◎「ラカイン州イスラム系難民問題について考える」

いばらの道は続くがアナン勧告を受けて速やかに認証手続きを 弊紙はこの路線と大統領国家顧問兼外相の良心を断固支持する

目次

 先月19日にネピドーで行われたアウンサン・スーチー国家顧問兼外相による「Speech by the State Counsellor on Government‘s efforts with regard to National Reconciliation and Peace.」(国家の融和と平和における政府の努力に関する国家顧問の演説)に、弊紙も情報通信省から正式に招待を頂いた。
 これはすでに報道された通りに、ラカイン州のイスラム系住民への対応で国際的な批判を浴びるミャンマー政府が、この問題に関して公式に発表した初の声明と言っていい。
 これまで弊紙はミャンマーに関する政治的な問題にはあえて言及を避けてきたが、ミャンマー政府から招待を受けた以上、今回はメディアとしての弊紙の見解を述べさせていただくことにした。

国連は歴史的経緯と真実を本当に把握しているのか 人権擁護を振りかざす一方的な批判に違和感を持つ

国家顧問の演説内容はあとで折々に触れるとして、私が常々違和感を感じていたのはこの問題に関する国連及びこれに同調する英、米の姿勢である。特に今年、新たに事務総長に就任したA. グテーレス氏の執拗とまで思えるミャンマー政府及びスーチー氏への批判は、いささか度を過ぎてやしてはいまいか。
 その象徴的な出来事が、9月20日の国連安全保障理事会で、北朝鮮への制裁決議の前に、まずこの問題を取り上げたことだった。これは驚きだった。
 人類を滅亡させる核を弄び、交渉の脅しに使い、いつ何時暴走して地球の安全を脅かしかねない深刻な緊急課題よりも、グテーレス氏の脳裏には、ミャンマーの難民問題のほうがより重要に思えたのだろうか。これでは2005年から約10年間、「国連難民高等弁務官」を務めた氏の価値観は未だに弁務官職から逸脱しておらず、事務総長の器かどうかさえも疑問附をつけざる負えない。
 もちろん難民問題を軽視しろといっているわけではない。罪のない人々を差別したリ、迫害、虐待などは断じて許されないし、この問題をここまでこじれさせたミャンマー政府にも責任の一端はあろう。
 しかしながら、国連及びそのトップにしても、現地で一体何が起きているのかを正確に把握しているのだろうか。しかもこの南アジアで続くモスリムと仏教徒との長い軋轢の歴史を調べ、研究し、それを踏まえてものをいっているのだろうか。
 グテーレス氏は「治安部隊による市民への暴力が報告されている。全く受け入れられない」。「ミャンマー当局は軍事行動を停止し、暴力をやめ、法の支配を守り、国外に逃れざるを得なかった人たちの帰国の権利を認めるべきだ」と求めているが、彼が受けた報告は多分に誇張されてはいまいか。そしてこの問題は鼻から「ミャンマー政府がイスラム系住民を迫害し続けている」という前提に立って批判を強めているような気がしてならない。
 国連に限らず、かなり強硬にミャンマーの人権侵害を批判している「ヒューマン・ライツ・ウォッチ」なる国際的なNGO人権擁護団体にしても然りである。
 この団体にしても、過去に中立性を疑われる行動をみせ、批判も受けている。クロアチアでの「嵐作戦」では、セルビアに侵攻したクロアチア軍のセルビア人に対する民族浄化を擁護するような姿勢を見せた。そしてクロアチアに対する非難声明を出した国連を痛烈に批判した。また、旧ユーゴスラビア紛争について、一方の当事者であるセルビア側に対し、より厳しいという批判を浴びたこともあった。
 立派な団体ではあるが、組織の運営上どうしてもその存在感を誇示せざる負えないため、偏向的になる場合もあるような気がする。
 いずれにしても国連とそのトップが批判の矛先を向ける急先鋒であるから、ほかの人権団体やメディアにとっては、大きな後ろ盾を持ったことは間違いないだろう。
 スーチー氏は、9月19日のネピドーでの演説で、こうした批判に冒頭からこう反論した。
 「私たちミャンマー政府は非難をそらしたり、責任を放棄する意図は全くありません。バングラディシュに避難した難民の帰還を促進するためにも、速やかに難民の国家認証手続きを開始したいと考えています。私たち政府は、ラカイン州におけるあらゆる人権侵害と違法な暴力を非難します。我々は、平和と安定とラカイン州全体の法の支配の回復に努めているのです。」
 難民の国家認証手続きを行うには相当な忍耐と努力が必要だが、このスーチー氏の発言を聞く限り、ミャンマー政府は国際世論の批判に耳を傾け、問題解決に取り組む意思があることを公式に表明した。
 今回の紛争は、昨年10月と今年8月に武装勢力の「アラカン・ロヒンギャ救世軍」(ARSA)が複数の警察施設などを襲撃したことで緊張が高まり、ミャンマー世論の敵意はいっそう高まった。
 そしてイスラム系過激派とみられる武装集団の掃討作戦によって、このあたりにいる約100万人ともいわれるイスラム系樹民のうち、約40万人が難民化したという報道が連日流れている。国連人権理事会が3月に派遣を決議した独立国際調査団をスーチー氏が拒否しているのは、国連人権高等弁務官事務所の報告書が、ミャンマーの国民感情などに配慮せず、前記したように「迫害ありき」を前提に難民側の主張に基づく一方的な内容だったためだといわれている。

かっては共存していたもスリムと仏教徒 もスリム移民は3層構造になる複雑さ

上智大学教授でビルマ史の研究家でもある根本敬先生が、2015年11月に発表した「ロヒンギャ問題はなぜ解決が難しいのか」という評論がある。ラカイン州のイスラム系民族の形成について非常に興味深い分析をしている。その一節を要約してみると「かって15世紀前半から18世紀後半まで栄えたアラカン王国(1430-1785)では、多数派の仏教徒と共に少数派のムスリムも居住していた。
 この王国は仏教王朝だったが、ムスリムとのあいだに宗教的対立は見られなかったという。その後アラカン王国は1785年、ビルマのコンバウン王朝の侵略によって滅亡。この地は40年ほどビルマ民族による統治がなされるが、それを嫌ったムスリムがベンガル側に逃げ、ビルマ民族からの支配を嫌ったラカイン人仏教徒も一部が避難したという。
 しかし、19世紀に入り、1824年に第一次英緬戦争が起き、1826年にビルマ王国の敗戦でラカインは英国の植民地化した。するとベまた新しく移住を開始する者も増え、彼らは数世代を経て定住するに至った。こうした急激な移民の流入は、それまでの仏教徒とムスリムとの共存関係を崩してしまう結果を招いたのだ。
 20世紀になると両者の対立はさらに深まっていく。1886年に全土が英領となったビルマでは、首都ラングーン(ヤンゴン)にも多くのインド系移民が流入するようになった。しかしラカイン北西部に移民したムスリムは、同じ下層労働者であっても定住移民となって土着化し、そのことゆえに土着の仏教徒との軋轢が強まっていった。
 先の大戦時には英国勢力を追放しビルマを軍事占領した日本軍の勢力は、ラカインにも及び、仏教徒の一部は日本軍によって武装させられ、ラカイン奪還を目指す英軍と戦うことになった。英軍もベンガルに避難したムスリムの一部を武装化するとラカインに侵入させ、日本軍を攻撃させた。しかし、現実には、この争いは日英の戦闘というより、ムスリムと仏教徒との宗教戦争の様相になってしまったという。そのため以後ラカインにおける両教徒の対立は取り返しのつかない地点にまで至ってしまう。
 終戦の2年半後の1948年1月、ビルマには連邦共和制が誕生した。しかし、当時の東パキスタン(現バングラデシュ)と国境を接するラカイン州北西部は、1950年代初頭まで中央政府の力が充分に及ばない地域として残された。そのため東パキスタンで食糧不足に苦しむベンガル人(ムスリム)がラカインに流入し、仏教徒との対立をさらに深めていった。この混乱期において、ラカイン北西部に住むムスリムの「総称」として「名乗り」を挙げたのがロヒンギャだった。現在、ロヒンギャの名前を付した文書として最も古く遡れるものは、1950年に彼らがウー・ヌ首相に宛てた公式の手紙である。
 こうしてこの地方には、アラカン王国期からのムスリム居住者を基盤に、英領期のベンガルからの流入移民がその上に重なり、さらに先の大戦時の旧東パキスタンからの新規流入移民の層が形成され、いわば「三重の層」から成るムスリムが堆積する形となった。
 現在、ミャンマー国民の多くは、このムスリム移民の三重の層のうち、戦後すぐの3回目の「ムスリム移民の層」にだけ注目しているという。それはあたかも、それ以前にムスリム移民は存在しなかったかのような記憶を作り上げているようでもある。
 だから、かりにこの「三重の層からなる堆積したムスリム」が、どのように混在して「ロヒンギャ・アイデンティティ」が形成されたのかが説明できるようになれば、ミャンマー国内の世論を排他的なものから包摂的なものへ変えることが可能となるかもしれぬ。」
 根本先生はこうわかりやすく解説しているが、この地域に定住するイスラム系住民にも3つのタイプがある事は初耳だった。

原因の一端を作った英国の欺瞞性を問う 選択肢はアナン勧告を受け入れること

アウンサン・スーチー氏がネピドーで演説をした前日、NYの国連総会開催中に英国主導で閣僚級会合が開かれた。英国連代表部によると、バングラデシュのほか、米国、インドネシア、トルコ、豪州、カナダなどが出席したという。当然ながらこの席上、ミャンマーの事実上の政権トップであるスーチー国家顧問に暴力を止めるよう求める声が相次いだという。
 ジョンソン英外相は、「民主化への動きが歓迎されている最中に、今回のひどい人権侵害と暴力は、ミャンマーの名声に傷をつけている」と指摘。「誰も軍政に戻るのは見たくない。暴力を止めなければならないという姿勢をスーチー氏と政府が明確にすることが重要だ」と述べたという。
 ヘイリー米国連大使も、「事態に改善が見られない。軍事作戦の停止と人道支援、安全な帰還を求める」との声明を発表した。
 スーチー氏はこの国連総会を欠席した。そして19日に国民と国際社会に向けて声明を読み上げた。この中で上記の英米国連大使の批判を意識したと思われる次のような演説をした。
 「ラカイン州での治安部隊は、治安回復維持のための作戦行動をする際に、その行動規範を厳しく守り、最大限の自制をし、何の罪もない民間人の起き添えや損傷を避けるべく、可能な限りの手段を講じるよう指示しているとの報告を受けている。したがって9月5日以降、反乱分子といわれる勢力と、いかなる武力衝突も起きておらず、彼らに対する掃討作戦も行わていません。治安部隊によるロヒンジャ村の焼き討ちなどの情報についても、そうした主張とは全く逆の反論もあります。私たち政府は、そうした報告をすべて聞かなければなりません。そして私たちが行動を起こす前に、こうした主張が本当に動かぬ証拠に基づいているかどうかを、確認しなければなりません」。
 そしてスーチー氏はイスラム系住民への人権侵害や違法な暴力を非難し、人々が逃れている原因を究明したいとも述べた。
 ミャンマー政府がこうした決意を言明しているにも関わらず、英国のメイ首相は、同じ19日に訪問先のNYで、ミャンマー軍への教育訓練を一時停止すると発表した。ラカイン州で続くロヒンギャに対する暴力や人権侵害への懸念を反映したもので、問題が解決されるまで支援を凍結する姿勢を示した。
 メイ氏は「ミャンマー軍が取っている行動は停止される必要がある」と述べた。英政府はミャンマー軍兵士に、軍人の規律や英語教育、民主化に関する教育プログラムを実施し、昨年は30万ポンド(約4500万円)を投じていたいう。
 また、国営のBBCはニュース配信していたMRTVがミャンマーで使用されない「ロヒンギャ」という言葉をカットした という理由で、配信を停止したと発表した。
 しかし、この英国の人間たちは今さら何を正義感ぶっているのか。歴史を振り返ってみれば、この問題の根本原因を作った張本人の1人は、彼ら英国ではなかったのか。英国のしたたかな民族分断政策により、このあたりのモスリムと仏教徒の対立の構造を作り出したのは英国の植民地政策ではなかったのか。
 そうした歴史的背景をほう被りし、「早く解決しないともう協力はしないぞ」というごう慢な姿勢こそ、国連を中心とした欺瞞的な白人勢力の本質が見え隠れしてならない。
 かりに、国際世論の主張通りにミャンマー政府が難民となったイスラム系住民を帰還させ、国籍や市民権を与えたとしたら一体どうなるか。これは間違いなく、彼らの帰還に同調していない大多数の国民の反感を買い、今度は国家主義的な仏教徒が過激な行動に出る恐れは十分に考えられる。
 1988年に起きた大規模な民主化デモのごとく、おそらく大小のモスリム排斥運動が国内各地で勃発するだろう。それはミャンマーが再び騒乱状態になる事を意味する。そんなことは誰が考えたって推測できる。すでにその不穏な兆候が現れ始めている。
 先月20日夜、ラカインの州都シットウエーの港で、約300人の仏教徒が難民への支援物資を船に搭載しようとしていた国際赤十字のスタッフへ火炎瓶や投石を行ない、警官隊が駆けつけるという騒ぎが発生している。
 国内が混乱状態になれば、経済は確実に停滞する。社会不安が消えるまで投資は控えられ、観光客は減少する。そうなると国内産業はもちろん、海外からの進出企業にも大きな影響を及ぼす。そうなれば、この国に根を下ろし、ミャンマーの発展を願って様々な活動をする我々日本人のなかには撤退する者も出て来るだろう。さらにせっかく民主化を成し遂げた政権も弱体化し、治安維持の大儀をかざして再び軍政に逆戻りするケースも十分に考えられる。
 ミャンマー国軍は内務省、国防省、国境省という3つの重要省庁を掌握し、警察も統制下に置いている。しかも民主政府を停止できるなど強力な権限を持つ「国家防衛安全保障会議」(NDSC)についても、メンバー11人のうち、6人は軍が指名する。
 アウンサン・スーチー氏の立場に立って考えれば、これでは飛車角落ちで将棋を指しているようなものである。国際社会はこうした彼女の置かれた政権基盤を十分理解しているくせに、それでも国連を中心とした人権擁護を振りかざす勢力は、ミャンマー、いやアウンサン・スーチー氏に難題を押し付け、批判の矢面に立たせている。
 しかし、一方では「スーチー氏ばかりを責めるのは筋違い」という声もあるが、これも的外れだ。現政権の指揮を事実上執っている以上、国家顧問が毅然たる態度と決断で、この問題を解決していくしか方法はない。
 その意味では演説の最後に述べた「政府が短期的に達成できる方策を優先させるが、状況の早急の改善のために私たちは諮問委員会の勧告を実行していく。そしてすべての人々の苦しみを終わらせることを固く決意している。」という言葉は非常に大きな決意と言ええよう。
 この際はっきり申し上げるが、これまでスーチー氏を中心とするNLD政権にかなり歯がゆさを感じていたが、今回のように政府としての態度を世界に向けて積極的に発信していくことが、今後も重要になってくるだろう。
 ミャンマーのこの問題をイスラム過激派の大儀に使わせてはいけない。また北朝鮮問題のように中国、ロシア勢力と、欧米や日本グループとの影響力行使の駆け引きの材料にすることも絶対に避けなければならない。
 その意味でも、ミャンマー政府が自ら指名したアナン元国連事務総長率いる諮問委員会の勧告を受け入れながら、少しづつでもいいから国民の理解を得ることに努力していた
だきたい。そうなれば国際社会だって必ず理解を示してくれるはずだ。少なくとも弊紙はこの路線の遂行と、アウンサン・スーチー大統領国家顧問兼外相の「良心」を信じ、断固支持していく。

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