとつあった。同じくソ連と国境を接するトルコである。トルコもソ連と紛争状態にあり、長い間抑圧され、仇敵関係にあった。
     そのトルコでも「日露戦争は日本がロシアの植民地になることを防いだ歴史の転換であった。そしてロシアが中国、韓国を植民地化する名になり、当時多くの子供に”トーゴー”という名がつけられた。」という話が伝わっている。
     確かに、日本が敗れていれば、国土の割譲は免れなかった。当時のアジアや弱小国は、列強によって国土をむしばまれ植民地化が進んでいた。だから日露戦争は初めて有色人種が白人を打ち破り、またアジア人が西欧人に勝利した最初の戦争もであった。
     のちにインド初代首相になったネールは、「日本の勝利に血が逆流するほど歓喜し、インド独立のために命をささげる決意をした」とまでいった。中国”建国の父”孫文は、「この日本の勝利は全アジアに影響を及ぼし、アジア民族はきわめて大きな希望を抱くに至った」と述懐した。
     戦後70数年経た今でも、日本の隣国やアジアの大国のような反日国家が存在する中で、フィンランドはミャンマーなどと並ぶ親日国家のひとつであった。これは前記した日露戦争の影響だけではない。故司馬遼太郎氏の「司馬遼太郎が考えたことー13」(新潮文庫)というエッセイの中で、氏はフィンランドについてこう綴っている。「北欧のフィンランドは国民の80%以上が金髪あるいはそれに近く、瞳の色も淡くあかるいという白人種的な身体的特徴を持ちつつも、それは紀元前後からの混血によるもので、本来はシベリアにいた蒙古人型(モンゴロイド)である。彼らの先祖はアジアからの民族移動中に定住の絶対条件である農業をおぼえ、森と沼の地であるスカンジナビア半島に入り、土着のラップ人を追って住みついた。~中略~土着のアーリア人種との混血によっていわゆる西洋人の顔と身体をもち、ルネサンス文化のにない手としての輝かしい歴史を持っているが、かれらの多くは自分たちがかってアジア人であったことを誇りにし、日本に対し、格別な親しみを持っている~後略。」司馬氏によれば、言語学的にも、フィンランド語はシベリアを発祥とするウラルアルタイ語語族に属し、モンゴル語とは遠い親戚関係にあり、日本語ともかすかな姻戚関係にあるという。
     こうした超親日的な国から最初に西洋社会に入る事ができたのは幸運だった。今考えると、これがいきなりパリやロンドンといった西洋文化の権化のような国へ飛び込んだ場合、どうなっていたか。おそらく彼らのアジア人に対しない。
     ペンフレンドの家で1泊させてもらい、くだんの日本びいきの爺さんとはすっかり打ち解け、ジャガイモを発酵させて作った「スナップ」という強烈な地酒の洗礼を浴びて、本当に家族ぐるみで歓待された。翌日バルト海に面した港町のトゥルクへ向かった。対岸のスウエーデンの首都ストックホルム行きのフェリーに乗るためであった。
     トゥルク(Turku)はフィンランド南西沿岸の都市で、13世紀から歴史が続く同国最古の町としても知られていた。1809年から1812年までフィンランド初の首都でもあった。ここからストックホルムまでフェリーで約11時間、夜出て朝着くので宿泊費が節約できた。私の予定ではまずストックでバイトさがしをはじめ、うまくいかなかったら南下してデンマークのコペンハーゲンで半年間旅の資金を稼ぐ算段であった。何しろ持参した100ドルのうち、フェリー代を払ったら残金はすでに70ドルを切っていたのだ。
     夜8時に出港したフェリーの乗客はほとんどが西洋人であった。多少の心細さをおぼえながら、デッキに立ってだんだん小さくなるトゥルクの夜景を見ていたら、突然、背後から肩を叩かれた。
     驚いて振り返ると、大柄なインド人の若いカップルが笑みを浮かべながら、私にインド訛りの英語で語りかけてきた。そのとき、以後の展開が彼らによって思わぬ方向にもっていかれようななどとは、むろんこの時点で知るよしもなかった。

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