顔・人│VIP インタビュー Veronica ベロニカさん Myanmar Lethwei Woman`s Champion ミャンマー・ラウェィ女子チャンピオン

「戦うアイドル」としてスターになったラウェイ女子チャンピオン 生来の負けん気と才能で世界の強豪に立ち向かい頂点を目指す。 ラウェイの世界に飛び込んでわずか9か月でミャンマーでは敵なしの最強チャンプになった。日本へも2度遠征し善戦した。まだ21歳でアイドルとしても人気急上昇中だが、夢はやはり世界の頂点だ。ミャンマー女子格闘技界の逸材であることは疑う余地はない。

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ケガが完治せずに負けても練習不足と叱咤 ラウェイ選手になって1か月でデビュー戦

 ミャンマー・ラウエイのメッカともいえるカンドージ湖に近接した「テンピュー・スタジアム」の敷地内に、ラウェイの選手たちが日夜トレーニングを行っている「Phoenix Gym」がある。
 ここでは明日のチャンプを夢見る若い選手たちが朝から夕方まで激しい練習を積む。今回紹介するベロニカさんは、現在ミャンマー・ラウェィ女子選手の頂点に君臨するチャンプだが、彼女も毎日ここでトレーニングを欠かさない。
 「自分はまだ練習が足りないと思っています。以前、ケガをして完治せずに試合をして負けたことがありましたが、コーチからはケガのせいにするな、練習が足りないからだ、と叱られました。自分を勇気づけるために言ってくれたのだとわかっていても、その時は悔しくてこの世界に入ってから初めて泣きました。それ以来、いつも練習が足りないのだと思うようになりまして、、、」

 「戦うアイドル」というネーミングで親しまれている彼女はこう言ってデビュー当時の辛さを語ってくれた。しかしデビューは昨年6月だからまだ1年にも満たないのだ。それでいてすでに女子では頂点に君臨しているのだから、恐るべき才能と言わざる負えない。
 そのデビュー戦は日本だった。相手は女子プロレス界の重鎮で37歳の「ももこ」こと高橋菜七永選手だった。高橋選手の方もラウェイは初めてだったが、若冠20歳のベロニカは、100㌔を超す重量級の高橋を相手に終始優勢に戦いを進め、ドローに持ち込んだ。
 その後11月に再び日本へ遠征。「ラウェイ グランプリ ジャパン 2017」へ参戦した。
 LF認定女子タイトルマッチとして、ユリア・ストリアレンコ(21=リトアニア)に挑んだが、2R 45秒、ドクターストップによるTKO負けを喫した。
 相手のユリアは5年前から空手、柔術を学び、デビュー以来3戦全勝の強豪。1R開始から激しい打ち合いを見せたが、体格で大きく上回るユリアはパンチからヒザ蹴りのコンビネーションでベロニカを圧倒。ベロニカもバックスピンエルボーを繰り出し、果敢にパンチで応戦するが、2R、ユリアの左ストレートでダウン。ベロニカはここでラウェイ特有の1度だけ認められるタイムを要求(ダウン1回に相当)。自軍コーナーで回復に努めるが、足の痛みが引かず、ついにドクターストップがかかり、悔し涙を流した。
 試合後彼女は「苦しい戦いだったがベルトをミャンマーのファンのために持ってこれなかったので悲しい。でも私はこの世界に入ってまだ5ヶ月です。トレーニングを積んで必ずタイトルはとります」と雪辱を誓った。
 ミャンマーには敵なし、今や世界の強敵と互角に渡り合うベロニカは、ラウェイ選手とは思えぬほど端正で愛くるしい顔立ちの女性だが、たぐいまれな激しい気性の持ち主でもあった。

ミャンマー女性の殻を破りたかった 1年あまりでシーゲームで銅メダル

 彼女はミャンマー東部のカヤー州の生まれで、15歳のころから格闘技に興味を持ち始めたという。
 「最初は護身のためにボクシングをやってみたかったんです。でもミャンマー女性は伝統的につつましく、あまり目立つような行動は忌み嫌われていましたから、前々からそうした殻を自分が打ち破ってみたいなとも考えていたのです。」
 そこでネピドー行きを決断し、首都にあるジムでボクシングの手ほどきを受けた。17歳だった。これがベロニカにとっての人生の転機になった。
 「ある日いつものように練習をしていたら、政府のスポーツ関係の方が来て、ナショナルチームに入って本格的にボクシングをやってみないか、というお誘いを受けたのです。最初は驚きましたが、すぐにカヤーの母に相談しました。もちろん反対されましたが、何しろ母はそばにいるわけではありませんでしたし、私もボクシングが好きだったので、そのお誘いに乗ってしまったのです。」
 実はボクシング関係者はベロニカの才能を早くから見抜いていたのだ。だからすぐにミャンマー国家指定強化選手になった。そして1年後の2015年、シンガポールで行われた「シーゲーム」(東南アジアスポーツ大会)で、ボクシング女子ミャンマー代表として出場し、見事銅メダルに輝いたのだ。18歳のときだった。
 ボクシングを始めてわずか1年あまりで、東南アジアの五輪ともいうべき大きな大会でメダルを獲得してしまうなんていう芸当は、並みの才能ではできることではない。
 この才能をプロスポーツ界が放っておくわけがなかった。ミャンマーの伝統的格闘技から声がかかった。昨年5月のことだった。むろんボクシング界もこの逸材を手放すわけにはいかない。そこで連盟同士で話し合いがもたれ、最終的にベロニカの意志を尊重して移籍が決まった。
 「ミャンマーのラウエイはバンデージを巻いた素手に近い状態で殴り合い、頭突き、蹴り、ひじ打ちと、ほとんどの攻撃が許されている世界で最も過酷な格闘技です。タイのムエタイの比ではありません。そのため女子選手が少なく、これから女子も盛り上げていきたいというミャンマー・ラウェイ連盟の方々の熱意に賛同しました。」
 そしてわずか移籍1か月後で高橋選手とのデビュー戦である。通常なら考えれないことだ。まさに驚異というほかない。
 「よく怖くないのかと聞かれますが、リングに上がれば相手を倒すことしか頭にありません。パンチはともかく、まだキックが弱いのでこれを鍛えないといけないと思っています。」と、彼女はあっけらかんとして笑った。
 性格的にもポジティブ思考で、リング上で見せる鬼のような形相とは違い、普段はどこにでもいるような女の子といった感じだった。

母を招待したがついに観戦を拒否 歌手になることがもう一つの夢に

 有名になってから、昨年ヤンゴンの試合会場に母や家族を初めて招待した。しかし最初は観戦したいといっていた母は直前になって会場入りを拒んだ。結局実戦を見ることはできなかった。
 当然であろう。ボクシングを始めること事体大反対していた母にしてみれば、自分の娘がラウェイの選手としてリングに上がり、殴り合いをするなどとは夢にも思っていなかったからだ。
 それでも兄妹たちは応援してくれた。「やるなら頂点を目指せ」とまで激励してくれた。嬉しかった。家族の支えがなによりの励ましになった。
 「辛いこと、苦しいことも沢山ありましたが、リングに上がってファンから熱い声援を浴びる時が一番幸せなんです。」
 日本でも熱い声援を送られたという。いいファイトには公平に拍手してくれる日本人には尊敬の念すら抱いたという。
 夢はもちろん世界チャンプ。
 「ファンのためにも絶対にベルトをとります。それにはまだ精進が足りません。もっとトレーニングをして、体力や技術を磨かなければいけません。」
 もう一つの夢は歌手になることだという。歌が好きで最近は本気でそう思い始めたそうだが、将来、彼女の歌声がステ―ジで聴ける日が来るかもしれない。
 「尊敬する人はトゥン・トゥン・ミン選手(男子ミャンマー・ラウェイ史上最強といわれた選手)です。彼のような強い選手になりたいのです。」どこまでも上を目指すべロ二カの向上心はとどまることころ知らない。弊紙3月号発行日の1日、ベロニカはテンピュー・スタジアムでタイのムエイの強豪を迎え撃つ。期待したい。

<Veronica 略歴>
生年月日:1996年 7月15日 21歳
出身地:南シャン州 Phe Kone町、Ka Fu 村
家族:父母 6人兄弟
趣味 :Lethwei 歌手活動
好きな言葉:欲しいものは絶対持つように頑張る。
夢:将来、ミャンマー女性でトップのベルトを持ちたい。歌うことも好きなのでプロの歌手を目指したい。
尊敬する人:HtunHtun Min 選手、Dave Laduc選手’(カナダ 現チャンプ)

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