◎第11回 テリー先生ヤンゴン滞在記

東西廻廊の西の果てダウェイ

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21世紀のシルクロードと言われているインドシナ半島を東西に横断する東西廻廊が話題になって久しい。最近はあまり話題にならなくなってしまった。
どうなっているのか、興味があり、ヤンゴンから飛行機でダウェイ空港まで飛んだ。片道100ドルである。知人もいない、ミャンマー語も片言で、現地情報も調査していない、きまま旅である。
飛行場につくと、降りた人は5−6人、タクシー、オートバイの人が客引きをして来た。何処に行けば好いのか分からないので、乗る訳にはいかない。まずは、落ち着いて回りを観察することから始める。

飛行場の前にある数件の料理屋を見比べる、2人のおじさんがいる店を選び、食事を頼む、旅の秘訣はヒマしているおじさんを捕まえることだ、食事はミャンマーに何処でもある、タミンジョー(イタ飯)は安全パイだ。案の定、おじさんが私に興味を示し、話しかけて来た。何処に行くかと聞いているようだ。経済特区を見たいと、どのように言えばいいのか?全く分からない。日本から来たというと、海沿いにあるホテルに泊まれという事になり、オートバイを呼んでくれた。雨が降り出した、カッパも貸してくれた、感謝だ。

雨のなかをオートバイに乗り1時間走りインド洋に面したリゾートホテルに着いた。オートバイの料金は5000Ks=500円だ。オートバイを返さないで、さらに5000Ksで経済特区に行きたいと交渉する。運転手は若い、ここから2時間かかるという。ガソリンを入れて出発、たいした事はないと思ったが、雨のなか2時間デコボコ道を後部座席に座りゆられた,手に力が入る。経済特区は広大な野原にあった。基点のインド洋からの距離を示している看板があるだけだ。海岸の近くに事務所があった。
ミャンマーの開発プロジェクトはティラワ経済特区、チャオピュ−経済特区があるが、タイ国が進めていたのが、ダウェイ経済特区である、昨年,イタリア-タイの民間企業が事業権を破棄した。日本の援助が求められているようだ、JICAの一行が1日前に来たと職員が名簿を持って来た。ダウェイ港があると思っていたが、どうも沖に作るらしい、インド洋は波が高かった。

雨が強く降り出して来た、2時間かけてホテルに戻る。渚にあるリゾートホテル、一泊30ドルだ、宿泊客は私だけ。一人で食事をしていると、店員が話しかけてきた。近くに温泉があるらしい。彼の友人がオートバイで連れて行ってくれるらしい、料金は5000Ks(500円)だ。インド洋の海岸は干満の差が大きい。引き潮には波打ち際が100mくらい沖になる。夕日は水平線に沈む。6月に入り、雨期の季節で
観光客は少ない

温泉がダウェイにある。海岸にあるホテルからオートバイで10分のところにある。熱海の温泉と同じような、少し塩気のする温泉だ。地元のミャンマー人も温泉が好きなようだ。露天風呂では水をかぶるだけは無料で、個室の風呂は1000ks(100円)で時間制限はない。
 オートバイの持ち主が綺麗な場所があるから行くかと聞いているようなのでYESと応えると、更に1時間デコボコ道をいく。 

インド洋に浮かぶ江ノ島があった、懐かしい。

船泊まりには多くの漁船が停泊している。島の名前は教えてもらったが忘れてしまった。橋を渡り島に入るとお寺しかなく、海が荒れていて沖合を通る船の船首が波に突っ込みしぶきをあげていた。インド洋は大型船の航行は見られない。ダウェイ経済特区開発よりも自然を残した観光開発の方がいいのではと思う。タイ国のカンチャナブリから約80Kmの距離に温泉がある遠浅の海岸があり、湘南海岸の江ノ島のような綺麗な島がある。道路が整備されればバンコックから3時間でインド洋まで来ることができるだろう。ミャンマーの自然を満喫した旅であった。
次回はバスでダウェイからヤンゴンまで帰ったことを書きたいと思う。

<テリー先生>
本名宮川照男。1949年、平塚市生まれ。早大理工学部卒業後、山武ハネウエル(株)入社。
1988~1992年、同社米国駐在所長を経て独立。野菜工場設備会社(有)アイエスエス設立。スプラウト栽培を日本に紹介、普及させる。その後、東海大学湘南キャンパス、チャレンジセンター特任職員として「ものつくり」「環境キャラバン隊」などを指導。2012年退官し、2013年5月より、ヤンゴンにて農業視察、調査を開始。
Yezin Agricultural 大学の学長らと、ミャンマー農業支援について討議を重ね、現在、同大学とヤンゴンのElephant Seed 会社と種子生産についての技術提携を計画中。小型飛行機操縦士免許取得。

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