◎第16回 テリー先生ヤンゴン滞在記

ヤンゴン河の渡し船

目次

    ヤンゴン河は市の西側を流れる大河です。橋は4カ所架けられて東西を行き来できるが、車の渋滞が激しく時間がかかる。そこで車を持たない庶民の交通手段として、渡し船が活用されている。
    一番利用されている渡し舟は、一日4万人が利用するダラとヤンゴン港を結ぶ渡し船だ。船といっても昨年日本が寄贈した新船3隻が活躍している、日本の国土交通省,外務省、国際協力機構(JICA)、ミャンマー運輸省らの協力で、政府開発援助(ODA)により完成した。広島県の中谷造船が作った、全長41m、270トン、旅客定員は1200人の新造船だ。船の他に、ダラでの浮き桟橋、そしてストランド道路を横断する連絡橋(エスカレーター付き)がODAとして援助された。毎日約4万人の人が利用する重要な渡し船だ。3隻の船の名前は“さくら”号ではなくCHERRY(1、2、3)号だ。

    新造船は3隻あるから、頻繁に交代しながら、乗客、自転車、オートバイ、荷物を約20分で対岸のダラに運ぶ。スイカ売り、カモメの餌売り、日用品売りなど、沢山の人が利用し、あたかも市場のようなにぎわいだ。
    浮き桟橋、待ち合い室も建設された。日本の建設会社によると、この桟橋の原材料はミャンマvーで調達できるものに限定し、技術者に指導を行い、先行き追加の建造ができるようにしたそうである。とてもいい取り組みだと思う。

    ヤンゴンはニューヨークのマンハッタン島のように、河に挟まれた大都市だ。車、鉄道、船と交通機関の有効な活用が今後期待される。桟橋は人、物が安全に輸送する水上交通手段としてヤンゴンでは欠かせない。
    ミャンマーの河はおおむね大河で、橋を日本のように沢山つくることはできないから、渡し船が重要な足になる。ヤンゴン河は満潮と干潮で水位が3メートルくらい変化するので、固定の桟橋を作ることは難しい、椰子の木を切った丸太が渡し船の桟橋だ。しかし丸太の上を歩き、重たい荷物を抱えて乗船するのは容易ではない。

    上の写真の丸太桟橋は、私の“棲家(すみか)”の近くにある、ワタヤという場所から、対岸のウエスト・ヤンゴン大学に行く時に利用する。料金は片道200チャット=約18円だ。ライフジャケットなどはないし、乗客が水をかき出すこともあるが、怖がる必要はない、腰を低くして、ヤンゴン河の雄大な流れに身を任せたような気分で座っていればいい。私も渡ったことがある、もう一カ所の渡し船の場所はカマユット地区からパンライン地区へ行くルートだ。友人が来たので、一緒に乗る事にした。友人から何処までいくのか?と聞かれたが、残念ながら対岸の船着き場の名前は分かりませんと応えると、不安な顔になった。岸を離れ、船に慣れて来たのか、ヤンゴン河の雄大な景色に魅了されたのか、カメラを持って、立ち上がり写真を取り始めた。重心を高くすることは小型の船では危険なのに、感激して怖さを忘れたようだ。

    対岸の小さな集落に着き、多くの人が生活している場所を見て、渡し船のある理由が分かった。
    ヤンゴン市内と対岸では生活環境が異なり、対岸では不便だが、その分自由な生活ができているように感じられる。子供達の笑い声、鶏や豚の鳴き声、車の音が無い生活環境だ。私の子供時代を思い出す、懐かしい景色だ。
    ヤンゴンでの交通渋滞は激しい、バスで市内から私の“棲家”まで3時間程度かかる。朝、晩のラッシュアワーには座ることも出来ない。
    ミャンマーは車社会の到来前には水上交通であった。穀物市場,野菜市場はヤンゴン河に面している、桟橋を建設して、市内まで渡し船が運行すれば、自動車による交通渋滞の解消へ繋がるかもしれぬし、日本のODAで技術援助をした浮き桟橋の技術が当地に根付き、第2、第3の浮き桟橋ができれば大きな経済効果が望めるのではないか。だからこの水上交通の発展には大いに期待したい。

    <テリー先生>
    本名宮川照男。1949年、平塚市生まれ。早大理工学部卒業後、山武ハネウエル(株)入社。
    1988~1992年、同社米国駐在所長を経て独立。野菜工場設備会社(有)アイエスエス設立。スプラウト栽培を日本に紹介、普及させる。その後、東海大学湘南キャンパス、チャレンジセンター特任職員として「ものつくり」「環境キャラバン隊」などを指導。2012年退官し、2013年5月より、ヤンゴンにて農業視察、調査を開始。
    Yezin Agricultural 大学の学長らと、ミャンマー農業支援について討議を重ね、現在、同大学とヤンゴンのElephant Seed 会社と種子生産についての技術提携を計画中。小型飛行機操縦士免許取得。

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