導│ミャンマーに貢献する日本人 第2回 岡 拓哉 Takuya Oka

2015年12月に待望の物流センターが完成し、翌年からKOSPAの本格的な低温保管事業(コールドチェーン物流)が始まった。むろん実質的な現場の陣頭指揮を執るのは岡拓哉さんだった。

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人材を育てるために基礎から徹底教育を 低温物流の価値を共有するのに苦労が

 2015年12月に待望の物流センターが完成し、翌年からKOSPAの本格的な低温保管事業(コールドチェーン物流)が始まった。むろん実質的な現場の陣頭指揮を執るのは岡拓哉さんだった。
 「まず苦労したのは人材でしたね。営業、ドライバーにファイナンスなど、それぞれに重要な仕事ですから、人材を雇用は大変でした。それでもこの年は30人くらいの人材を雇用しました。」
 とは言ってもやはりミャンマーは人の出入りが激しい。せっかく仕事に慣れたと思っても、多少給与のいい仕事が見つかると、簡単にやめてしまうケースが多い。これは日系企業がどこも抱える悩みの種のようで、なかなか生え抜きといわれる人材が育ちにくい。
 「それに弊社は形ある財を売る事業体ではありません。モノ売りではなくコト売り、お客様とのコミニュケーションが大事な仕事ですからスタッフ教育も徹底して行いました。トレーニーには申し訳ないですが、まず彼らが何も理解していないという前提に立って、日本の本社からトレーナーを派遣してもらい、挨拶の仕方から基本的なことを徹底してトレーニングをいたしました。」
 しかし、スタッフ教育がひと通り終了していざ現場に配置しても、岡さんにとっては気の抜けない毎日が続いたという。
 「朝5時に現場に出向いて、積み込みや配送まで、お客様のところへ間違いなく時間通りに配送しているか、温度等の質に問題はないか、失礼はないかなど、ドライバーの後について自分の目で確認していました。今は多少楽になりましたが、当時は現場が馴染むまでこれをやっていました。」

 早朝なら渋滞に巻き込まれることはないとはいえ、これはなかなか真似のできることではない。後輩が一緒になってサポートをしてくれてはいたが、現場責任者の岡さんは、こうした物流の管理ばかりではなく、営業先に出向いたり、財務管理に目を光らせたり、毎日やることは山ほどあった。
 「例えば物流トラックの管理は燃料代が日々高騰していますから、細かくチェックしています。そのためにGPSを導入し、車が正常に稼働しているかなど、常に車の動きにも注意を払っています。」
 ミャンマー人はホスピタリティーが高く、友好的で人のいい国民性だが、一旦仕事になれば、管理する側としては、心を鬼にして性悪説の上に立って対処していかなければならないと、岡さんは言う。
 そうした岡さんの努力の甲斐があって低温物流事業は順調に推移してきているが、商習慣や経営者の意識の違いからくる壁にも突き当たる。
 「何しろ長期契約を結ぶ習慣がない。最低3年はと思っていても、やはり先の読みにくい経済状況からか、短期契約になる場合が多いのです。当時のミャンマーにおいてコールドチェーンの価値はなかなか理解をしていただけませんでした。なぜ氷ではいけないのか、という質問も来ます。飲用できない氷を使用する事による衛生面や、温度管理にムラが出てしまう事による鮮度などの品質のクォリティーが断然違ってくる事を説明しても、理解してもらうには苦労します。」
 営業先でも担当者レベルでは理解されても、決定権者の上司がわかっていない場合も多く、ここでも再び説明を繰り返す羽目になることも少なくないという。

 「ミャンマーは暑い国ですからコールドチェーン物流への期待と将来性はありますが、価値を周知徹底してく為にはバリュー・チェーン、つまり川上、川中、川下が一致協力していかなければならないと考えています。その為にはお客様やそのお取引先様との、先を見据えたディスカッションは不可欠です」
 現在KOSPAでは、ヤンゴンを中心にマンダレーや各地方都市までの輸送に加え、シャン州などからの農産物、そして中国雲南省やタイ国境への低温輸送まで、物流のエリアを年々拡大させているという。
 「雲南省は巨大な市場です。しかも海がないから海産物への需要は潜在的にあります。ですからこれからはミャンマー国内のみならず、国境を接する中国市場も視野に入れています。」
 オーバースペックになり過ぎず、如何に国や文化に馴染んだ形でコールドチェーンの機能を発揮していく形を作っていく事ができるかが自身にとっての課題だと言う。
 最近では新たに参入してきた邦人企業もあり、競争はさらに激しくなることが予想される。しかし初めてミャンマーを単身で視察調査を開始してから早6年の歳月が流れた。物流センターの稼働も3年目に入った。
 その一部始終をご自身で見届け、指揮してきた岡さんにとって、その経験とキャリアは誰にも負けないという自負はある。できる事なら、このままミャンマーで物流事業の仕事に関わっていきたいと、思っているそうだ。(以下次号へ続く)

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