◎導|A Leader's  「Win 日本語学校」校長  中西 修 Osamu Nakanishi

「常に工夫と改善を忘れず」

目次

    1997年の開校当初、これほど生徒が集まるとは思っていなかったため、履修コースや生徒の名簿、開講スケジュールなど全て台帳(分厚いエンマ帳)で管理していました。しかし、生徒数が1,000人を過ぎるころから、台帳で管理することが難しくなってきました。
     例えば、生徒の受講履歴、クラスの変更記録などを台帳で探しながら証明書を発行するのは非常に手間がかかる仕事になりました。ある生徒から受講履歴の証明書を出してほしいと言われ、2時間かけて台帳を片っ端から調べたことが思い出されます。
     そこで、私は「ファイルメーカー」というソフトを使用して学生管理台帳をデータベース化しました。日本の会社勤め時代にこのソフトを購入してマニュアルを読みながら独学した甲斐がありました。
     今、生徒の延べ人数は3万5千人を超えていますが、生年月日、名前、国民登録番号などを検索キーにすれば受講履歴のリストをわずか3分で発行することができます。本当に便利になりました。コンピューター学校でさえこのようなシステムはないそうです。同様に授業の修了証も写真があればすぐに発行できます。
     さらにこの学生管理台帳を会計係と直結させ、学生番号を入れるだけで学生のデータ、支払った授業料、クラスなどが自動的にコピーされるシステムを開発し、勘定元帳のデータ化が実現しました。このデータを使用すると、日別、週別、月別の集計も簡単に出来ますし、例えば、「単語集9000」という本が何冊売れたのかもすぐにわかります。また、学生別に授業料の滞納がないかどうかもすぐにわかるシステムになっています。
     販売している教科書、参考書、辞書、CDなどは150種類を超えていますが、これもコード化していますので、コードを打ち込むと自動的に価格が出てくるので、会計業務が非常に楽になっています。

    そして、日本語の授業で使用する紙芝居型の絵カードもコンピューター化 + データ化しました。以前は大きな画用紙に絵を描いて絵カードを作成していたので、探したり順番に並べたり元の場所に戻したりの作業は非常に面倒でしたが、今はテレビ画面で絵カードを生徒たちに見せているので、非常に楽になりました。例えば第15課を教える場合、そのファイルを開くだけで絵カードが自動的に順番に出て来るので本当に楽です。逆に絵カードが順番に並んでいることで、授業の進め方の段取りを間違うこともなくなりました。漢字のフラッシュカードもコンピューター化することで簡単に漢字の復習ができるようになりました。また、インターネットとも繋がっているので、漢字の書き順をアニメにして見せたり、ネット上の写真もよく使うようになりました。最近の例では、「駅のホームから落ちて怪我をした」という例文がありました。ミャンマーでは駅のホームは低いため落ちても怪我をすることはありません。そのため、生徒たちにはこの文の状況がイメージできません。しかし、新幹線のホームの写真を見せると、高いことがわかり生徒が納得することができるのです。ほかにも「右折するのが怖いので左折を繰り返してスーパーまで行った」という文も右側通行のミャンマーでは状況がわかりません。そこで、車載カメラで撮影された日本の道路を走行する様子を映像(You Tube)で見せることにより納得してもらうというような工夫をしています。意外にも「オーロラ」という言葉を知らない子が多いので、この言葉が出たときにはオーロラの画像や動画を見せています。今日の授業では「アメ横」が出てきたので、その写真を見せました。

    当校で自慢できることは何と言っても自分で辞書を作ったことです。「ファイルメーカー」を使用し日本語・ミャンマー語辞書を3年かけて作りました。これをいつでも教室のテレビ画面で映し出すことができるので、授業中不明な言葉があるとさっと検索して言葉の意味や用法を生徒に見せることができます。種類別、例えば病気に関する言葉だけを検索してリストに並べることも簡単にできます。
     さらに凄いのはある言葉が過去の日本語能力試験で何回出てきたかもすぐにわかることです。すべてデータ化しているため、どんな言葉が試験によく出るのか、それを頻度順に並べて、1級から4級まで級別に(日本留学試験EJUも)「頻度順の単語集」も出版しています。
     今、取り組んでいるのは新聞で使用される言葉のリストです。「新聞用語9000」をなんとか5年以内に完成させ、出版したいと考えています。ミャンマー語の新聞でよく出てくる用語を集め、日本語の訳をつけてまとめたいと思います。現在1,600個まで行っています。
     

    ところで、「将来どのように事業を拡張するつもりですか?」とよく聞かれますが、あまり大きくする気持ちはありません。教師のレベルやクラス運営を維持していくのは大変です。本校と分校1校で十分です。もともとミャンマーに来た目的はお金を稼ぐことではありませんでした。ミャンマーの国や人のために何か貢献するためでした。お金は生活できるだけ稼げればそれで満足です。逆に無理にお金を儲けようとするとこの国では失敗するように思えます。今後も日本語教育を中心に、翻訳や通訳、日本語関係の書籍の出版などを行うだけで十分です。この18年を振り返ると、今までいろいろな先生が教壇に立ちました。中には日本で女優をやっていた人、成田空港で管制官をやっていた人、加山雄三のスタイリストをやっていた人、本当にいろいろです。しかし、ある元小学校の校長先生はダメでした。日本語を教えるには「外国人に日本語を教える独特の方法」があり、それをマスターする必要があります。小学校の先生は日本人の子供に教えるのは問題ありませんが、外国人の日本語学習者には通用しなかったのです。ミャンマーで日本語教師をするには、やはり専門の教育を受けていないと教師は務まらないことがわかりました。
     ミャンマーでは日系企業の進出とともに日本語の需要がさらに高まることは必至です。これまで培った経験や知識を生かして、ミャンマーの人々の人材育成の一助になれれば幸いに思います。

    <中西 修 プロフィール>
    1961年6月21日に広島県呉市生まれ。
    1980年3月 呉三津田高等学校卒業
    1986年3月 東京外国語大学ビルマ語学科卒業
    1986~91 広島の農業機械メーカー(サタケ)に勤務
    1991年  横浜の印刷会社(山縣印刷所)に入社
    1995年~1996年 マレーシアの印刷工場に出向
    1996年  同退社後
    1997年1月1日からヤンゴン市内で
    「ウイン日本語学校」を設立。
    校長として現在に至る

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