◎第12回 テリー先生ヤンゴン滞在記

ダウェイからヤンゴンまでバス旅

目次

    前回でヤンゴンからダウェイまで飛行機での気まま旅を書いた。帰りはバスでヤンゴンまで帰るつもりであった。ミャンマーの友達から電話があり、外国人はバスでこの路線は乗れないはずだが?と言われ困ったが確かめねばならない。
    ミャンマーの規ホテルの人にヤンゴンまでのバスの切符を予約するように頼む。私の本名では長いのでミャンマ−人の名前のように、Aung Miyaにした。オートバイで1時間、ダウェイのバス停まで行き、カウンターで切符を買うと名前の欄にはミャンマー語で私の名前が書いてある、パスポートの提示も求められなかった。切符の代金は12000Ks(1200円)だ。則は頻
    繁に変わるので、実際に確認しなければ分から
    ない。切符を買えばこちらのものだ、心配ない,腹がすいたのでオートバイの運転手に感謝の気持ちでごちそうする。ミャンマーのバス路線は特定の会社が運行するのではなく、何社かがある、乗客は好きなバスを選べる。競争原理が働いてサービス向上になるのかもしれない。
    私のバスは千葉交通だ。

    午後3時に出発する、ダウェイが始発ではない、座席指定のバスで、私の席は一番奥の窓側、隣は3歳の女の子連れのおばさんだ、この状態で10数時間ガタゴト道を行くのかと思うと気が重い。ガパリ海岸までの10数時間のバスの旅で得た教訓は、ヘッドホンと長袖のシャツが必需品であることだ。今回は持って来ている。心配ない。つまり、ミャンマーのバスのサービスは良く効くエアコンと大きな音がでるテレビなので、ミャンマー語が分からない、肌が敏感な当方には一番こたえるのである。 ダウェイの町を出ると、道路は未舗装となる。走行時速は約40kmの安全運転、先は長い、運転手もゆったり気分で運転している。国道8号線を北に向かう。

    休憩所で30分ほど休み、しばらく行くと山道
    になった。雨が降り出した。山道は登りは安全だが、下りは注意する必要があるのは世界標準だ。峠を越えて下りにさしかかるころは既に暗闇、前方で車の渋滞が見える。大型トレーラーが側溝にはまり動けない、道をふさいでいる。
    しばらくすると、クレーン車が来て作業を開始した。約3時間、雨の降る暗闇で多くの人が手伝ってトレーラーを溝から取り出した。既に真夜中の12時を過ぎている。ミャンマーでは何時に目的地に着くか?を聞いてはいけないとミャンマーの友人が言っていた事を思い出した。タンビュザヤは泰緬鉄道のビルマ側の終着駅で、是非来たいと思っていた場所だが、雨の降る中、真夜中にバスを降りることは出来ない。次回の機会をまとう。
    朝を迎えた。モーラミャインは大きな町だ、バスターミナルに止まり朝食を取る。ここからは道路も舗装されヤンゴンまで6時間くらいで帰れるはずだが、バゴーで途中下車をすることにした。

    バゴーはヤンゴンから2時間の木工工芸品の町で第6回ミャンマーの工芸品で紹介した町だ。お世話になった人に記事を渡す約束をしている。乗務員にバゴーにいきたいというと、ここで降りろと言われた。場所はパヤジーという。バゴーまではオートバイで1000Ks,約30分かかるという、雨が降り出した。傘をさしてオートバイの後部座席にすがりつく。
    バゴーについた。シュエターリャウン涅槃像の前に前回会った木工工芸品組合の会長の店がある。 
    約束したヤンゴンプレスを渡すことができた。
    バゴーからヤンゴンまでのバスは頻繁に走っている。
    国道8号線、ダウェイからヤンゴンのバスは舗装工事が進んでいる、東西廻廊の主要ルートとなる。外国人でもこのバス路線は利用できることを実体験した旅であった。

    <テリー先生>
    本名宮川照男。1949年、平塚市生まれ。早大理工学部卒業後、山武ハネウエル(株)入社。
    1988~1992年、同社米国駐在所長を経て独立。野菜工場設備会社(有)アイエスエス設立。スプラウト栽培を日本に紹介、普及させる。その後、東海大学湘南キャンパス、チャレンジセンター特任職員として「ものつくり」「環境キャラバン隊」などを指導。2012年退官し、2013年5月より、ヤンゴンにて農業視察、調査を開始。
    Yezin Agricultural 大学の学長らと、ミャンマー農業支援について討議を重ね、現在、同大学とヤンゴンのElephant Seed 会社と種子生産についての技術提携を計画中。小型飛行機操縦士免許取得。

    Tags
    Show More