Bago バゴー この国の王朝の歴史と先の大戦の悲劇に触れる小旅行 “近くて遠い町”のイメージがある古都の魅力を再発見

 いつかは時間をかけて訪れてみたいと思っていた町だった。ヤンゴンから近いのに、主要ルートから外れているためにその機会がなかなか作れなかった。人口約22万の小さな町だが、この国の王朝や先の大戦の歴史を予備知識とすれば、奥の深い町であることが理解できる。

目次

モン族の王朝が築かれた古都の風情

 ヤンゴンの北東約70㌔に位置するBagoは、首都ネピドーや第二都市マンダレーに向かう通過地点からやや外れている。聖地「ゴールデンロック」への道筋も、このBagoを通らなくても行ける。つまりこの町に行く場合は、最終目的地へ行く途中のついでに立ち寄るということができない。
 そう考えるとBagoは観光を目的にした場合の位置としては少々ハンデがある。ヤンゴンから車で1時間半足らずなのに、なかなか気軽に足が向かないのはそのためで、「近くて遠い街」といわれる所以である。
 しかしながらBagoは 歴史的にもなかなか興味深い町である。この地域は1056年にビルマ族によるパガン王朝の支配下に置かれていたが、13世紀末に元朝の攻撃によってパガン朝が衰退すると、ビルマにはいくつかの分立した政権ができた。その一つとして自立したのがモン族で、1287年にペグー(現Bago)に独立した王朝を開設した。俗にべグーの旧称である「ハンターワディー王朝」ともいわれている。
 日本ではちょうどそのころ源頼朝が開いた鎌倉幕府(1185~1333年)が栄華を極めていた。ペグー王朝はこの時からペグーを首都としてエーヤワディー川流域南部(下ビルマ)を支配した。ちなみに建国者のワーレルーはシャン族の人間であったが、この王朝は事実上モン族の国家と見なされていた。
 この当時から首都のペグーは、下ビルマの要地で貿易港としても栄え、ポルトガル人も来航した。しかし1531年にはビルマ族のトゥングー朝に占領され、まもなく滅亡の道をたどることになる。わずか244年の王朝だったが、宿敵ともいうべきビルマ族との確執は以後も続くことになる。

 モン族の王都として栄えたBagoの最大の見所は、なんといって王朝の繁栄ぶりを垣間見ることができる黄金の神の寺院「シュエ・モード・パゴダ」(Shwe Maw Daw Pagoda)であろう。1000年以上の時をかけ少しずつ改築、改装行われ、ヤンゴンのシェダゴン・パゴダをしのぐこの国最長の尖塔の高さ(114m)になった。1917年のバゴー大地震で尖塔は崩落したが、その塔の先端が現在でも境内に保存、展示されている。
 ヤンゴンのシュエダゴンよりもひとまわり小ぶりだが、壮麗さは引けをとらない。内部には当時の王朝絵巻が壁に飾られ、心身ともに癒された気分になる場所でもあった。

Bago の創成は西暦573年

 Bagoは現在バゴー管区の中心都市であり、人口は約22万人。白鳥が住むという伝説から「ブラヒミのアヒル」を意味する名前が付き、モン族はHamsawati(ビルマ族はHanthawati)と呼んだ。
 伝承だが、Bagoの創成の歴史は意外に古く、西暦573年に隣町タトゥンからやってきた2人の王女がバゴーを創設したといれている。
 年代記に、8年間の説法の後、仏陀が弟子と共に東南アジア諸国を回ったと記述されているが、その帰路でマルタバン湾を横切る際に潮が引き、仏陀は2羽の黄金のツクシガモが、海より突き出た土地の頂上にメスがオスの上に乗りとまっているのを目撃した。   不思議な現象を見て、仏陀は、繁栄した国家が広大な海の地域にいつか出現すると弟子に予言したという。
 下ビルマにおいて、モン王朝は当初はマルタバンに、その後はバゴーに設立された。しかし王朝はその後、北のアヴァ王朝との長期戦争に突入した。しかし平和的な女王シンソーブの統治下(在位1453年~1472年)で、彼女は仏僧のダマゼーディー(在位1472年~1492年)を後継者に選び、争いに終止符を打った。現在でもヤンゴンに道路名として残るダマゼーディーの統治下で、Bagoは商業と上座部仏教の中心地となった。

 1782年にコンバウン王朝のボードーパヤー王によってBagoは再建されたが、すでに川が進路を変えてしまっていたため、町は海と切り離されていた。そして町は以前のような重要拠点になることは二度となかった。
 第二次英緬戦争の時には、Bagoに居住するモン族はイギリスに協力してコンバウン軍と戦い、戦後の1852年にイギリスはバゴーを併合した。1862年には英国領ビルマが設立され、首都はヤンゴンに移った。
 こうしたこの国の王朝と歴史を見ると、Bagoという町が、モン族の影響をかなり受け、ビルマ族との長い勢力争いを繰り広げたキー・シティーとなっていたことがわかる。中世の日本で関ヶ原の戦いを境に東西に分かれ、最終的には徳川幕府の長い時代が続くが、モン王朝は例えればその前の秀吉が健在だった短命の豊臣政権といったところか。
 現在、Bagoは片側3車線の整備されたヤンゴンから続くメインストリートが町の中心を走り抜け、その両サイドに商業施設、ホテル、居住地の他、前記した歴史的名所が点在している。だから非常にわかりやすい町だ。ヤンゴンと違ってバイクが解禁され、おびただしい数のバイク族が共存しているが、それでも渋滞に出会うことはなく、中心を離れれば、のどかな田園地帯が広がる。
 ヤンゴンを朝早くでれば、4カ所くらいの名所旧跡を見て回り、日帰りも十分可能である。ビルマ族とモン族との確執の歴史を頭に詰め込み、予備知識を携えてパゴダや荘厳な王宮などを見て回れば、非常に有意義な小旅行が楽しめる。

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