導│ミャンマーに貢献する日本人 渡辺 毅 Tsuyoshi Watanabe TOBU Co. Ltd. 代表取締役社長

数々の辛酸をなめて到達した事業がついに軌道に乗る 訪緬140回、インフラの発展と共にニーズが拡大へ

目次

     5年前の2013年にたった3名の清掃作業員からスタートしたTOBUは、現在220名の作業員を擁し、清掃(40%)と警備(40%)を主力事業に、大きな飛躍を遂げている日系企業である。今年5月にはサンチャンに「PanyaKoppe」という懐かしい日本のコッぺパンを主体にした本格的なパン屋さんをオープンさせて話題をまいた。その創業者で総指揮を取るのが、今回お話しを伺った渡辺毅社長だ。
     話を聞くと、渡辺さんとミャンマーとの関りは意外に古い。元首相の福田赳夫氏の声掛けで開催された経済セミナーのミャンマー視察団の一員として、今から26年前の1992年にミャンマーを訪問したのが、この国との最初の出会いだった。
     本職が会計士という渡辺さんが、(株)JTMというコンサルタント会社を開設して間もないころで、まだ35歳の若さだった。
    「何しろ当時のミャンマーは軍事政権でしたから、視察といってもさほどの期待感は持っていませんでした。しかし国民は善良そうで、国はまだ荒け削りな部分が多かったですが、この初訪問で何か直感的にピンとくるものを感じましたね。」
     当時内務大臣や農業大臣などの政府要人とも面談し、この国の発展のために支援や投資の要請を受けたという。
     「そこでそうした大臣たちをカウンターパートナーとして約5億円を集めて投資事業組合を作り、政府から土地の提供を受けて、まず第1号案件として自動車整備工場を始める事になりました。しかし政府内部での方針の食い違いもあり、これは開業直前に担当大臣からの要請で断念せざる負えない状況になったのです。」
     そこで次にミャンマー西部の港『シットウエー』に輸出用海老漁の漁船向けに製氷工場を建設し、エビ漁を行うタイ漁船などへ氷の供給を開始した。直接外貨を獲得出来るこの事業は順調に滑り出し軌道に乗り始めたかに思えた。

    「ところが、一年後タイとミャンマーとの関係が極度に悪化しまして、この事業も徹退を余儀なくされたのです。この時はさすがに落胆しましたね。政治も投資環境も余りに不安定で、もうこの国でのビジネスに嫌気がさして、もう全てを投げ出してしまおうかと思いましたよ。」
     それは当然だろう。意欲を削がれれば人間誰でも落ち込む。そしてもう一度リベンジするのはなかなか容易なことではない。渡辺さんの凄さは、それでもめげずにミャンマー通いを続けたあくなき執念であろう。
     「気が付けばこの国への訪問はもう140回にもなっています。何度か苦渋をなめましたが、それでもあきらめなかったのは、やはりミャンマーが好きだったからでしょう。そしてこの国のために何かできないか、という気持ちがいつも心の底にあったからですかね。」
     リベンジマッチのまず初めに、この国を綺麗にして住み易い街にしていこう、そしてそのための事業をやろうという目標を改めて定めた。時代は民政移管がスタートし、外国からの投資や観光客が増え始めた時期であった。
     「この事業の課題は 日系企業にどのように受容れて頂くかでした。ジャパンクオリティーを前面に出して営業していくことにしましたが、何しろ現場に立つのはミャンマー人スタッフです。だから彼らにジャパンクオリティーを理解させ、徹底させていくことが重要でした。」しかしミャンマーの人々は日々の家庭生活の中でも掃除という習慣があまり日常化してはいない。多少の片づけ位はするが、床を雑巾で拭くといった生活習慣はまず存在しない。
    「日本には『重箱の隅に神宿る』という職人言葉があります。そこで私は「掃除の神様は部屋の隅に居る」という標語を作り、まず最初に掃除の神様に挨拶せよ、と教えました。ただ、そこ拭いといてと言ったら丸く拭いてしまいます。そのため何故それではだめなのかと、いう事を徹底して身に付けて貰わなければなりません。だから技術は勿論、心構えや、生き方の基本を教えるような学校が必要だという結論に達しました。2年前ネピドーに研修トレーニングセンターを作ったのも、川上から川下までの一貫した人材教育がなければ、TOBUの仕事として、また私を満足させるような結果は出ないと考えたからですよ。」
     そうしたクォリティーを追求していく姿勢が、たった5年で3名から220人のスタッフを抱えるまでになった、といっても過言ではないだろう。
     ミャンマーも速度は遅いが以前に比べてかなりインフラ整備が進んできている。経済成長も実質7%くらいの成長率があるという。

     「インフラが整えば次に必要になってくるのが、その維持 管理とそれを利用する人たちの安全を守るシステムです。言うなればミャンマーの経済発展と私どもの事業の拡大はベクトルが同じ方向を指しています。ただ、 昨年までの顧客は日系企業様一辺倒でしたが、そろそろローカライズして行くべき時期が来たと判断し、機会を窺っていました。そして今年ミャンマー鉄道省が行った駅舎清掃の入札案件に参加し、運良く外資企業として初めてヤンゴン中央駅及びマンダレー中央駅の清掃案件を落札する事ができました。入札価格は極端に安いですが、ミャンマー政府の方々に我々の作業品質を見て頂くのには絶好の機会になると思い、採算度外視で参加しました。」
     ミャンマーは民主主義国家として歩む方針を決めた以上、一定の発展を見せることは確実だろう。 そしてその発展の鍵を握るのは国民への「教育」に有るのではないかと、渡辺さんは言う。
     「残念ながらミャンマーには工業がほとんど育っていません。全て国際水準以下の物しか作れませんし、技術の蓄積が無いので、先端技術を使用する事は出来ても、それを生み出す力がない。スマホがいい例です。しかしこれではミャンマー国民は永遠に消費者のスタンスでしかいられない。豊富な一次産品と若年労働力を活用し、そして多くの少数民族からなる多様な文化を観光資源の売りにしていけば、活路は見いだせると思いますよ。
     その意味では、この国もそろそろ足元から国際化を目指す時期に来ています。掃除一つ満足にできなくて、うわべだけを着飾ってみても決して民度は上って来ない。だから清潔で住み易い国への変節を求められる時に、私たちの本当の出番がやっ てくるとのではと、思っています。それまでは人材育成に全力投球して行きます。」
     多くの苦渋をなめ、26年もの長きにわたりこの国と関わってきた渡辺社長の言葉だけに非常に説得力がある。では、最後に。これからミャンマーに進出しようとする日本企業に何かアドバイスできることがあればと、聞いてみた。
     「私は25 年前から日本人のミャンマー進出と撤退を見て来ましたし、実際に自分も投資 と失敗を繰り返してきました。その中で得た教訓はいくつかあります。①日本で知り合ったミャンマー人の人脈を頼った投資はするな。②ミャンマー人との摩擦は必ず起こる。 その時に、本当に問題を解決が出来る力を持った人とパートナーシップを組む事。③単独投資は避けて、護送船団方式を取るべし。
     もし中小企業の社長が成長著しいミャンマーに進出したいと思った場合、資金力のある大企業と違って、一つの失敗が即退場という事になりかねない。長年かかって蓄えた虎の子も一瞬にして消え去る。特にミャンマー人との人間関係には、慎重の上にも慎重である必要があると思う。100 人中 100 人が自分だけは騙されないと思ってやって来ても、100人とも騙されるのがこの国だと思った方がいいかもしれません。それでも何人かはその試練を乗り越えて残った人もいますので、ビジネスパートナーして考えるなら、 そうした方々と組むべきでしょうね。」
     現在、TOBUは清掃、警備の他に引越やペストコントロールの分野にも事業を拡大させている。渡辺さんの言うように、いずれもミャンマーのインフラや経済の発展と共にニーズが拡大していく将来性十分の分野である。訪緬140回、26年のミャンマー通いという経験から生み出された渡辺さんのビジネスアイは確かなようだ。

    渡辺 毅  プロフィール
    株式会社JTM日本総合経営代表取締役社長
    生年月日:1957年8月4日 61歳
    出身地:新潟県
    職歴:1991年、34歳の時に独立。(株)JTM日本総合経営を設立
    2013年4月  ミャンマーにてTOBU Co. Ltd 設立。
    取引企業:KSGM・MPT・鉄道省・TOYOTA・SUZUKI・ANA・JICA KAJIMAI・TAISEI
    ITOCHU・Yangon International Hotelほか

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