導│ミャンマーに貢献する日本人 保芦宏亮 Hirosuke Hoasi ミャンマー料理研究家 【株】HIRO TOKYO 代表取締役

「日本人によるミャンマーカレー」の商品化に成功した男 米国生活、仏門 芸術家、介護師を経てたどりついた夢

目次

     ミャンマーと日本との距離が縮った感がする民生移管以降、この国に惹かれてくる日本人の方々が増えてきている。今回お話を聞いた保芦さんも、今から8年前の2011年に、当時バックパッカーとして初めてミャンマーの土を踏んで、一発でこの国の虜になってしまったという。しかし彼の場合はミャンマー料理、中でもカレーにはまってしまった。
     「この年に再びミャンマーを訪れ、日本へ帰ってから本格的にミャンマー料理の研究に没頭しました。もちろん独学ですよ。」
     その2年後の2013年、東京駅中に居酒屋を開業する。その傍ら、店を閉店する今年まで約5年間、ひたすらカレーを食べ続ける日々を送った。
     「1日2食から5食をすべてカレーだけを食べ続ける生活でした。日本国内のあらゆる種類のカレーに始まり、昨年からは頻繁にミャンマーを訪問し、ミャンマーカレーはもちろん、ベンガル湾周辺諸国のカレーを食べ続ける毎日でした。その5年間のカレー生活一筋の中で、最後に行き着いた結論がミャンマーカレーの商品化でした。」
     そして今年「株式会社 HIRO TOKYO」という会社を設立し、居酒屋経営の合間を縫って3年間の試行錯誤を繰り返しながら、ついに5月にミャンマー風チキンカレー「KYAT THAR HIN」(チェッターヒン)を完成させた。
     「ミャンマーで初めて食べたカレーが忘れられなくて、その味を出そうとして色々な材料やスパイス、油などを調合して研究を重ねて完成させました。」
     日本の国内では初となるミャンマーのレトルトカレーは、商品として全国の成城石井を中心にデパートやスーパーにて販売され、発売2ヶ月後にはテレビ番組「マツコの知らない世界」で、 あのマツコデラックスより大絶賛を受け、製造が追いつかないほどの人気商品となった。
     「6種類のカレーの中から商品名を伏せて試食してもらったので決してヤラセではなかったのです。幸いマッコさんは大の辛党だったのが救いでした。」
     その後、ミャンマー政府観光大臣 駐日ミャンマー大使 ミャンマーの人気歌手NINI KHINZAWやAH MOONさんなど、多くのミャンマーの著名人に試食してもらう機会があり、どの方からも好評を得た。
     ご存知のように、ミャンマーカレーは油とスパイスやニンニクを利かせた独特の味わいで、いうなればインドとタイカレーの中間にあるような料理だ。

    「確かに油をよく使います。油が命といってもいいでしょう。だから素材にはこだリました。こだわりすぎて、今回発売した「チェッターヒン」は、油や鶏肉などに最上の素材を使い、日本国内の販売価格が700円を越してしまいました。」
     しかし、試食してみると、「激辛」表示だったが、非常にコクがあり、辛さは思ったほどではなかった。日本人もミャンマー人も食べられる味だが、ミャンマー人の中には辛いといって受けつない人が3割ほどいたというからびっくり。「ですから辛さも中辛以下も作ろうと思います。種類も今はチキンだけですが豚肉や海老などの製品化も考えています。」
     人生の後半をミャンマーカレーに賭けたような保芦さんのライフストーリーだが、その経歴を見て再び驚かされてしまう。なにしろ中学を卒業して16歳で単身アメリカにわたり、どちらかというと地味な州のハイスクールを転々とする青春時代を歩んできたからだ。
     最終的にはアートスクールで木版画を専攻して卒業。帰国後そのまま木版画の道へ進むのかと思いきや、なんと座禅に興味が湧き、臨済宗の仏門に入ってしまう。しかし3か月で挫折。今度は再びアーティストの道を志し、京都の造形芸術大学でテキスタイルデザインを学んで卒業。
     ところがその2年後、なにをどう心境の変化が起きたのか、28歳のときに再び仏門へ。しかし今度は東京の浄土真宗本願寺派の正満寺で副住職という要職に就く。
     「2008年まで10年ほどこの寺に勤務しました。声明(お経)の教師の資格も取得しました。でも、この間にロックバンドを結成し、都内のクラブなどでライブ活動を行っていました。「フジロック」にも2度ほど出演しましたよ。」
     ここまでくると、保芦さんの人生の目標がどこにあるのか皆目わからなくなるが、仏門を離れたあとでホームヘルパーの資格を取り、伊豆大島のキリスト教系福祉施設で重度知的障がい者の介護師として2年間勤務経験があるという。
     そして40歳のときに思うところがあって旅に出る。バックパッカーとしてアジアをめぐった。そこにはかって経験したことのない新鮮な感動があった。
     「高校生の多感なときに物質文明の極地といわれるアメリカでの生活を経験してしまったものですから、アジアの混沌とした状況はとても感動的に映りました。若い人々にもパワーを感じました。特にミャンマーには妙な親近感を覚えましたね。その結果、ミャンマーカレーにのめり込んでしまったというわけです。」
     話を聞けば聞くほど、保芦さんの人生は波乱万丈に思えてくる。しかしここへきてやっと全身全霊を打ち込む「日本人によるミャンマーカレーの創作」という最終目標ができたのかもしれない。
     しかし、現在の価格でミャンマー人に気軽に買ってもらうには、いくら味がよくても限界がある。保芦さんの今後の課題は、質をあまり落とさずに、いかコストを下げてこの国で販売、認知してもらうことだろう。彼のあくなき戦いはまだまだ続く。

    保芦宏亮 プロフィール
    1970年5月2日 東京 築地生まれ。48歳
    1976〜1986 暁星小中学校 キリスト教教育を受ける。
    1986〜1991 アメリカ留学。 ユタ州、イリノイ州、オハイオ州、ハワイ州の高校を転々   とするが、ミシガン州のアートハイスクールInterlochen Arts Academyにて木版画を専攻し卒業する。仏教に興味を持つ。
    1991 日本に帰国後、仏教、特に座禅に興味を持ち、静岡県三島 臨済宗妙心寺派 龍沢寺に入門するが修行生活3ヶ月で挫折。
    1993〜1996 京都造形芸術短期大学で、テキスタイルデザインを専攻し卒業。
    1996〜1998 東京 赤坂見附のイタリアンレストランバーにてバーテンダー勤務。
    1998〜2008 東京 白金高輪 浄土真宗本願寺派 正満寺にて副住職として勤務。声明(お経)の教師の資格を取得。この間に結成したバンドで都内クラブでのライブ活動やフジロックに2回出演する。
    2008〜2010  ホームヘルパー資格取得。伊豆大島 キリスト教系福祉施設 藤倉学園にて重度知的障がい者の介護師として勤務。
    2011 バックパッカーとしてミャンマーを訪問。ミャンマーカレーと出会う。
    2013〜2018 東京駅中にて居酒屋を経営。その合間に日本国内やベンガル湾周辺諸国のカレーを食べ続ける生活送る。ミャンマーカレーの商品化を決断する。
    2018年 株式会社 HIRO TOKYO設立。
    2018 5月 3年間の試行錯誤の上完成したミャンマー風チキンカレーKYAT THAR HIN(チェッターヒン)を商品化。発売2ヶ月後にはテレビ番組に紹介され、一躍人気商品に。
    2018 12月ヤンゴン&ラカイン州にて来年発売予定の新作カレーの試作開始。

    Tags
    Show More