◎今月の視点 もう「誇大広告」は駄目。決断遅いが、日本人の結論は早い。

7月の声を聞いて、日本はいよいよ本格的な夏に突入したが、こちらヤンゴンはいつも通りの夏。

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雨季突入だが邦人ビジター増加へ ビジネス面はAジャパンの様相に

7月の声を聞いて、日本はいよいよ本格的な夏に突入したが、こちらヤンゴンはいつも通りの夏。4月の酷暑を過ぎても連日30度前後で、季節の機微はない。むろん雨季だから定番の激しいスコールはやってくるが、考えようによってはこれが一服の清涼感を呼び、雨上がりの樹木が瑞々しく光輝き、なかなか風情があっていい。
しかしこの気候的ハンデ がある状況下でも、邦人ビジターは確実に増えてきているようだ。比率的にはビジネス関連7割、観光3割といった感じだが、2年前に200人余りだった日本人会への登録者が、すでに750名余になったというから驚きだ。また、同じく30軒程度だった和食店も100軒を超し、日本語学校も同程度の割合で新設されている。さらに余り表面化はしてないが、すでに第1期が販売中の「ティラワSEZ」へは予想以上の申込みがあるそうだ。加えて名だたる日系物流大手の進出や邦人資本のホテル建設などの動きも目立つ。また日本の代表的企業やJICAによる電力事業や輸送・道路などの交通インフラ整備も現実味を帯び、日産、トヨタ、スズキなどトップメーカーによる新車生産事業なども始動し始めた。ここにきて“オ―ルジャパン”ともいうべき様相を見せてきた。

相変わらずの不動産バブルが続く 自分で首絞める状況を是正すべき

しかしながら、こうした進出ラッシュともいうべき現象を見るにつけ、果たしてこの国で採算ベースに乗せることができるのか、あるいはそれが可能だとしたら一体どのくらいのスパンで見るべきかなど、同胞の一人としていらぬ老婆心を抱くのも事実だ。というのも大手の大半は途上国でのビジネスを熟知しており、長期的な事業計画と戦略を構築してきているが、中小企業やベンチャーといわれる新興勢力の場合、腹をくくり、かなり先を見据えているかどうかを危惧するからだ。もしそうでない場合は体力的にどうなのか心配だ。そう懸念する根拠は、外国企業は土地、不動産、ホテルの異常な価格と悪しき慣習に、まず最初に直面するからだ。もちろん土地は外国人が買えず、権利関係が複雑の割には登記簿などの公的証明もかなり甘い。そして紹介者やブローカーという人間が間に割り込もうとするから価格がつり上がる。これはコンドミニアムや戸建てなども同様だ。さらに賃貸の場合、最低1年先払いという契約形態が通常化しているが、更新時に同額スライドはまずあり得ない。倍額は珍しくないし、それで更新を諦めた邦人借り主の例をいくつも見聞きした。別にさしたる根拠はない。貸主は、近隣の情報を 仕入れ、それに合わせて家賃を釣り上げる単純な構図のようだ。富裕層や資金に余裕のある方は、新築物件の青田買いに走り、完成前に売却して利ザヤを稼ぐ。
これではこの国に根を張り、雇用を生みだし、人材を育成し、Win &Winのビジネス関係を構築しようとしている企業は、まず完全に出鼻をくじかれる。どころか 視察調査段階であれば 完全に二の足を 踏む。だからこうした一人よがりの行為を繰り返していると、結局はご自分たちでご自分の首を絞めていることになる。何故そのことに気づかないのだろうか、あるいは分かっていても、どうして是正しようとしないのだろうか。行く末を案じる一人として、時として惨憺たる気持ちになる。

日本企業の課題は人材確保に 育て上げる気概と余裕を持つ

もうひとつの問題は人材である。とくに管理職だ。弊紙にもミャンマー人の優秀なマネジャーがいないかという問合わせが頻繁に来る。一般国民はお人よしで慈愛に満ち、なにより正直である。しかし、国外経験のある人間ならともかくこの国で生まれ、教育を受け、スローライフともいうべきぬるま湯社会で育ってきた若者たちにマネジメントの辛辣さ、厳しさ、寂しさ、そして難しさを求めるのはある意味で“酷”なのかもしれぬ。家庭内での争うごとはタブーで、人前で怒りを露わにすることを"恥“とする文化の中で、我々の企業マナーやビジネス慣習を押しつけたり、持ち込もうとすると、とどのつまりはどうしても人間関係に”ひずみ“が生まれる。
 ここに邦人企業が抱えるジレンマのひとつがある。しかし、翻って考えてみれば、雇用側でも、余りにも即戦力と期待を持ちすぎてはいないか。だったら 少し気を長く持ち、まず最初は日本語など理解できなくとも、育ててみようという意識で接することはできないのか。この国の若者の中にも潜在的に 資質を持った 人間は いる。そうした可能性を持つ若者を登用し、育てていかなければこの問題はすぐには解決策が見出せぬかもしれぬ。それだけの度量と余裕が雇用側にあるか。進出企業の成否の”鍵“はここにあるといっても過言ではない。

為政者の悪しき慣習を身につける 歌い文句とは異なる現実が存在

正直で信仰心の厚いこの国の人々は、すべてとは言わないが、利害や権利が絡むとどうして人間性が変わるのか。歴史的に見て、19世紀のコンバウン王朝を最後に、この国は英国、日本、インド、中国などに翻弄されてきた。いずれの 為政者の時代でも、多大な犠牲を払ったのは市井の庶民たちであったが、それは同時に極めて歪んだ個人の権利意識を植え付けられたという悲劇の側面をも生んだ。街中で肩が触れた程度の出來事ならすぐに「Sorry」と詫びるくせに、権利や利害を脅かす恐れのあるトラブルでは、たとえご自分に非があっても、頑としてそれを認めない個人主義者の独善的な論理感。歩行者を”人”とも思わないバスを含めたドライバーたちのマナーは日本や欧米にはない。地球環境をものとも思わない無神経さは国境を接する大国の 悪しき 習性か。この国の歴史や慣習の中から生まれてきたとは到底思えないし、影響を及ぼしてきた為政者たちがもたらしたエゴの副産物だろう。だから義務や責任感を忘れて権利ばかりを主張し、自己防衛に走る感覚はミャンマー人の本性だとは思いたくない。社会的弱者などお構いなしで、不動産マネーゲームに走る状況は、かって何処かの某大国で起きた現象とオ―バ―ラップする。
 将来的な可能性に賭け、今、邦人企業が大挙してきているが、それはある意味で出遅れては成らぬ、という企業としての危機感もあるが、そこにはこの国に少しでも貢献したいという日本人の“良心”があることも忘れるべきではない。いつまでも歌い文句とは異なる現実が存在し、「想像していたより難儀だ」という風評が広がっていけば、いつか必ず愛想を尽かされる時が来る。もう「誇大広告」的な歌い文句をぶら下げて呼び込みをする状況は過ぎ去った。日本人の決断は遅いかもしれぬが、ダメと烙印を押したら見限るのは早い。

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