今月の視点「潔さ」にみる日本とアジア諸国の意識の差

日本はまだ縦社会である。上に楯突くとおおむね結果は悲惨である。日本の武家社会や旧軍隊が象徴的だが、現在でも会社組織やスポーツの世界でも同様の意識が日常化している。しかしこの慣習により、日本の社会はある程度の秩序を保ってきたはことだけ事実だろう。

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内政問題に終始する日本の野党に違和感

 5月の声を聞いて、時たま思い出したように雨が落ちてきて、本格的な雨期の到来を予感させる。しかし晴天の昼間はさすがにまだ暑さは半端ではない。冷房の効いた室内にいると、つい出不精になってしまう。
 ところでこの春から朝鮮半島をめぐる動きが急展開している。したたかな北の指導部は米朝首脳会談実現のシナリオを現実化させたが、少々揺さぶりをかけ過ぎたか、米副大統領への罵詈雑言で米国側は態度を硬化させ、会談中止を示唆してきた。
 ミャンマーのような遠い外野席にいると、欧米の外信ニュースだけでは内情がよく見えない。双方に複雑で魑魅魍魎とした思惑があるはずだから、朝鮮半島の非核化が即世界平和に繋がる、という単純な図式になるのかどうか、はなはだ疑問ではある。しかし気になるのは、ここへきて日本の影が薄いことだ。野党は半島情勢など他人事のように、相変わらず「もりかけ問題」で安倍政権の追及に終始している。もちろん悪いとは言わないが、諸問題の優先順位を考えれば、やることはそれしかないのかと、つい批判を浴びせたくなる。
 南北首脳会談を行った韓国大統領機も、急落していた支持率を84%(5月25日現在)まで伸ばした。米国大統領もあわよくばノーベル平和賞を狙い、累積する貿易赤字をこの問題に焦点を当て、国民の目からそらせようともしているように見える。いずれも国民に対するポイント稼ぎではないのか。そう考えると、日本の野党も支持者へのポイント稼ぎに血眼になっているようにしか当方の目には映らない。

加害者が公式に謝罪するのは 賞賛に値せず

 時を同じくして、日本では常軌を逸脱した日大アメフト部員による反則問題で大騒ぎだ。たかがスポーツだが、されど、でもある。この問題の本質は誰もが見抜いているのに、選手に指示した監督、コーチは一貫して曖昧に言い逃れようとしている。日大のトップも公式に謝罪や事情説明すらしない。あげくの果てには監督は入院だという。もう、何をかいわんやだが、ついには加害者本人の学生が顔と実名を晒して記者会見に及ぶ事態になった。今年成人を迎えた若者にしては理路整然とした受け答えで誠実さは伝わってきた。監督、コーチの醜さが余計浮き彫りになったのも確かだろう。
 しかし、その後のメディアの報道ぶりを見て少々違和感を感じた。この学生を賞賛し、あたかもヒーローのような扱いにしていたからだ。それでは今後アメフトを継続できるかどうかわからなくなった関西大の被害者の負傷させられた学生はどうなるのか。例外的とは言え、日本のスポーツの恥を世界にさらした責任はどうなのか。
 自分が試合に出たいがために、善悪の判断を失って卑劣な反則行為してしまった。たとえそれが上からの絶対的な指示だったとしても、そうまでしてしても試合に出たかったのか。それを拒否する勇気は本当になかったのか。酷な言い方だが、両親たちの助言があったにせよ、あのぐらいの謝罪会見はやって当然ではないのか。そうでなければ相手の選手や家族が浮かばれない。

日本人の「潔さ」が成長、 繁栄の源泉に

 日本はまだ縦社会である。上に楯突くとおおむね結果は悲惨である。日本の武家社会や旧軍隊が象徴的だが、現在でも会社組織やスポーツの世界でも同様の意識が日常化している。しかしこの慣習により、日本の社会はある程度の秩序を保ってきたはことだけ事実だろう。
 大会社や組織では決歳のハンコが何重にも押されないと事が進まない。そのため何か問題が生じたときには、責任の所在が分散される。スポーツ界、とくに体育会系の競技では、監督の言うことはたとえ黒でも白となる。理不尽でも服従していかないと、自分の存在感すらなくなるケースが実に多い。
 だから指導者が全責任をご自分が負う覚悟で信念をもって指導に当たっているところは信頼感が生まれ、どのようなハードな練習でも選手はついてくる。これは会社組織でも同様で、自分の保身ばかりに走る上司は部下から疎まれる。
 しかし日本ではどのような冷遇を受けても、そう簡単に辞めることは稀だ。とどのつまりは辛抱が足りないと、世間から、あるいは家族から批判を浴びせられるのがおちだ。あちらでは世間体というものが歯止めになっているからだ。
 その点、失礼ながらこの国ではその足かせがない。こちらが叱咤激励のつもりで叱っても、翌日から出社しなくなったり、無断で消息不明になったりすることが少なくない。嫌になったら簡単に辞めてしまう。なぜ怒られているのか、理解できない若者が大多数を占めるからだ。
 したがって軍隊でもない限り、ミャンマーでは縦社会になりにくい。「体育会系」などという言葉すら実感が湧かないのではないか。そうなるとやはり、今回のような日大の不祥事は理解不能となる。指導者たちが言い逃れするケースはあるが、20歳の若者が風体を晒して公式に弁明をするなどとは、この国では考えられないことだろう。 この意識は何もミャンマーに限ったことではない。ASEAN諸国の若者、いやアジア全体に言えることではないか。だから勇気を振り絞って会見した日大の選手の行動と胸の内は、おそらく日本人にしかわからないのではないか。
 我々日本人は、加害者の弁明は当然としながらも、彼の「潔さ」(いさぎよさ)には共感する。恥をしのんで挙に出るところが日本人の美徳であり、日本の社会が反省と教訓を踏まえて成長、繁栄していった源泉は、この「潔さ」に他ならないのではないか。
 この国の若者たちに一言いうならば、くだらん言い訳や言い逃れをするなということだ。そして「潔さ」ををぜひ身につけていただきたいと願うばかりだ。

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