◎今月の視点 この国は“フロンティア”ではない。もう思惑含む上目線は止めに

ヤンゴンの雨と女性には勝てない? 男女格差が少なく女性の進出目立つ

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8月になって、雨季は佳境を見せている。7,8月がレインシーズンのピークで、この時期雨量が多いのは致し方ないが、洗濯物の乾きが遅いのには閉口する。4月頃は2,3時間でOKだったのに、今は1日かけても完璧とはいかない。ヤンゴンにも時々小型の台風がやってきて、日に何度となく激しいスコールに見舞われるが、来月になれば雨量も減少しはじめ、待ち遠しい乾季の足音が近づいてくる。
 雨と言えば、”ビルマ“の近、現代史の研究者として知られる上智大学教授の根本敬氏の興味深い一節を思い出す。アジア読本「ビルマ」(河出書房新社刊)という共著の中で、氏のビルマ留学経験から「ヤンゴンの雨とヤンゴン女性は支配できない」というビルマ語の表現が存在するとの記述がある。むろん雨をコントロールできないのは分かるが、女性はなぜ?と疑問を持つ。その理由は、公式の場では男性が前面に出るが、重要なことを決定する際には妻や母親の意向が反映されるケースが多いからだという。これは王朝時代から定着してきた財産の均分相続や教育の男女差別の少なさなどが要因だという。確かに、この国の職場では男女の賃金格差はほとんどない。大学教授、教職員なども圧倒的に女性が占めている。医者、弁護士なども女性の進出は目覚ましい。だから何処かの国の議会のように、女性に低次元のヤジを飛ばしたりしたら大変だろう。
 それどころか根本先生は、ヤンゴンという大都会の女性はスコールのように突然心変わりするから男性の手には負えないとも書いている。裏を返せば、女性たちにとって、ヤンゴンの男どもならたやすく支配できるという女性陣の自信に満ちた思いが込められているのではないかと、解説する。そういえば、弊紙のスタッフや周囲の若い男性諸氏に聞くと、やはり田舎出の男にとってヤンゴンの女性はじつに“怖い”存在らしく、恐れ多くも“支配”などできるはずもないという。

逞しいミャンマー女性が国を支える 口コミによる情報伝達手段が日常化

総体的に見て、ミャンマー女性はしっかり者である。権力や権威をふりかざして悪事を働くようなこともない。名声を築いた方々は、ご自分のフィールドの中で最高のパフォーマンスを見せているし、弊紙の女性対談の中でも毎回その感を強くする。街中を歩いていても、ゼイ(市場)でどっかと腰をおろして大声で呼び込みをしているのは逞しきおばさんたちだし、旦那とおぼしき男性たちはその周りで甲斐甲斐しくサポートする。一見微笑ましくも映るが、ゼイの周囲の喫茶店や食堂の軒先で、平日の真っ昼間からお茶を飲みながらダベっている男性諸氏の多いこと。そんな時は「この国は大丈夫か」と思ってしまうが、このおしゃべりはある意味での情報交換の場でもあるという。他国に比べて情報通信手段が薄弱なため、口コミによる情報伝達の早いこと。
ある朝、甘ったるいミャンマーコーヒーが無性に飲みたくなったので喫茶店に入ったら、隣の商店主と思えるおじさんたちが盛んに「ジャパン、ジャパン」と会話の端々に混ぜ込んでいるので、意を決して何事か尋ねてみたら、その中の1人の親戚の会社が、半年前に日本の会社から合弁の話を持ちかけられたが、以後なしのつぶ手で困っているという話だった。何でも、それを信じて 親戚は広い工場用地の手当てをしてしまったそうだ。取り次いだミャンマー人も策がないという。どうしたらいいものかという会議だったようだ。

基本的ビジネスマナーを忘れた日本人 途上国に対する思いやりは言葉から

こうした話には当方も思い当たる節があり、肩身が狭くなる。これまで、公的、私的に何人、何社となくミャンマー
人及び企業、団体をご紹介してきたが、日本へ帰国してからの対応のいい加減さに腹が立つケースが多かった。当事者が本国に帰るとご自分、または自社の忙事に追われ、あるいは優先せざるおえないから視察、商談ごとが後回しにされ、返礼すらしない方が多いのには呆れてしまう。
 どこの国でもこれはビジネスの基本であり、途中経過報告でもしたらどうかと思うが、これがない。まさか邦人間でも同じようなことをしているとは到底思えないが、しばらくすると、紹介したミャンマーサイドから「どうなってんだ」という問い合わせが来る。当然だが、板ばさみになって苦慮する場合が間々あるのだ。
 たとえ現地に仲介者が居たとしても、ビジネスマッチングをボランティアでやる人間などまずいない。何がしかの思惑があり、成約に持って行こうとするから美味しいことも言うし、無理が生まれる。そうなるとミャンマーサイドは過分に期待してしまう。
 一方、正確かつ詳細な事前情報を仕入れて来なかった邦人の方々は、この国に“ゴールドラッシュ”のような先入観を持っているから、あまりのギャップの大きさに戸惑い、混乱する。所得水準が日本の20分の1程度なのに、東京をはるかに凌ぐホテル宿泊料や賃貸料を目の前にして、どうビジネスを構築したらいいのかまず思案する。次に電力、交通、ネット環境が脆弱な現実で、果たしてリスクを背負ってまで進出すべきなのかと、あれこれネガティブなことを考え出すが、こうなったら商談でも相手のアラや欠点ばかり探ろうとするからもう駄目だ。この時点で結論めいたものを示唆すればいいが、本国に持ち帰って検討するなどというから、こちらの方々は期待してしまう。とくに資金、技術は喉から手が出るほど欲しいから、それをぶら下げていつまでものらりくらりとやり過ごすのは如何なものか。
 現在、相も変わらず「アジア最後のフロンティア」などという軽薄な歌い文句につられてやってくる邦人は後を絶たない。お断りしておくが、この国は「未開の地」(フロンティア)でも何でもないと、当方は考える。少なくともビジネスにおける交渉術は相当したたかなセンスを持っており、ある面では私たちを凌駕する。90%を超す識字率はアジア有数だし、何より現世の善行を奨励する「上座仏教」という強固な精神世界があり、世界一ともいえる治安の良さは日本の比ではない。また貧しい人々は現実に存在するが、小さいながらも家庭や親戚縁者のテリトリー内で、「幸せに暮らす“術”」を、人々は先進国の欧米人より知っているのではないか。だから彼らが「フロンティア云々」と聞き、この言葉の背後に見え隠れする極めて上目線の思惑を知ったら、どのような感想を抱くだろうか。流行語のように安易に使っている方々は、そんなことを考えたことがあるのだろうか。日本のメディアも用語表現に厳しいコンプライアンスを設けているが、対象が発展途上国になると、差別的な匂いのする表現でも活字にしてしまうのはどうしてなのか、常々思う。

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