◎ミャンマー人の肖像

厳しい修行に耐えて念願の和食の料理人に 満を持して開いた日本食店が評判を呼ぶ

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U Ko Aung コ・アウンさん  日本レストラン「城」オーナーシェフ

 人間の運命と人生は何処でどう変わるかわからない。昨年8月に南オッカラパ地区にオープンし、今やヤンゴンでも1,2を争う人気店になった日本レストラン「城」のオーナーシェフであるアウンさんの人生もまた、多分に運命的に思える。
 アウンさんが大学2年の1988年、学生を中心にこの国の歴史に残る民主化運動のうねりが起きた。人民公園の集会でスーチーさんが壇上に立ち、公にデビューした年だった。
 当時、勉学意欲に燃えていたアウンさんは通学していた大学が封鎖され、学業の場を失った。そこで思いついたのは、すでに愛知県岡崎市で暮らしていた実姉や親戚を頼って日本へ行くことだった。これがアウンさんの人生の分岐点となった。
 「向こうへ行きましたが、最初は言葉も分からず、日本語を勉強しながら飲食店でアルバイトみたいなことをしていましたね。今から27年前の1990年のことです。」
 ご本人は余り語りたがらないが、この時代に親戚縁者が日本へ行っていたことから、アウンさんの家系は相当なレベルにあったことだけは間違いない。
 それからしばらくして、母国ミャンマーへ車の輸出ビジネスを始めた。今でこそミャンマーには日本の中古車が溢れかえっているが、この当時はそう簡単に輸出入ができる時代ではなかった。それから20数年後にミャンマーでは空前の日本車輸入ブームが起きたが、アウンさんはすでに25歳の若さにしてこのブームを見遠していたのだ。凄い先見性である。
 「ビジネスはうまくいき出しましたが、それでも私は日本に来たからには何かひとつ手に職をつけた糸思っていました。ミャンマーに帰国しても技術さえあれば何とかなる、と常々考えていたからなんですよ。」
 それが調理師免許だった。日本で味わった和食、特に懐石料理には衝撃を受けたからだという。
 「日本食全般にいえますが、特に懐石料理は素材の鮮度はもちろん、調理方法、盛り付けなどすべてに厳しいきまりがある。これは芸術だ、日本の凄い伝統文化だと思いました。そこでこの分野の料理人になることを目指したのです。」
 とは言っても日本人でさえ一流になるには相当な努力と修行が必要だ。ましてや食文化が全く異なるミャンマー人に和食の板前が務まるのか。
 「当然でしょうね。それにそれまで料理経験などなかったから、最初はまずエス二ック、中華、そして洋食から習い始めました。そして3年後に本格的に和食の料理人の修行に入ったのです。」
 名古屋を中心に飲食店のチェーンを展開するグループ会社に入り、板前修業に入ったという。しかし現実は想像以上に厳しかった。
 「最初はもちろん鍋洗いとか、食材の下準備とかの雑用です。そのうち買い出しを任されました。毎朝6時に起きて市場へ行きます。そして店に帰って下準備。営業中はすることが山ほどあって息も抜けません。仕事が終わるのが夜中の1時2時です。睡眠時間は3時間くらい。だからいつもソファーで仮眠状態です。私は当時プロレスにはまっていましたから、夜中にTV の録画中継を見ながらウトウトするのが唯一の楽しみでした。」
 若かったから体力もあった。そして何より料理人になりたいという執念が自分を支えた。
 それから少しづつ料理の手ほどきを受けられるようになったが、すると調理長から酒を飲むことを禁止された。
 「料理人は舌を鋭敏にしておかなければならなかったのです。ビールが大好きだったんですが、これも1年半ほどご法度になりました。」
 罵声や叱咤を浴びせられる毎日だった。調理長は京都の有名な懐石料理店からきた妥協を許さない厳しい人だった。
 「特に魚を下ろすのは緊張しました。たとえばアジは5枚下ろしにするのに40~50秒でやらないと鮮度が落ちる。4㌔のカツオでも2分40秒ぐらいという目安です。モタモタしているとすぐ怒鳴られます。盛り付けも“山”は左になど細かいきまりがあったのです。」
 辛い日々だった。それでも余りの辛さに、何度か辞めようと思ったこともあったという。それどころか、今だから告白できるが、悔しさの余り「包丁で刺してやろうか」と思ったこともあったという。それでもアウンさんは耐えた。耐えて耐え抜いた。
 そして苦節6年、ついにアウンさんはこの店の料理長になった。外国人に和食の料理
人が務まるか、という陰口を何度も浴びせられながら、ついに夢を果たした。
 「それはうれしかったのですが、料理長になったらなったで、今度が経営面のことも考えなければならない。いくら味が良くて評判を呼んでも、赤字にはできないですから、素材選びからレシピの工夫まで、今度別の苦労がやってきました。しかしこの時の経験は、今ヤンゴンで開いた私の店の経営に大いに役立っているのです。」
 現在彼の日本料理店「城」の食材は、7割方現地調達だという。どうしても入手できない食材や、たとえばミャンマーではいい品質のものがない牛肉などは海外からになるが、それ以外はできるだけ現地調達を心がけているという。
 「美味しい料理を適正な価格で、というのが私のモットーなので、できるだけミャンマーの食材で賄いたいのです。うちで出している手羽先をはじめとした鶏はもちろん現地調達ですが、日本より美味しいと言っていただいています。こうしたことができるのも、名古屋での厳しい修行のおかげだと思っています。」
 余談になるが、その名古屋時代には料理人としての腕が買われ、前任の師匠である料理長の推薦もあって、某電力会社が主宰する料理教室の講師をしていたこともあったという。そしてグループがオープンする飲食店などのコーディネートからコンサルまで任されるようにもなった。日本の永住権も取得し、名古屋に自宅まで建てた。
 「ここまで来られたのは、日本でお世話になった人のおかげで本当に感謝しています。ですから今は素晴らしい和食を多くのミャンマーの方にも召し上がっていいただき、日本とミャンマーの交流に少しでも貢献できたらと思っています。」
 アウンさんの胸のなかにはすでに2号店の計画もあるそうで、できればダウンタウンに店を出すことも考えているという。開店して1年余りで熱烈な固定客が増えた「城」の今後の展開が楽しみである。

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