◎第9回 テリー先生ヤンゴン滞在記「国境の町」

ミャンマーとタイとの国境は4カ所イミグレーション事務所があり出入国の手続きができる。

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    ミャンマーとタイとの国境は4カ所イミグレーション事務所があり出入国の手続きができる。東西回廊として注目を浴びている山越えルートでタイ国メソットに行った。ミャンマーの中心都市ヤンゴンからタイ国のメソットまでの約460kmの道路はコーカレイから日本軍が作ったという山越えルートである。道幅は大型トラックがやっと通れるほどで、数カ所極端なヘアピンカーブがある。対向車とのすれ違いができないので『登り』と『下り』車両が一日おきに変わる一方交通となる。コーカレイからミヤワディまでの間にドーナー山脈が走っている、峠は約500mほどの高さである。雨期には土砂滑りが所々にあり、多量の水が滝のように斜面を流れている。道路はほとんど舗装されていない。走行速度は自転車のスピードぐらいか、運転手も慎重に運転をしているが、事故車をみかける。

    峠を越えて麓に近づくと、ホースで水を吹き上げている場所がそこかしこにある。なんだと友人に聞くと、標高差を利用した水圧で洗車を行うらしい。Good ideaだ。電気不要の洗車ポンプである。ミヤワディに入るとタイ政府が援助したという舗装道路に出て、山道走行で力が入った体がホットする。国境の町、ミャンマー側はミヤワディという。タイ側はメソット、川を隔てて生活環境が変わる。
    モエイ川を渡し船が行き来をしている。ビザ不要の世界がある。
    もちろん日本人は橋を渡ってイミグレーションにてパスポートを渡してスタンプを押してもらなければなりません。

    国境にかかる橋はFreindship橋と言われています。その橋のたもとにモエイ市場がありミャンマー産のエキゾチックな手づくり製品や、骨董品屋では日本軍で使用したと思われる日本刀など掘り出し物が見つかる。
    冒頭に述べたようにタイとミャンマーは4カ所の国境の町でイミグレーションができるとバンコックのミャンマー大使館に情報が張り出してありました。
    (1) Tachilek - Mae Sai
    (2) Myawaddy – Mae Sot
    (3) Kawtthong – Ranoug
    (4) Htee – Pu Nam Ron

    昨年に開設された(4)Htee-PuNamRonに行ってきた。ミャンマーのダウェーまでタイのカンチャナブリからのアクセスができる仮設道路がある。カンチャナブリから約80kmの場所がPuNamRon(温泉の村)である。ここは名前のとおり秘境温泉がある。温度は40度、草むらの中に五右衛門風呂がポツンとある。

    カンチャナブリのイミグレーションで出国手続き、ミャンマー側で入国手続きを行う。ミャンマーのイミグレーションで入国許可のスタンプを押してもらうと、事務所の前にダウェー行きのバスが止まっている。切符を買おうと財布を探したが、充分なお金がないことに気がついた。せっかく ミャンマーに入国できたのに、ここですぐに引き返すのではつまらない。しばらく歩いてみようと、炎天下の中をダウェーに向かって歩き出しました。無謀なことです。
    しばらく歩くと、オートバイが止まって、何処まで行くのだと 聞いてくれました。行き先は分からない、腹が空いたので食事をしたいと表現すると、乗れと言ったようなので後ろに乗る。無謀なことです。0分ほどオートバイで行くと建物が見えて来た。道路建設事務所と軍隊の駐留所がある。

    オートバイにお金を渡そうとしたが、いらないとそのまま走り去った。炒飯はどこでも安全な食べ物なので頼む、店の中に4名の若者がビールを飲んでいた。こっちへ来いと手招きするので水を持って行く。民族服を来ている若者はミャンマー軍の駐留部隊の責任者という。ダウェーに行くから一緒にくるかと言うので後を着いて言った。無謀なことです。ピックアップに多量のペットボトルが積まれてその上に7人が乗る、座席には5人が乗っている。この状態で4時間のダウェー行きが始まった。ジャングルのなかを猛スピードで走る。運転手は若い、車はトヨタの中古車、12人が乗り、ペットボトルが200本は積まれている。 2時間ぐらい走っただろうか?軍のチェックポイントで止まった。道の悪さ、運転の悪さ、ペットボトルの椅子、ダウェー行きは諦めて車を降りる事にした。金を払おうとするといらないという。無賃乗車である。タイに行く自動車を待ち、乗り込むこれまた無賃乗車で国境まで帰る事ができた。資金を持たずに言葉も出来ない初めての場所を旅することは無謀である。ミャンマー人の親切に感謝の旅であった。次回は充分な準備をしてダウェー行きを果たしたい。

    <テリー先生>
    本名宮川照男。1949年、平塚市生まれ。早大理工学部卒業後、山武ハネウエル(株)入社。
    1988~1992年、同社米国駐在所長を経て独立。野菜工場設備会社(有)アイエスエス設立。スプラウト栽培を日本に紹介、普及させる。その後、東海大学湘南キャンパス、チャレンジセンター特任職員として「ものつくり」「環境キャラバン隊」などを指導。2012年退官し、2013年5月より、ヤンゴンにて農業視察、調査を開始。
    Yezin Agricultural 大学の学長らと、ミャンマー農業支援について討議を重ね、現在、同大学とヤンゴンのElephant Seed 会社と種子生産についての技術提携を計画中。小型飛行機操縦士免許取得。
    teruomiyagawa@gmail.com

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