◎Bagan 通信 第14回 ―――― パゴダの中身

バガンのパゴダは様々な形をしています。

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    バガンのパゴダは様々な形をしています。
     礼拝目的の寺院を除いたいわゆるストゥーパは中が見えないものがほとんどです。
     中はどうなっているかというと、舎利容器や経典、仏像などが納められているわけですが、宝石なども相当数納められていることが分かっています。
     さて、写真を見ていただきたいのですが、パゴダの中から違うパゴダが顔をのぞかせています。実はいま残されている数千のパゴダには、このようなパゴダが少なくとも54基は存在していて、それらの中には古い時代のパゴダがあるとされています。
     誰がこのようなことをしたかというと、寄進者の子孫たちだと言われています。パゴダは本来寄進者が自己の涅槃を成し遂げたいという理由で建立しています。そして、寄進にはかなりのお金がかかります。子孫たちは新しいパゴダを建てるだけの予算がなければ、こうして先祖が建てたオリジナルのストゥーパをすっぽり覆うパゴダをつくり、自分の願をかけたのだそうです。
     その他にもうひとつ理由があると私は考えています。
    12世紀にスリランカから帰国して新しい経典を持ち帰った学僧サパダがいますが、彼の帰国後につくられたと思われるスリランカ様式のパゴダが、ニューバガンやミンナントゥ村周辺に点在しています。
    私はこれらの多くも、やはり中から古いバガン式のパゴダが出てくるのではないかと思っています。
     バガン時代の地方都市チャウセーにタモテ・シンピン・シュエグジーという寺院があります。
     1990年代この由緒ある寺院が崩れ、中から更に古い寺院がほぼ完全なまま姿を現しました。
     調査の結果、建立時期はなんとアノーヤター王の時代であり、バガン王朝初期の美しい装飾などが当時のまま出てきました。
     これだけの規模のものはもう他にはないと思いますが、バガンのパゴダもロシアの“マトリョーシカ人形”のように、パゴダの中からパゴダが、またその中からパゴダが…という話もあながち冗談ではないかもしれません。
     ただ、信仰対象となっている宗教建築物は発掘調査が難しく、バチカンのサン・ピエトロ大聖堂でさえ、聖ペトロの墓の上に建てられたという伝承があったものの、それが正式に確認されたのはペトロの死から1900年近くたった最近のことです。
     また、中国・西安の秦始皇帝陵でも、司馬遷が史記に「陵墓の周囲には水銀でできた川がはり巡らされており…(後略)」と記述して、長年司馬遷の創作だと思われてきましたが、近年地下に大量の水銀があることが分かり、この伝説も現在ではほぼ史実とされています。
     私は発掘が進み、いつかこの水銀の川が見たいと思うのですが、「現代の保護技術では2000年以上埋まっていたものをそのままの状態で発掘・保存できない」ということで計画すら立っていません。
    バガンのパゴダにしても、中から何がでてくるか見てみたいという動機自体が、功徳への道からすると不順なのかもしれませんね。

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