今月の視点 マハティール首相が手本にする日本の「恥の文化」を誇りに

やはり到来した。先月終わりごろから日中の暑さが半端ではなくなった。現金なもので、それまで寒い日本を横目で見ながらほくそ笑んでいたが、日本から来た人が「もうすぐ花見の時期、気温も17,8度まで回復してきた」などと告げられると

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4月は水かけ祭りで長期休日が続く 92歳で現役復帰したマレーシア首相

4月は水かけ祭りで長期休日が続く
92歳で現役復帰したマレーシア首相
 やはり到来した。先月終わりごろから日中の暑さが半端ではなくなった。現金なもので、それまで寒い日本を横目で見ながらほくそ笑んでいたが、日本から来た人が「もうすぐ花見の時期、気温も17,8度まで回復してきた」などと告げられると、あちらの春が黄金の季節に思えてくる。
 ミャンマーは今月中旬の17日に新年を迎え、その前4日間は恒例の「ティンジャン」(水掛祭り)で街も人も狂乱状態になる。この国に来た当初数年は、もの珍しさもあって毎年騒ぎの渦中に入り、ずぶ濡れになったものだが、現在はやや腰が引けてきた。しかし普段あのおとなしいミャンマーの若者が、うつろな視線で、放水の雨を浴びながら大音響の音楽に合わせて踊り狂う様は、やはりこの時期一度は拝観したくなる。
 ところで、話題はガラリと変わるが、先月初めに懐かしい方が再び存在感を示す発言をした。マレーシアのマハティール・ビン・モハマド首相である。彼は1981年に初めて首相に就任してから、22年にわたってかの国の改革政策を進め、日本を手本とした「ルックイースト政策」で、マレー半島を「奇跡のぺニンシュラ」に変貌させ、途上国から脱脚させた名相である。
 昨年5月に行われた連邦下院選挙で、下院議員に復帰したマハティール氏が率いた野党連合が過半数を獲得し、国王ムハンマド5世から新政権の首相に任命され、15年ぶりに政府首班の地位に返り咲いた。マレーシア建国以来の政権交代劇で、しかも92歳の高齢者が民主的手続きで国家指導者に就任した例は世界でもほとんどないという。

日本を手本にした「ルックイースト政策」

15年ぶりに復帰して再び政策に掲げる
 38年前、初めて首相の座についたマハティール氏は、就任第一声で「迅速・清潔・効率的な行政」を掲げ、華僑系とマレー系の民族融和策「ブミプトラ」を推進するとともに、同年12月15日に「ルックイースト政策」を強力に進めることも表明した。
 この政策は、特に日本人の価値観、倫理、道徳などの精神面を学ぶことで自国の産業発展、人材育成に積極的に取り組んできたことで知られている。そのマハティール首相は、15年ぶりにカムバックした約10ヵ月後の先月16日に、首都で開催された「求められる連邦領での理想的若者像」と題した会議で、「日本人の数多くの価値観の中でも、責任を果たせなかった時に感じる”恥”について」演説した。
 氏は、日本人のこの”恥の文化”、そして”忸怩(じくじ)たる思い"こそが、先の大戦で未曾有の敗戦を経験し、困難に直面した日本を世界有数の経済大国に発展させる原動力となった」と強調した。会議には、閣僚級も出席し、次代を担う若者にマレーシア人としてあるべき姿、理想像をこれまでの長い政治経験に基づいて切々と説いたという。そしてマレーシア政府は1981年にマハティール首相自身が提唱、導入した「ルック・イースト政策」を、再び実践することに努めており、日本人の「尊い価値観」をマレーシア人は見習い、実行してほしいと再度強調したという。
 決して意識的、意図的ではなく、物事に失敗した時に恥ずかしさや、忸怩たる思いになることは、多くの日本人が感覚的に持っている。その結果、失敗をバネにして次は期待や信頼に応えるためにさらに懸命の努力と精進を重ねる。日本人なら、さして珍しいことではないが、こうした美徳を国民が見習うことこそが成功への道である」と首相は会議に参加した若者たちに向かって力説したと、国営通信は伝えている。
 当方はこの演説を今のミャンマーの若者にもぜひ聞かせたかった。相変わらず、見え透いた言い訳が多過ぎるからである。たとえば病気でもなければ不慮の事故でもないのに、ずる休みしたり遅刻したりする場合、この国の若者はどうしてこうも言い訳ばかりしているのか。レストランで注文を間違えたときも、スタッフの多くは「客が言わなかった」とか、「自分は注文どおりに伝票を書いた」とか、本当に見苦しい言い訳をする若者が目に付く。
 「間違えてすみませんでした。この次はミスしないように気をつけます。」と、なぜ一言いえないのか。日本のまともなサービス業なら、当事者の上司まですっ飛んできて謝罪しかねない。マハティール氏が言うように、非があれば素直に認めて謝罪、反省する態度は誰が見ても潔い。
独自のリーダーシップで毅然たる態度を
問われているのは日本人の価値観なのか
 マハティール氏は高校生のとき、日本軍が快進撃を続け、予想に反して短期間でマレー半島から英国勢力を一掃したシーンを目撃し、「白人が敗北することもあるのだ」と学んだという。しかし日本軍占領時代のマレー半島は、英国支配下時よりも食糧事情が悪化し、氏は日本の侵略は不幸なことだと思ったが、戦後、日本を訪問し、様々な企業を視察するうちに、日本人の勤勉さに打たれ、日本に学ぶべきとの思いを強くしたのだという。
 先の対戦の評価についても、「もしも過去のことを問題にするなら、もちろん、そうした出来事が過去にあったことを忘れたわけではないが、今は現在に基づいて関係を築いていくべきだ。マレーシアは、日本に謝罪を求めたりはしない。謝罪するよりも、もっと社会と市場を開放してもらいたいのだ。」と発言している。
 そして「なぜ欧米の価値観に振り回され、古きよき心と習慣を捨ててしまうのか。一体、いつまで謝罪外交を続けていく気なのか。日本人には、先人の勤勉な血が流れている。自信を取り戻し、アジアのため世界のためにリーダーシップを発揮してほしい」と、米国べったりの姿勢や、近隣諸国の理不尽な反日気運に毅然たる態度で臨むことを繰り返し述べている。昨年、首相に復帰してわずか1か月後に日本を表敬訪問したことでもわかるよ
うに、今でも大の親日家なのだ。
 マハティール首相は2025年までにマレーシアの先進国入りを目標に掲げており「この目標を達成するために、日本人の価値観などを養うことが重要な鍵となる」としている。92歳の老練な政治家に依然として頼らざる負えないマレーシアは不運ともいえるが、それだけ氏の能力が卓越し、自国のみならず、ASEAN全体をけん引する指導的才覚を持つからだろう。
 余談だが約11年前に、当方は政界を退き、81歳になった氏の回顧録出版のため、何度も氏の出身地であるケダ州のアロースターやクアラルンプール郊外にある契約窓口の娘さんの会社に足を運んだ。内諾は頂いたが、何せ持病を抱えており、1週間の拘束インタビューが務まるかどうか、また政党の汚職事件などで氏も時間が取れない状態になり、一旦この企画は白紙にしていただいたが、まさか再び現役に復帰するなどとは夢にも思わず、今考えると返す返すも惜しいことをしたと思っている。
 マハティール首相が自国の若者に対し、日本人を「お手本や模範」にして見習うように呼びかけた政策には当時も今も感銘する。だが、昨今の日本国内の「オレオレ詐欺」や「アポ電強盗」などの卑劣な事件や犯罪状況を見ると、首相が指摘したその価値観を問われているのはむしろ日本人自身のほうではないかとも思えてくる。

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