◎発見|Discovery Nay Pyi Taw ネピドー

ミステリアスなミャンマーの“新首都”を往く

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まだ”ヤンゴン”が首都だと勘違いしている方もいる。それほどこの遷都に関しては情報が少なかった。未開の穀倉地帯に突如出現したネピドーは、ミャンマーのどの都市にもない独特の景観を見せる。片側10車線の滑走路のような道路と宮殿を思わせる国会や空港の豪奢な建築物。整然と区画された未来都市のような街の趣に異邦人は『ここは本当にミャンマーなのか』という誠に不思議な感慨を持つ。今回はその首都を探索してみた。

未開の穀倉地帯に忽然と誕生  乱れ飛んだ遷都の理由と背景

今から11年前の2003年に、ミャンマー中央部の「ミンナマ」の西方数キロの軍用地に、この国の新しい行政首都が誕生した。筍とサトウキビの産地だった乾燥地帯の丘陵地約80キロ四方を開拓し、2年後に当時の「国家平和発展評議会」は、政府機関や関係省庁の大規模な移転を開始。3年後の2006年3月27日の「国軍記念日」には内外のメディアを招き、このエリアをミャンマーの首都[Nay Pyi Daw](ネピドー)とする、と公式に発表。さらに同年10月10日には、世界に向けて“遷都”宣言をした。わずか8年前の出来事だった。 
オ―ストラリアのキャンベラとシドニー、南アのプレトリアとヨハネスブルグやブラジルのブラジリアとリオなどのように、行政と経済機能を分離させた例は珍しくないが、ネピドーの場合はその建設自体が半ば秘密裡に進行し、ある日突然”首都“が出現したような印象を与えたため、この遷都に関して様々な憶測が乱れ飛んだ。
最も説得力を持つのは、当時500万人に迫っていたヤンゴンの首都機能の過密化と一極集中化の回避、さらにキャンベラや北京のように行政機能を内
部に移転させることで、サイクロンや津波などの災害から首都を防衛する目的だという説。しかし、一方ではこの時期米国との関係が悪化し、かりにイラクのように侵攻された場合にヤンゴンより内陸部のほうが占領されにくい、という戦略的理由や、北部少数民族との紛争による内戦が起きた場合には重要
な指揮拠点となる、などの多少信憑性を持つ説も飛びかった。が、時の政権トップが占星術師の指示に従ったとか、インテリゲンチャの多いヤンゴン市民を恐れたとか、諸説ふんぷんの推測がなされたほど、この遷都には謎が多かった。

高速道路で200マイル、約5時間 道中に1か所のドライブインが  

そうしたミステリアスな予備知識をもってこの新首都へ初めて訪れたのは2012年の夏だった。その前年の10月にネピドー国際空港が完成したばかりで、ヤンゴンからの定期便も少なく、民政移管の少し前の2010年頃までは、外国人の立ち入りさえも制限があったエリア。
  しかし、この国で初の高速道路がヤンゴンからネピド―を経由して第二都市マンダレーまで開通していたのは幸いだった。首都まで距離にして200マイル(約320キロ)、東京~名古屋間に相当するから、まず高速なら4時間程度か、とタカをくくっていた当方の思惑は見事に外れた。結論から言うと、ヤンゴン中心部から高速ゲートまで行くのにまず1時間以上はかかり、ここから100キロ以上の速度を維持してもネピドーの出口までは5時間はかかる。車窓から眺めると、何処まで行っても田園地帯と放牧地の風景が延々と続く。日本のように山々、川、海といった自然の変化がないから、退屈この上ない。しかも、多少の起伏はあるが全行程ほぼ直線道路で、睡眠不足ならまず睡魔に襲われる単調なドライブである。その上道路に
には防御フェンスがないから、道の両脇を学校帰りの生徒や農作業を終えた人々が平然と歩いていたり、時には横断したりしてハッとすることも度々。牛や豚などの家畜も飛び出してくるというから夜間などは本当に気が抜けない。また、道路自体がコンクリートで、アスファルト舗装をしてないため、クッションも悪い。それでも、マンダレ―まで600数十キロのミャンマー中央部を貫く“弾丸道路”をよくぞ作り上げたものだと感心する。しかし、残念なことは、途中ドライブインが115マイル(約184キロ)地点に1か所しかないことだ。この休憩所にはYKKOなどの飲食チェーンが軒を並べており、広大な駐車場もあるが、ここへ着くたびになぜか「あと1時時間少々か」と安堵と疲れ交じりのため息が出てしまう。

中心は20万㎡の国際地区に 通信、電力事情は極めて良好

ネピドーの面積は約7千平方キロで、周辺の区を合わせた管区的規模の人口は約100万人と推定される。人口的にはマンダレーと肩をならべるが、我々外国人が訪れる地域は、行政機能や大使館などが集まる国際地区と呼ばれるわずか約20万平方㎡のエリア内に限られてしまうので、とても100万都市とは思えぬ閑散としたのどかな街並みが広がる。ぽかに駅、病院機能を持つ区、イェイゼン農業大学や獣医大学などの学術施設が集まる区など、大きく分けて4つほどの主要区がある。
ネピドーの建設は現在ミャンマーを代表する企業25社によって2002年にスタートし、3年後にまず国軍司令部が移転し、この年のうちに11の省庁が移転を完了した。大統領府、大統領官邸、副大統領のオフィスと官邸さらに議長公邸に1200戸分の公務員官舎などが建設され、ほとんど移転を終えたが、この国の空を管理する航空局と海の港湾局だけは物理的にむりで、中央銀行の場合も支局という形でヤンゴンに残された。
  街の中心に進むと、「ティンガ―ハ」を代表とする高級ホテル群が現れる。国際会議や外国人を見越した計画だそうだが、パームツリーや芝生を敷き詰めたゴルフ場のようなレイアウトの中に、コテージ形式の宿泊施設が点在する様は、米国のアリゾナやフロリダあたりで見かけるリゾートに酷似している。通りを挟んだ反対側には「Junction」や「Ocean」といったミャンマーの有名大型商業施設が控えており、主要なレストラン、飲食店はほぼこのエリアに集中し、外国人は全てこの近辺やホテル内で用が足せるといっても過言ではない。
  むろん、国際都市を意識しているから、通信状況や電力事情は極めてよい。道路も広く、バイクは解禁されているが、車が少ないから渋滞もなく、目的地ヘはほぼ正確に行ける。しかし、軍の病院はあるが、近代化された医療施設や外国人向けの教育施設がまだ不十分なため、大使館や外国公館などはほとんどがヤンゴンに留まったままだ。

歴史的な観光名所は皆無 王都にふさわしい国会議事堂

無の中から創造した都市だけに、観光的には余り期待はできない。バガンやヤンゴンなどのように王朝文化や仏教 遺跡など歴史的なバックグランドがないため、どうしても新設の名所に限られてしまう。そのなかでも2009年に完成したヤンゴンの「シェダゴン・パゴダ」を模した高さ100mの「ウッパタサンティ・パゴダ」は、様式美の美しさやここから一望できるネピドーの景観などは一見の価値があるだろう。また、神の使いともいわれる縁起物の“白象”(正確にはピンク色)や国内最大の「宝石博物館」など、国際会議や関係省庁との折衝の合間に立ち寄って見るべき場所はある。
 “王都”(ネピドー)という意味を持つこの街は、昨年ASEANのシ―ゲームが開催され、その知名度は高まってきてはいる。外国人の立ち入り制限も徹廃された。しかし、東京ドーム約70個分の壮大かつ王宮のような国会議事堂を目の当たりにすると、「なぜ、ここに首都を、、、」という感慨を益々強くする。

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