◎今月の視点 新しい年に向けて立てた誓いとは

「この国が真価を問われる2015年」

目次

「新年あけましておめでとうございます。 本年も変わらぬお引き立てとご愛読を賜りますよう、 スタッフ一同心よりお願い申し上げます」

こうして新年のご挨拶をしても、4月中旬の水祭り時期が正月に当たるここミャンマーでは、銀行も商店も通常営業中で、毎度のことながらとても〝おとそ“気分には浸れない。
 そうは言っても、今年はこの国にとって色々な意味で節目の年になろう。1948年の完全独立から数えて67年目になる記念の年だし、ASEAN経済圏への仲間入り、証券取引所のオープン、そして11月には上下院議員と大統領選挙などの国家的イベントが控えている。
今思えば世界を“あっ!“と言わせた2011年からの民政移管。以来、ずっと注視を浴び、この国の真価が問われてきたが、今年はまさにミャンマーの行く末が決まる正念場ともいえる重要な年だといっていい。

「日本では」は禁句にした 日本のモラルの高さを再認識

一方、期せずしてその変革の時期からこの国に根を下ろして早4年目になる当方は、初来緬時から感じてきた妙な緊張感と違和感から年々解き放たれてきたような気がしてならない。極論だが、生命を脅
かされたり、威信を傷つけられたり、あるいは大勢
に影響がないと判断できれば、事を荒立てたり、腹を立てたりしないように心掛けてきた。こちらの在
住者の方々の多くは「何でそんなことが、、」と日々眉間が吊り上がることが多いと推察するが、当方個人としては、かなり前から「日本では」という言葉を禁句にした。しかし昨年11月、私的な冠婚で2年ぶりに帰国したら、またぞろ「日本は」という比較形が頭をもたげてきた。「それを言ってはおしまいだ」とわかっていても、久しぶりに感じた母国の快適さと高度なモラリズムには感銘すらうけた。JRはむろん盛り場の家電店でも誰に指示されることなく整然と順番を待つ日本人のマナー。都内の道路、少なくとも幹線道路には違法駐車は1台たりとも見当たらないし、歩行者優先のドライバーの意識はさすがだ。サービス業に従事する方々の動きもスピーディで気分がいい。だからこちらへ帰緬しても事あるごとについ、「二ッ、、、」と口をついて出そうになる。

日本は1世紀余を経て先進国に比較すること自体に無理が

しかしよくよく考えてみれば日本は、明治維新から開国してすでに147年も経過している国だ。しかもアジアでは列強の植民地化を免れた数少ない国で、幸いにも単一民族だったから民族紛争や宗教的なもめ事もない。その点、表現が適当かどうかはともかく、ミャンマーは開国してわずか数年である。日本だって本来は農業国だったし、工業国に変身したのはここ数十年のことだ。そうした歴史とキャリア、さらに言えば精神的にリフレッシュできる気候的特性や、”恥“を嫌悪する人生観や死生観、さらに言えば、隣国たちから罵詈雑言を浴びせられても決して仕返しなどの野蛮なことはしない性善説に裏打ちされた国民性などの違いを考慮すれば、ミャンマーを我々の尺度で推し測ることは土台無理な話だと当方は思う。そうした視点でとらえれば、腹も立たない。どころか、あと100年もすれば日本など追い抜く潜在能力を、この国の豊富な埋蔵資源や敬虔な信仰心から感じ取れる。
昨年、高倉健さんや文太さんが旅立ってしまったが、まともな日本人が本気で怒るときは、あのご両人たちがスクリーンで見せてくれた我慢に我慢を重ね、ついに堪忍袋の緒が切れた時だけだろう。個人差と価値観の違いこそあれ、やはり我々の文化には「義理と人情」を重要視する土壌が伝統的にある。だから普段は「つかみどころがない民族」と見られても、組織や国民が一丸となった時には神がかり的なパワーを発揮する。事の是非はともかく、この1世紀余りの間で、ロシア、中国を打ち破り、米英に戦争を挑んだ国が世界のどこにあろうか。そのように思いを巡らせると、ここミャンマーではもう日本のことは“別物”と考えるようにした。したがって、これからは今後どのような不条理な場面に直面しても、余程のことがない限り、もどかしく、歯がゆくもあっても、怒りを露わにするのは控えたい。これが年頭に当たり、当方が立てた今年の誓いのひとつである。

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