◎Bagan 通信 第4回「バガンの人々」

バガンというと、オールドバガン・ニューバガン・ニャウンウーの3つの地区に分けられると以前お話しましたが、オールドバガンは非居住地域ですので生活区域は2つだけです。

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    バガンというと、オールドバガン・ニューバガン・ニャウンウーの3つの地区に分けられると以前お話しましたが、オールドバガンは非居住地域ですので生活区域は2つだけです。
    ニューバガンは元々オールドバガンの住民が強制移住によって移ってきた土地です。一方ニャウンウーはというと、これはれっきとした街です。行政区分でいっても、バガンそのものがニャウンウー町(Nyaung U Township)の区域内にあります。他にも周辺には村がいくつかあって、これらがバガンを形成しています。
    私はニューバガンに居住していますが、周囲の人々は皆ムラの人たちです。日の出とともに起きて、日が沈む前に家に帰ります。私事になりますが、朝空港で観光案内のボランティアをしているのですが、空港へ行く途中毎日同じ人に同じ場所ですれ違います。これなども規律正しい農民の生活の一端といえるでしょうか。
    寄り合いがしょっちゅうあって、何かというと寄り合いで決定しなければならず、またこの会合が何時間もかかるため、幹部メンバーである知り合いのガイドなども仕事よりもそちらを優先しなければならず、よくぼやいています。
    また昔ながらの伝統や習慣が多く、年頃の娘がいる父親は「同じバガンの男と結婚しなさい」と今でも言います。なぜかと聞いてみると、「ニャウンウーの人はよく知らないから」だというのです。東京出身の私からすると、よく知らないといっても、車で10分の距離で目と鼻の先じゃないかと思うのですが、彼らからすると山の向こうの人たちという感覚なのでしょう。
    これなども昔の日本と同じで「ウチとソト」の文化が根強く残っているということだと思います。ただこれらのしきたりも徐々に失われつつあり、バガンの観光地化に伴い急激に変化していくことでしょう。

    バガンの人々の生活は貧しく、近年観光が栄える以前は農業や水産業、漆器づくりが主な産業でした。現在でもこれらを細々と続ける家が多く、私の会社のバガンスタッフも、親の職業は漆器づくりが2名で、残りは農業です。乾燥地帯にあるため、古来より水や農作物に不足したであろうことは想像に難くなく、バガンが大規模な都市に発展しなかった理由もこのあたりに起因するのかもしれません。
    一方バガンの人の気質はというと、仏教の聖地らしく熱心な仏教徒が多く、温和で優しい人が多いです。その上助け合いの気風が色濃く残っていて、日本人の好きな“清貧”といった印象を受けます。
    実際バガンに生活していても、「いくら?」と聞くと「いくらでもいい」と答えてきたり、「ただでいい」ということすら何度かあり、こちらが狼狽してしまいます。
    これは本来バガンに限ったことではなく、太平洋戦争でビルマに赴いた日本兵の中に、いわゆるビルマにはまって、戦後になって何度も訪れた人たちが多かったという事実と無関係ではないでしょう。
    バガンを訪れる観光客は、一様に「バガンは良かった」と言います。その中には純朴で控えめ、それでいて他人に優しいミャンマーの人たちの魅力が含まれているのだと思うのです。

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