◎第 7 回 「アジアビジネス通信」   華人が東南アジアを動かす 「日系企業が頼るパートナー」

 一口に東南アジアと言っても、政治も文化も多種多様である。しかし、経済では無視できないキーワードが存在する。「華人」である。彼らの存在を抜きにして東南アジアの経済は語れない。現地に進出する日本企業とも関係が深い「華人」の歴史と現状を考察する──。

海外進出の鍵は現地パートナーにあり

パートナー──。最も重要な条件のひとつである。東南アジアでは、さまざまな日本人が仕事をしている。日系企業の現地法人に席を置く駐在員。起業した人も少なくない。  どんな形態にせよ、現地パートナーは欠かせない存在である。  パートナー──。それはどんな民族構成なのだろうか。不思議に思われる人もいるかもしれない。タイの現地法人なら、タイ人。マレーシアの現地法人ならマレーシア人……。それは当たり前なことだ。   しかし、それは国籍にすぎない。民族構成とは、そのパートナーが、どんな民族を基盤にした会社なのかという問題である。  たとえばマレーシア。マレーシアの民族構成は、経済産業省のデータによると、次のようになっている。マレー系 約60~65%、華人系、約24~30%、インド系 約8%。マレー系が多くを占める国家である。しかし、経済に目を向けると、その構造は変わってくる。マレーシアの経済の約70%を握っているのは華人系だと言われる。  パートナーという存在を考えたとき、その相手は華人系になることが多い。経済を握っている民族の会社と付き合うのは当然の流れでもある。東南アジアのビジネス・パートナーの民族とはそういうことだ。  日本人のなかには誤解している人が少なくない。マレーシアに現地法人をつくったのだから、マレーシアの流儀を学ばなくてはならない……と。そこでマレーシア人の性格や感覚を身に着けようとする。しかし、その内容は、マレーシアの60%以上を占めるマレー系の人たちの分析であることが多い。工場勤務の現地スタッフの気質は勉強できるかもしれないが、経営という面では有効ではない。会社として付き合っているのは華人系なのだ。そのボタンのかけ違いは意外に大きい。

華人を通して見る東南アジア

日本人がその国の人々を理解しようとしたとき、陥りがちな傾向に、簡単に調べることができるデータを信じてしまうことがある。前述したマレーシアの民族構成などはいい例だ。しかし、経済力というフィルターをかけると、マレーシア経済の70%を華人系が握っている実態が見えてくる。しかし、そういった情報はなかなか手に入りにくい。  さらに言及すれば、都市住民と農村地帯に住む人たちの割合もある。華人の多くは都市に暮らしている。しかし、マレーシアを見ても、農村部に行くと、マレー人の人口比がより高まってくる。その歴史的経緯は追ってお話しするが、華人の多くは会社や商店を経営しているからだ。華人という存在は、都市型の人々と置き換えてもいい。  こうして考えていくと、その国の華人の割合よりも、華人人口で見ていったほうが、より日本人向けの経済地図ができあがっていく気がする。  日系企業にとってのパートナーである華人は、日本人と仕事観が近い。納期を守る感覚や信用というものへのとらえ方も日本人には合う。東南アジアの人々の気質として、「のんびり」とか「時間にルーズ」といったものとは異質のものを持っている。実際の労働者は、現地の人たちになるかもしれないが、その間に立ってくれるのが華人であることが多い。  ときに華人の勘定高さが日本人との軋轢を生むこともあるが、現地の人々に比べれば、ビジネスの成立を支えてくれる存在でもあるのだ。  では、東南アジアには、どれほどの華人が、国という枠組みを超えて暮らしているのか。これはなかなか難しい。華人といっても、いまは4世、5世になっているエリアもある。華人の感性は引き継いでいても、現地化はかなり進んでいる人々もいる。  台湾がつくる『中華民国僑務統計年鑑』というデータがある。一応、国別になっているが、エリアに拡大していく基礎データとしては参考になる。それによると、東南アジアの国々の華人の人口順位のトップ3は次のようになる。 1位=インドネシア 約770万人 2位=タイ     約710万人 3位=マレーシア  630万人  4番目がシンガポールで約270万人と一気に少なくなる。次いで、ベトナム、フィリピン、ミャンマーとなっていくが、その数は100万人強といったところだ。インドネシアにこれほど多くの華人がいることを意外に思う人も多いだろう。インドネシアというと、イスラム教徒であるジャワ人の国というイメージを抱く人は多い。しかし東南アジアでいちばん多くの華人が暮らす国なのだ。  このデータをもとに、華人の多いエリアを描いてみる。タイからマレー半島を南下し、シンガポールを経て、ジャワ島に至る一帯である。ここが東南アジアの華人エリアだと思っていい。  このエリアを中心に、華人社会というものに分け入ることにする。話は植民地時代に遡っていくことになる。

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植民地時代に始まる華人の進出

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華𠆢といっても、その出自を辿ると、ふたつに分かれる。自らの意志で新天地を求めて東南アジアに渡ったグループと、その後、苦力と呼ばれる労働者として、半ば強制的に東南アジアに渡ったグループである。そのあたりがはっきりと分かるのがマレーシアだ。  1700年代の後半、イギリスはマレーシアに進出していく。その拠点になったのがペナンだった。当時のマレーシアは、いくつかのイスラム系王国に分かれていた。イギリスは、ペナン周辺を支配していたクダ・スルタン国から、ペナンを獲得した。  そのとき使ったのが、イギリスお得意の二枚舌だった。クダ・スルタン国は当時のアユタヤ王朝などの勢力に晒されていた。それに対し、イギリスは軍事的な後ろ盾になると伝えたのだ。しかし、これは大嘘だった。  ペナンを獲得したのは、正式にはイギリス東インド会社である。会社なのだ。軍事力を行使するためには、本国の許可が必要だった。その許可など取っていなかったのだ。  やがてイギリスは、マラッカ、シンガポールを獲得し、この3エリアで海峡植民地という植民地をつくる。1826年のことだ。  この植民地で、イギリスは自由貿易を標榜する。そして、入域する人々にあまり制限を加えなかった。  当時の中国は清代の末期の混乱期のなかにあった。国力は弱体化し、ヨーロッパ列強が入り込んでいく。1840年には、上海を舞台にしたアヘン戦争も起きていた。  清という国は、漢民族を北方民族が支配する形で成立した。それを嫌い、多くの漢民族が中国を離れる時代が続いた。そのひとつが台湾だった。漢民族は、清の支配が及びにくい台湾という島に新天地を夢見ていくのだ。台湾の対岸は福建省である。いまでも台湾の主流を占めるのは福建人だ。  海峡植民地も同じ構図のなかにあった。ますます混乱する中国を嫌い、彼らはマレーシアにできた海峡植民地に向かう。福建人や広東人が多かった。  彼らは海峡植民地で商売をはじめる。英語を覚え、やがて植民地政府にも食い込んでいく。彼らは海峡華人と呼ばれる。  このエリアにはニュニャ料理がある。中国料理とイスラム料理を融合させたものだ。観光客の間でも人気の料理だが、これをつくったのも海峡華人である。当時の海峡植民地はかなり自由なエリアだった。実力があれば、財産を築くこともできた。  しかしその後、イギリスは方向転換をはかる。理由は単純だった。自由貿易にしていたため、関税収入がなかったのだ。植民地を経営していた東インド会社は、本国から圧力をかけられる。もっと収益をあげろ……と。その構図は、日本の本社と東南アジアの現地法人の関係によく似ている。  イギリスは軍事力を背景に、マレー半島の植民地化に踏み切るのだ。こうしてマレーシアはイギリスの植民地になっていく。  そこではゴムのプランテーションやスズの採掘が行なわれた。その労働者として、苦力が中国からやってくるのだ。ゴム農園はインド系の人たちが多かったのに対し、中国人はスズ鉱山で働かされた。  つらい労働を忘れることができるアヘンも蔓延していく。その収益もイギリスに送られていった。  その後、世界大戦を経て、マレーシアは独立していくのだが、華人たちはそのまま残る。中国が共産化し、帰る道筋が閉ざされていくのだ。彼らの末裔が、いまのマレーシアの華人である。  この構造はいまのマレーシアにも引き継がれている。海峡華人と苦力あがりの華人である。もちろん力を持っているのは、海峡華人をルーツにする華人である。苦力出身の中国人も、努力を重ね、力を持ってきているが、昔から政府との関係を築いてきていた海峡華人社会はやはり格が違う。同じ中国系パートナーといっても差があると言われている。  日系の現地法人はそのあたりを見極めなければいけないのだろう。いざというときに違いが出てくると言われている。

タイ経済を握る中国系企業

約710万人の華人……と、東南アジアでも2番目に華人人口の多いタイ。この国の事情は、インドネシアやマレーシアとは違ってくる。  タイは東南アジアのなかでは植民地になることがなかった唯一の国である。マレーシアのように、植民地政府の方策で一気に中国人が流入するようなことはなかった。しかし、仏教国が国民の大多数を占めるタイは、中国人との親和性が高かった。アユタヤ朝時代にも、かなりの中国人がアユタヤに暮らしていた。時代を問わず、中国人が流入する歴史のなかを歩んできたといってもいい。  宗教的な障害がないためだろうか。タイ人の性格も影響し、タイでは中国人との婚姻も盛んだった。はっきりした数字はないが、タイ人の70%は、なんらかの形で中国人の血が入っているとも言われる。専門家によっては、タイを中国系国家に組み入れる人もいる。中国人との混血がかなり進んだ国と見ていい。  しかし、中国の血が入ったタイ人と純血な中国系タイ人との間には、明らかな一線がある。タイで中国系、あるいは華人というと、この純血中国人を指すことが多い。  理由は、タイ経済を握っているのは、純血華人が経営する中国系企業だからだ。タイの有力銀行はすべてこの中国系である。タイ系企業のなかで存在感があるのは、タイ王室関係企業ぐらいである。  中国人のなかでは、やはり福建系の人口が多いが、数こそ少ないが、経済分野で力を持っているのは客家系である。バンコク銀行、カシコン銀行という大きな銀行はともに客家である。  かつてのタクシン首相はチェンマイ出身の客家だった。一度、タイの華人のことを調べようと、中国系の人たちの組織に取材を申し込んだことがあった。福建人の協会は歓迎ムードで受け入れてくれたが、客家の協会は拒否の連絡が返ってきた。当時、タクシンは首相だったから、より警戒したのかもしれないが、どこかガードが固そうな空気が伝わってきた。

世界に広がる客家のネットワーク

客家……。ときに東洋のユダヤ人とも言われる。またその一方で、漢民族の王道を引き継いでいるのは客家ではないか、という研究発表もある。  客家はもともと、中原といわれる黄河流域に暮らしていた。そのきっかけは諸説あるが、戦乱を逃れる形で南下をはじめる。そして落ち着いた先が、福建人が暮らすエリアの山がちな土地だった。  中国は人口が多い。客家の人々が移動した先にも人は住んでいる。福建省は山がちで、平坦な土地には福建人が暮らしていた。客家はそこに入ることができず、農耕には不向きな山中しか住むことができなかった。  客家のアイデンティティーはそのなかで育まれていった。  東南アジアで客家が多いのは、シンガポールと台湾である。台湾の客家は、清の時代、福建人と同じ軌跡で大陸から渡った。しかし、平地は福建人、山地には客家という、ある種のヒエラルキーは踏襲された。  山に暮らす客家は質素な暮らしを是とする。たとえば、客家料理は豚の内臓を使ったものが多い。肉の部分は売り、内臓を洗い、においを消して自分たちの料理にするという発想である。  台湾には福建人が多いが、子供が客家と結婚する話が持ちあがると、福建人の親は露骨に反対する。 「あんなけち臭い客家と……」  それが客家のイメージである。  貧しい山がちな土地に暮らす彼らは、警察官、政治家、学者などになる人が多かった。農業から得る収入はわずかだったからだ。その土地では部外者だから、地元にコネはなく、実力者への道は閉ざされていた。個人の努力で地位を得ていくしかなかったのだ。そのために、教育には、食べ物を節約して金をかける気質が生まれていく。  同時に海外へ出ていくことも多くなる。そのなかから、強い客家ネットワークをつくりあげていく。  客家は東南アジアで多くの政治家を輩出していく。シンガポールのリー・クワン・ユー、中国の鄧小平、タイのタクシン、フィリピンのコラソン・アキノ……。今回、台湾の総統になった蔡英文も客家である。  台湾のかつての総統である李登輝は、台湾と日本で認識が違う。司馬遼太郎との対談で、彼は客家であると言っているが、台湾人の多くは、客家ではない、という。  世界に散らばる客家は、2年に1回、世界客家大会を開いている。海外で成功した客家の大会である。世界に築かれた客家ネットワークを誇示するかのような大会という印象を受ける。  教育を重視し、生活は質素を貫く。海外に出ると、強力なネットワークで皆が支えていく。華人に対して抱くイメージの王道を客家は歩いているようにも映る。華人という存在の典型が客家ともいえる。  タイで多くの工業団地を手がけるアマタ・コーポレーションのCEOであるウィクロム・クロマディット氏にインタビューをしたことがある。彼の伝記ともいえる『私は良人になる』の日本語版の監修を引き受けたことがきっかけだった。  彼もまたタイを代表する客家だった。彼の仕事場で話を聞いたが、彼の暮らしぶりは、想像以上に質素だった。そして、彼はそれを意図してはいなかった。普通に暮らすと質素になるといった自然さだった。そして彼はその暮らしに満足していた。  客家の価値観というものは、日本人が抱く、成功した華人とはかなり違う。タイの財界人とつきあうコツとは、きっとそのあたりにあるのかもしれない。  東南アジアをフィールドにする日本人たちは、国境という概念にとらわれすぎているのかもしれない。便宜的な境界と考えたほうがいい。それは、日本人より100年以上前に東南アジアに渡った華人たちと接しているとよく分かる。  彼らが築いた華人ワールド。それはなかなか手ごわいが、日本人には新鮮な視点に映る。

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