第11回 ミャンマー人の肖像 たぐいまれな先見性で次々にビジネスを成功に導く 日本人への助言は「5100万の市場を視野に置くこと」

軍事政権時代の1988年に起きた大規模な民主化運動で大学は封鎖され、公的機関も停滞を余儀なくされた。このため、この年からミャンマーの優秀な人材が海外へ流出したといわれている。  今回紹介するハンさんもその一人だった。大きな夢と野望に燃えて大学生活を送っていだが、勉学の場を失い、矛先を海外に向けざる負えなかった。その選択肢に選んだのが日本だった。

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U Han Thaw Zay ハン・トォー・ゼイさん AOA Co. Ltd Managing Director Food Express Co. ltd. Managing Director MAPCO Limited Director

 軍事政権時代の1988年に起きた大規模な民主化運動で大学は封鎖され、公的機関も停滞を余儀なくされた。このため、この年からミャンマーの優秀な人材が海外へ流出したといわれている。
 今回紹介するハンさんもその一人だった。大きな夢と野望に燃えて大学生活を送っていだが、勉学の場を失い、矛先を海外に向けざる負えなかった。その選択肢に選んだのが日本だった。
 「知人の伝手を頼って1995年に日本へ行きました。向こうではまず日本語を懸命に勉強しましたね。これから日本との交流がますます増えるとみていましたから。だから色々な仕事に就き、日本の良いところ、悪いところを自分の目で確かめることができました。この時の経験は今、本当に役立っていますよ。」
 気が付けば2006年にミャンマーへ帰国するまで日本に11年も居てしまった。確かに現在では日本人と変わらぬ流暢な日本語を駆使するハンさんにとって、言葉だけではなく、日本の商習慣、日本人のものの考え方を学んだことは、のちのビジネス展開に大いに生かすことができたという。
 しかしテン・セイン政権による民政移管が始まった2011年あたりに帰国するなら理解できるが、まだ軍政が続いていた2006年の帰緬とは、どういうことなのか。何か、きっかけみたいなものがあったのだろうか。
 「特別理由はありませんでした。ただ、直感というか、今後日本とのビジネスが広がりそうな予感がしたんです。ビジネスというのは人と同じことをやっていてはだめです。日本とのビジネス関係が増えてきてから始めたのでは遅いと思ったんです。それで帰国を決意しました 。」

 すごい先見性である。その直感はずばり当った。2010年、11年あたりからヤンゴンの土地は急激に値上がりし始め、中古車輸入も活発化した。驚くべきことに、ハンさんはすでにその両方の事業を構築していた。
 中古車輸入は2015年あたりから規制がかかり、現在ではうま味がなくなってきたが、当時は日本の中古車価格が急激に高騰するほどの需要がミャンマーから生まれた。土地もバブルといわれるほど高騰し始め、一時は東京やニューヨークと肩を並べるほどの評価額で取引された。
 「もともと、実家がヤンゴン市内でゲストハウスをやっていたんです。私が帰国してから経営に参加するようになり、郊外にモーテルも建てました。土地は値上がりし始めたといっても2010年頃はまだ手ごろな価格だったので、すぐに不動産会社をはじめ、土地を中心とした不動産売買をスタートさせました。」
 ハンさんの凄いところは、その延長線上で建設会社を興し、建設工事を請け負う会社も作ってしまったことだった。土地が売れれば、当然その建設工事の需要が生まれると踏んでのことだった。
 「私は建設は素人同然ですが、技術者や専門家と組んで工事会社を興しましたが、これもうまくいきましたね。」
 その後の建設ラッシュをみればハンさんのビジネス感覚が鋭敏であることが証明されている。そして次に食品ビジネスも始めた。
 「飲食店や食料を扱う店が増えるだろうと予想したのです。野菜や生鮮食品を中心に販売していますが、私の思った通りの展開になってきています。」
 2011年当時10軒足らずだった和食店も今や100軒をゆうに超す状況になった。ほかの外食産業を入れれば大変な伸びで, City Martをはじめとしたス-パーなども店舗数を拡大している。すべて読み通りだとしたら、大変な才覚である。
 「運がよかったんです。民政移管が始まる前に色々な準備ができてよかったんです。だって、私が帰国したときは浦島太郎みたいな気分で、ミャンマーのことは何もわからなかったんですよ。だからもう少し帰国するのが遅かったら、この時流に乗れたかどうか。」
 そう言ってハンさんは謙虚に語るが、今では農業ビジネスの大手MAPCOの株主で役員でもある。世界遺産で知られるPyayの町の近くに、約600エーカーという広大なチーク材の森林も所有している。今では、まさに悠々自適の生活である。

 「これも日本と日本人のおかげだと思っています。ただ、私が今日本の方にアドバイスできるとしたら、ビジネスの対象は5100万人のミャンマー人の市場があるということを忘れないでください。日本の方はとかく日本人相手の商売を考えがちですが、そうではないのです。ミャンマーの可能性のある膨大なマーケットを視野に入れるべきです。」
 なるほど、これは大変参考になる助言である。帰緬してわずか10年足らずで成功を収めたハンさんの言葉だけに、説得力を持つ。

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