大館 堯 Takashi Odate 日本食レストラン「Horn」オーナー 和食、和牛専門店「Yoshi」オーナーシェフ

和食はもちろんだが、和牛ステーキやハンバーグなどを売りにする「Horn」は、ヤンゴンではすでに5年目に入る有名店である。そのオーナーである大館堯さんが、昨年、Market Place近くのDamazzedi Rdに建設

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     和食はもちろんだが、和牛ステーキやハンバーグなどを売りにする「Horn」は、ヤンゴンではすでに5年目に入る有名店である。そのオーナーである大館堯さんが、昨年、Market Place近くのDamazzedi Rdに建設、完成した「Rose Villa」という日系のサービスアパート最上階に「Yoshi」という和食と和牛専門の飲食店を開業した。
     ヤンゴンにはすでに和牛を売りにしたステーキ店や焼き肉店は数軒あるが、大館さんは長らく付き合いのある友人が経営する「日山畜産」という精肉会社から、和牛1頭を丸ごと買い付け、できるだけ安く日本の美味しい肉を提供し、牛肉文化が希薄なミャンマーで、和牛の普及に努めたいと謙虚におっしやった。
     実はこの大舘さん、実家が東京の新宿で精肉店を経営し、小さいころから和牛の良しあしを父親から教えこまれた「肉のプロ」といってもいい方だ。
     「3人兄弟でしたが、小さいころから私が一番商売に興味を持っていました。だから、高校、大学の時は、夕方5時に帰宅すると閉店まで店を手伝っていましたよ。」
     真面目でコツコツと努力する大館さんの性格はまさに商人向きだった。それで大学を出てからも、しばらく実家の店を手伝っていたが、ある時友人が耳寄りな話を持ってきた。
     「友人の母親が新宿に所有する店舗があいたので商売をやらないか、という話でした。広さは8坪くらいでしたが、何しろ三越裏という一等地です。当時の私には、これといった大きな夢があったわけではなかったものですから、直感的に商売をやってみたいと思いました。それなら普段扱い慣れている肉で、鉄板焼きとステーキの店はどうかと考え、すぐに母親に相談すると、『飲食業の経験がないズブの素人ができるのか』と反対されましたが、子供のころから食べている美味しい肉を焼き、ご飯だって今は自動炊飯器があるから大丈夫だと大見えを切って開業してしまいました。」
     こうして現在の「Horn」の基礎となる1号店を何とかオープンすることができた。大館さんが30歳の時だった。
    「しかし、いざオープンさせてみると、初めは苦労の連続でした。提供する肉や焼き加減には自信はありましたが、何しろ小さい店ですからカウンターを挟んでお客さんと会話をしなければならない。私は口下手ですし、大学で真面目に勉強していなかったからちょっと難しい話になると会話が続かない。これが一番辛かったですね。でも、常連になっていただいたお客様に助けられてそれから40年も続けることができました。」
     努力の甲斐があって、店は数年後に軌道に乗ってきた。戦後、ひもじい思いをしていた日本人の食文化が、魚から肉へと多様化していき、たまには贅沢なステーキでもという風潮が社会に芽生えてきた。そしてバブルの到来である。狂乱ともいえる好景気がやってきた。そのバブル全盛期の1997年に、現在の西新橋の虎ノ門ヒルズ近くのビルに、地下1階から3階まで肉をベースにした大きな洋食店を開く決断をした。「Horn」2号店である。
     「串焼き、ステーキ、焼き肉を売りにした店でしたが、銀行から大きな借金をして勝負してみました。幸いバブルの時流に乗って店は繁盛しました。もちろんいつもいい肉を提供できたことも原因でしょう。このころから日山畜産の日山社長にお願いして、和牛の1頭丸ごと買い付けシステムを導入しました。」
     そればかりではなく、大館さんの朴訥で生真面目な人柄もかえって好感を持たれたようだ、その証拠に当時の常連客を聞くと、歴史小説の大御所童門冬二氏、直木賞作家の逢坂剛氏、タレントの石原伸晃氏、議員になる前の岸田前外務大臣、プロ野球の角三男(元巨人)氏、大魔神の佐々木投手(当時ベイスターズ)などそうそうたる顔ぶれだが、先ごろ引退表明したあのイチローもやってきたという。
     「オリックス時代、最初は後援者の方に連れられてきました、その後は東京にいるときには予約が入るようになりました。ステーキ一辺倒で、大食ではありませんでしたが、肉は美味しいといってくださいましたよ。」
     この道40年の肉のプロが厳選した素材と焼き加減が、多くの有名人の舌をうならせ、評判を呼んだようだ。しかし、店が繁盛するにつれ、深刻な人手不足に悩まされた。何しろ大きな店で常時15名程度のスタッフが必要だった。だが、求人をかけても日本人の応募がめっきり減った。そこで知人に頼んで外国人スタッフを初めて雇うことにした。
     「今から19年くらい前でしたが、最初に雇用した外国人がミャンマー人だったのです。真面目によく働いてくれました。それで以後もミャンマー人を頼りにしました。延べ20人くらいのミャンマー人を雇いました。店を閉める2016年までの最後の3年間は、私以外はすべてミャンマー人になっていましたよ。」
     これが大館さんにとってミャンマーとの初の出会いだった。そして10年以上前から店を手伝ってくれていたThida Thanという女性が、ミャンマーに帰国する度に絵やお土産を持ってきてくれるようになり、大館さんは彼女に全幅の信頼を寄せるようになった。
     その彼女からミャンマー旅行を誘われ、2012年に初めてこの国の地を踏んだ。
     「私の子どものころの原風景がまだ残っている懐かしさを感じました。気候的にも暖かいし、直感的にいい国だなという第一印象を持ちました。それからしばらくして、彼女からヤンゴンに3号店を出さないか、という打診があったのです。」

     彼女の知人がGolden Valleyに不動産を持っていて、そこを候補地としてどうかという具体的な話だった。大館さんは西新橋の店も安定し、何より信頼するThida さんの話だったので、2014年に「Horn」3号店の開業を決断した。
     「それでチーフ兼店長として日本の店で働いていたミャンマー人に運営を任せたのです。ところが、日本とミャンマーを行き来する私がいないときに、彼は仕事中に酒は飲むし、挙句の果てに酒のライセンスや店の備品を持ち去り、証拠となる書類を焼却して逃げてしまったのです。信頼していた人間ですから、別人のようになった彼には、怒りよりも悲しかったですね。」
     その後、前記したThidaさんが日本からミャンマーに戻り、現在は店のマネージメントをしてくれるようになった。そして東京の「Horn」の銀行からの借入もほぼ終わろうとしていた2年前に、業務拡張などで資金が必要になったので、取り引き銀行に融資を申し込んだらニベもなく断られた。返済もきちんとやってきたのに、そういう態度されてかなり怒りを感じたが、それなら「もういいや」と、東京の店をたたむ決断をした。売却したら多少資金が残ったので、残りの人生をミャンマー一本で行く意思を固めたという。
     「ミャンマーのために何かお役に立ちたいという気持ちです。雇用が少しでも増えればいいですし、私自身は仕事をしている時が一番幸せなんです。」
     新店「Yoshi 」では和牛の美味しいステーキやすき焼き、焼き肉などがリーズナブルな値段で食べられる。今後さらに新店のプランもお持ちだという大館さん、いつまでも健康で和牛の素晴らしいさを広めていっていただきたいものだ。

    大館 堯 略歴  1947年10月21日、3人兄弟の次男として埼玉県川越市に生まれる。ほどなく東京新宿に移転。父親が精肉店を経営。中央大学付属杉並高校から中央大学へ進む。1977年、新宿三越裏に鉄板焼き、ステーキの店「ホーン」を開店。1997年、東京西新橋(現虎ノ門ヒルズそば)のビルに、地下1階~3階まで、串焼き、ステーキ、焼き肉の店「ホーン2号店」を開業。2012年、ミャンマー初訪問。2年後の2014年に、ヤンゴンのGolden Valleyに「ホーン」ヤンゴン店を開業。2018年、日系サービスアパート「Rose Villa」最上階に、和食と和牛を売りにした「Yoshi」を開店する。71歳。
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