◎発見|Discovery Discover in Myanmar ----- 第2回 Bagan バガン----Part 2

アノーヤター王(1044年~1077年)の建立だが、地上から3階部分を作り、残りの上階以上はチャンシッター王(1084年~1112年)が完成するまで引き継いで造り続けた。

目次

シュエジーゴンパゴダ Shwe Zi Gon Pagoda

アノーヤター王(1044年~1077年)の建立だが、地上から3階部分を作り、残りの上階以上はチャンシッター王(1084年~1112年)が完成するまで引き継いで造り続けた。仏陀の犬歯、鎖骨、前頭部飾りなどが安置されているという言い伝えがあり、この地方の至宝として崇められている。パゴダの周囲には、仏陀が悟りに入る以前の550の「人生訓」が叙述されている。建造物にはレンガや砂を使用することが多いバガンでは、金色
のパゴダは4搭だけで、その一つがこのシェシーコンである。ちなみに寺院内の火曜日のコーナーには、パゴダの先端が映る小さな水溜まりが出来ている。日中は強い日差しのため、王様が天を仰ぐ見ることが出来ないため、水溜りに映る先端のダイヤモンドを見て、お祈りができるようにバガン時代の技術者が腕を振るい、配慮したという伝説も残されている。

アーナンダ寺院 Ananda Temple

仏陀の王子として出生したが、王位へのチャンスを拒否し、釈迦になるまで修行した過程を表現する寺院内の像が有名。建物はチャンシッター王によって造られたが、ミャンマーの歴史の中ではその建築技術が優れているとの評価も下されている。寺院内部は回廊状になっており、空気の流れにも配慮されている。また洞窟内での音響、反射システムも特色。壁面の角に光が入るように穴を調整して開けており、その光線の具合で仏像の顔の表情が変わる。見上げてみると安定した顔だが、ちょっと離れてると微笑み、さらに10歩ほど離れてみると明らかに笑顔になる。アーナンダ寺院の扉はチークでできており、11世紀建立時の扉が現存する。なお屋上の壁画は、現在インドの援助で復元中だ。
ちなみに、バガンは仏陀の遺跡だけでなく、技術大学系の生徒の研究旅行に必ず選ばれる研究地としても地元では知られている。11世紀の技術は現代の建築学の基礎と言えよう。

ミンナントゥ村 Min Nan Thu Village

バガンは大幹線道路沿いに村が広がっている。そうしたエリアには、小屋のような家々が立ち並ぶ。広い敷地の中で、牛をピカピカになるまで磨いているも光景ものどかだ。ミンナントゥ村ではまず機織りの家を訪問した。カラフルな模様の伝統のロンジやマフラーなども売られているが、ここでしか買えないデザインも見せてくれた。ヤンゴンのように民族衣装はなくて、全部ビルマ族の模様だった。煙草の作業場、漆物のお土産店などもあった。

ミャゼーディー 碑文 Mya Ze Di 碑文

ここはミャンマーの歴史では非常に重要な場所だ。ミャゼーディー碑文は、チャンシッター王の長男ラザクマラ王子(1113年)によって書かれた。この碑文は、ミャゼーディーパゴダ近くで発見されたため、この寺院の名が碑文に付けられた。いわば国宝級の逸品である。ビルマ語、モン語、パリ語、ピュー語が4種類の言語で示され、歴史上最古の碑文と言われている。この碑文により、バガン王朝の即位年代、王家、代々の王朝時代まで研究することが可能になったという。なお、明示されている西暦に合わせ、即位世紀の旧暦も計れた。当時の指導者の僧侶などの名前なども記されており、バガン時代から僧侶たちの立場が高位にあった事をうかがわせる。
碑文では、父は王座を明け渡さないで、孫のアラウンシトウを王位に付けることにしたが、自分はそれを全く気にせず、父の病が悪化し、余命いくばくもなくなったときに、祈願の意味で、仏像を納めてパゴダを建立した。バガン都の王座には付けなかったが、チャンシッター王の息子として生まれ、父を崇めることができた、と書いている。なお、今年3月、このミャゼーディー碑文は世界遺産認定の申し込みをした。

漆器の作業場

バガンではハンドメイドの漆の土産を売る家は何件かある。そのひとつ、作業場を訪ねてみた。ミャンマー最古の漆物は、13世紀建立との記録があるミンガラパゴダの近くで発掘された。チン州から竹をバガンまで運び、デザインを型に入れるときに馬の尻尾を使って竹を割る。手作業なので他国とはやり方が全く違う。良い製品を作るため、漆器は7層も塗る。次に、適度な温度にした、暗い場所で乾燥させる。その後水で洗い、チークを焼いて出来た塊で擦る。光沢が出るが、灰と牛骨の粉を混ぜてさらに7層まで擦る。擦ってると光沢が増々出て、いよいよ最後の層の仕上げになる。最後の層を染める。色は大半が赤、緑と黄色である。そして再び乾燥させ、その後はチークを焼いた灰で摩擦する。完成前に、水で洗って出来あがりとなる。これがバガンの有名な「長生きの漆物」と言われる作業の行程だ。

ブー(ユウガオ)パヤー(パゴダ) Buu Pha Yar

3世紀にピューソーティー王により建立された。この王は即位前に、当時バガンに被害をもたらしていた虎、猪、鳥などを一掃し、人々の苦難を解決したため、タムダリ王(107年~159年)が英雄と認め、自分の娘を嫁がせて王子にした。その後王座を継承し、バガンの開拓に力を注いだ。例えばエーヤーワディ河岸沿いあった無用の夕顔の木を自から除去し、この街の繁栄を祈願してパゴダを建立した。夕顔(ユウガオ)の原野を開拓して建てられたため、ブー(ユウガオ)パヤー (パゴダ)と呼ばれるようになった。形状もユウガオの実の形をしており、河沿いにあるため、これまでに土地が河に崩れたり、1975年には大地震に見舞われたりし、パゴダ全体が河に滅失した。現在のパゴダは1976年に復元しされたものである。

ブーパヤーからのサンセット

河沿いからの美しさは息を呑む。夕刻には外国人がパゴダに立ち、サンセットに見とれる。エーヤーワディ河に投影する園夕陽を、ブーパヤーから望むか、川辺を歩きながら楽しむが、ボートに乗って船上から眺めるのも人気だ。料金は一人1万5千で、1時間のルート。ブーパヤーから出発。

タビニュパゴダ That Byin Nyu Pagoda

バガンのパゴダの中で最も高く、64メートル(210フィート)もある。内部には4層の洞窟で、天井に花の模様や仏陀の聖足跡、釈迦の姿を書かれてる壁画が数多く残されている。祈願に使用されるだけでなく、僧侶たちの瞑想場にもなり、仏法文献を保存がされてる重要な場所でもある。細部にわたり建築技術が施されたこの寺院は、古くから大切にされてきた。

砂絵

バガンでは300人以上の方々が、砂絵画家と生計を立てている。値段は3000Ks~。観光客の7割が必ずお土産として買うそうだ。かなり以前から砂絵を描いて生活する人々がいたが、
2006年ごろからブームになり、2年前からは砂絵はバガン旅行の記念になってよく売れるようになったという。壁画のように姿を描いたものが人気があり、シーズンには毎日躍50%以上売れるようになったそうだ。

サンセットガーデンレストラン Sunset Garden Restaurant

バガンでは名無しのパゴダもかなりある。近隣諸国で戦乱が起きたとき派兵したりして、その返礼としてインド、スリランカ、中国などから寄贈されたパゴダも数多く残っている。
タムダリ王がYone Hlut島に分散していた19郡の村を集め、西暦107年にバガンを造ったと言われている。34代目のピンピャー王(211年)の時代には、街を囲うように防衛するタラパー門(Gate Tharapar 、全回述べた)が造られた。当時からバガンは要塞都市だったのだ。宗教的には、竜、ヒンズー教、幽霊・神祀り、上座部仏教などを信じていたが、AD11世紀、アノーヤター王(1044年)の時代からは小乗仏教が栄えるようになり、現在国民の96%が小乗仏教徒である。
バガン時代は、王様、王子、僧侶をはじめ、寡婦まで、それぞれの思惑でパゴダを建立して、自身の痕跡を残したそうだ。なお、碑文、漆喰、さらにやしの葉の上に書いた跡などに残された記述などを見て、現代人はそのパゴダの歴史やいわれを推察する。
1、000年以上経た現在でも、強固に建っているパゴダや寺院から、バガン時代の優れた技術力、細かい芸術的センス、信心深さ、当時の政治、繁栄を極めた王朝時代の生活などが伺える。
バガンの魅了は、そうした歴史的な旅が出来ることでもある。

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