発見│ミャンマーの観光スポット INWA インワ

延べ約400年近くも王都の役割を果たしてきた古都 集落の中に仏跡が点在する独特の風情ある町を歩く バゴーのハンターワディー、マンダレーのコンバウンと、この国の王朝の歴史にゆかりのある町を訪ねてきた。今回のインワはバガン王朝とは規模こそ違うが、しっとりとした素朴なたたずまいの中に仏跡が点在し、かっての王朝の栄華をそこかしこに垣間見ることができる古都。日本人好みの風情が残る。

目次

王朝史に重要な足跡を残すインワ

 ミャンマーの歴史は王朝史を紐解くとわかりやすい。勢力図が形成されてきたのは6~7世紀ごろに、インドシナ半島を西進してきたモン族が、ミャンマー南部に定住したことから始まったとされている。
 その後国内では8世紀ごろにエヤワディ川中流地域にピュー族の王朝が起こり、現在多数を占めるビルマ族がチベット・雲南方面から南下し、ミャンマー中部に定住したという流れがある。
 ピュー王朝は長くは続かず、代ってこのビルマ族が次第に勢力を拡大し、9世紀中ごろにはパガン王朝が建設するに至った。初代王にはアノーヤターが即位し、モン族の南部の拠点を制圧。パガンは文字通りミャンマーの政治、文化の中心となり、その後、剛腕として知られ、映画やドラマにもなったチャンシッター王の治世下で数々のパゴダが建設され、パガン王朝は絶頂期に入る。
 しかし約300年続いたバガン王朝は1287年蒙古のフビライ・ハンの侵攻を受け崩壊。以後、ビルマ、シャン、モンの各部族の対立が20年近く続き、日本の戦国時代を思わせる混沌とした状況になる。
 シャン系民族はピンヤに続きザガインに築城したが、1364年にインワに統合された。1531年、ビルマ族のダビンシュエティ王がタウングー王朝を開くが、脆弱だったこの王朝は不安定で、インワの都もモン族の都バゴーに遷都したりした。
 そしてモン族が勢力を増し、インワが陥落するとタウングー王朝は滅亡するが、モン族の支配も短命で、やがてアラウンパヤーが指揮するビルマ族が再びインワを奪還し、国内全土を掌握。歴史上最強最大と言われるコンバウン王朝を現在のマンダレーに建設することになる。

 俗にアヴァ王朝(Ava Kingdom)とも呼ばれるインワ王朝(Inwa)は、14世紀半ばから16世紀半ばにかけて現在のミャンマー北部に存在したシャン族の国家(1364年~1555年)の首都として機能。雅称はパーリ語で「宝石の都」を意味する「ラタナープラ」であるが、長い間、「アヴァ」という呼称はビルマ全土を指す言葉として使われた。シャン族がビルマに建てた王朝の中では最大のものだったが、実質的に王朝を支えていたのはビルマ族であった。
 パガン朝の没落後、上ビルマを支配したシャン族の国家ピンヤ朝が建国され、ピンヤに王宮が建てられたが、ピンヤの対岸に存在する分家のサガイン王家の王子タドミンビャがアヴァ周辺の沼沢地を開拓し、1364年にアヴァを首都として王朝を創始した。
 延べにして約400年もの長い間、都として栄えたインワは、由緒あるミャンマーの古都である。1838年の大地震によって大きな打撃を受け、廃都の憂き目となったその傷痕は、今でもそこかしこに残されている。

バガンとは異なる趣を見せる インワの風情

 インワはバガンと並ぶミャンマーの古都である。しかしバガンの仏教遺跡群が完全に保護地区に指定されて守られているのに比べ、インワは人が住む集落のなかに仏跡.や僧院などが点在している。
 だから町全体が遺跡のような趣を見せ、足を一歩踏み入れると、妙な落ち着きと懐かしさを感じずにはいられない。
 インワの見どころとしては、都として栄えた事実が垣間見れる城壁。王宮の名残りを残す城壁の中心には、高さ27mの「監視塔」があり、周囲をぐるりと見渡すことが可能。
 現在は少々傾斜しており、危険なので上ることはできない。
 また、王朝時代の栄華を想起させる「マハーアウンミェ僧院」は、荘厳な建造物として、大切に保護されている。この僧院から対岸に広がるザガインへのインワ鉄橋やザガインの丘などの景観も素晴らしい。
 一方、堅牢なチーク材で作られた木造の僧院である「バガヤー僧院」は、入口の石造りの階段、木造建築独特の茶色い建物、巨大な扉など、年月を経て益々重厚感が出た姿が、東大寺などの古い木造建築を誇りに感じる日本人の心を打つ。
 大理石の一枚岩から彫リ出された仏像が鎮座する「ローカタラピェ・パゴダ」もインワに来たら見逃せない寺院であろう。。アジアからの観光客も多く、寺院周辺は実にのどかな雰囲気になっているのもいい。
 インワへは入域料が必要で、マンダレーで10,000Ksのチケットを買えば全域で通用する。「バガヤー僧院」ではチケットチェックもあるので、忘れずに持参したい。
 インワへはそのマンダレーから西へ40㌔程度の距離。バスで1時間ほどで終点に到着可能。トラックバスもあり、終点からは渡し舟に乗り、インワに入ることができる。
 インワ市内は、遺跡が点在しているだけに、遺跡めぐりには馬車をチャーターして回ると効率よく見学できる。だいたい2~3時間で主要なスポットはすべて回れる。しかしやはりマンダレーでガイド付きの車をチャーターしてインワまで足を延ばす方がより効率的だろう。

インワ鉄橋を渡って対岸の ザガインヒルへ

 せっかくインワまで足を延ばしたのなら、前記したインワ鉄橋を渡ってザガインまで行ってみてはいかがだろう。ピュー民族が紀元1世紀ころにザガイン地方域に居住したことが記録に残っている最初の民族であるが、それから時を経て9世紀ころにビルマ族がこの上ビルマに移住したという。
 11世紀中頃には、バガンのアノーヤターが王国を建国した時、この地域はパガン王朝の支配下に入った。1287年のパガン王朝の滅亡後は、ビルマ族化したシャン族の王族に統治されるザガイン王国(1315年 - 1364年)と、その後のシャン族の王族に統治されるアヴァ王朝(インワ1364年 - 1555年)の支配下に入り、最終的にはビルマ族の王族に統治されるタウングー王朝(1555年-1752年)の時代を迎えた。1948年1月、ビルマ連邦が独立すると、この地域はザガイン地方域となった。
 ミャンマーの北西部に位置し、カチン州、シャン州、マンダレー地方域、マグウエー地方域、チン州、インドのナガランド州およびインドのマニプル州に接するかなり広大な地域を占めている。

 エーヤワディー川沿岸には標高約600mの山が連なっており、複雑な地形の丘を形成しているサガイン・ヒルには多数のパゴダと僧院が建立されており、多くの僧侶が修行に励んでいる。丘の頂上に位置する「ソンウーポンニャシン・パゴダ」は、階段で地上と結ばれている。頂上に上ると、マンダレーやインワの街並みが一望でき、目の前には緑の森の中にたくさんのパゴダや僧院が点在していることがわかる。
 また、この頂上には先の世界大戦で戦死した日本人兵士のために、日本人が寄進したパゴダが建立されている。
 近年はザガイン断層の存在がクローズアップされてきており、南部に比べて地震の頻度も多いが、ザガインヒルだけならインワを含めてマンダレーから日帰りできるので、ぜひ訪れてみたい。

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